主人公が全てを失ったラストにハッピーエンド説が成立する理由
この映画はバッドエンドか、ハッピーエンドか?
この映画のストーリーを衝撃的な一言で表現すると「2次元のオタクが騙されて人生転落する話」です。視聴後のあの絶望感といったら半端ではありません。こんなに理不尽な話ってあるのだろうかと呆然とすると同時に悔しさがこみ上げてきます。しかしこの映画のラストについては、バッドエンド説とハッピーエンド説があるのです。
大切にしていたコレクションを全て奪われ、仕事もなくなり、知人たちに裏切られ…こんな散々な目に遭っているのになぜハッピーエンドなのか?
それはひとえに、ラストシーンで主人公ヴァージルが現実の彼女に対して想いを馳せているからです。あれだけ長い間愛し続けてきた絵画の中の美女達ではなく、自分を騙して消え去ってしまったたった一人の女性を、ヴァージルは愛し続けているのです。
このラストを「哀れ」と感じるか「幸せ」と感じるかは人によってだいぶ変わってくると思います。私は当初「なんて理不尽なんだ」と思いましたが、考えていくうちに段々と「結局ヴァージルは幸せなのだろうな」という気持ちに変わっていきました。
ハッピーエンド説から考える幸福論
この映画におけるハッピーエンド説は、「絵画コレクションは失ったものの本物の愛を見つけ彼女を想う喜びを手に入れたから」という前向きな見解が元となっています。ネット上ではハッピーエンド解釈の方が多いようですね。
そこで考えたいのが「幸せとは何なのか?」ということです。
この映画は表面上は転落ストーリーなわけですが、その背後では幸福に対する価値観が問われている気がします。今までのヴァージルは、レアな絵画を不正入手してコレクションすることが幸せでした。しかしラストでは彼女との記憶が幸せになっています。つまり彼にとっての幸福は形を変えたのです。
もし自分が彼のように長年大切にしてきたものを騙し取られたらどう思うでしょうか?
私の場合は多分許せないですね…けれどもしそれよりも大切なものがあったら意識はそこから逸れるのだと思います。だからこそヴァージルは、素晴らしい絵画コレクションを失ったことについて既に何も考えていない。むしろ、それらを失った代わりに永遠の愛を手にいれたのです。いつか彼女が戻ってきてくれるかもしれないという可能性を秘めた、永遠の愛です。
これと似ているなと思うものにオレオレ詐欺があります。
オレオレ詐欺というのは第三者からするとどう考えても許せない犯罪ですよね。ところが騙されたおじいさんやおばあさんが本当にその話を信じている場合、孫や子供のために何かができたということ自体は幸福なわけです。
第三者からすれば「目を覚まして!」と言いたくなりますが、ここで大切なのは「事実」と「幸福感」とは別物だということです。「事実」は誰の目にも見えるものなので、個々はそれぞれの価値観でその事実の良し悪しを判定します。しかし「幸福感」は個人的な観念です。
ヴァージルの身に起こった出来事は第三者からすれば不幸ですが、愛する彼女のことで頭がいっぱいであるヴァージルは幸福感に包まれているといっていいのだと思います。
「現実という3次元が最も素晴らしい」が崩れるかもしれない
この映画は「2次元のオタクが騙されて人生転落する話」なので、一部の2次元好きの人にとっては許しがたいものだったようです。憤りの声もチラホラ見られました。私も2次元好きなので、この映画を見たとき「やはり2次元は3次元に勝つことはできないのか…」としみじみ感じたものです。
古くは「電車男」など、オタクが脱皮してリア充に目覚めるというストーリーは結構世の中に出回っていますよね。しかもヒットしています。こうなってくるとやはり2次元は肩身が狭いです。
ところで最近、バーチャルリアリティが本格的に流行の兆しを見せてきました。仮想現実を3次元と言い切ってしまっていいものかは疑問ですが、ともかく今後の世の中はVRが増えていくのではないかと思います。例えば実際にどこかに出かけなくてもVRの中で出かけたり、現実に恋人がいなくてもVRの恋人と過ごすなどが可能となるでしょう。そういう世の中が来たとき、VRゴーグルをつけて楽しむ人を見て、第三者は「あの人は可哀想な人だ」と思うかもしれません。けれどVR世界を楽しんでいる本人にとっては幸福ということになるでしょう。
この映画でヴァージルは、かなりの年輩になって初めて女性と肉体関係を持ち、現実的な愛情を知りました。それによって、自分が「現実的に誰かを愛せる人間だ」ということを発見することもできました。それはとてもありがちで原始的でアナログな幸せだといえます。しかしそれこそが尊いものだと多くの人が感じています。だからこそ、もの悲しいこの映画にハッピーエンド説が成立するのです。
VRが本格化するであろう未来では、ヴァージルのような気づきの機会も失われていくかもしれません。正に、観念だけの時代がやってくるわけです。時代の過渡期に生きている人間の一人として、2次元の愛、そして3次元の愛についていろいろ考えてしまいますね。
この映画のように今はまだ「3次元の現実こそ最も素晴らしい」という考え方がスタンダードだと思います。しかしやがてVRやロボットが当然の時代が来たら、そういった常識すら覆されるのかもしれません。そんな時代がやってきたとき、またこの映画を見てみたら、ラストに対する印象はまた違ったものになるのだろうなと思います。そのとき感じるのはハッピーエンドなのかバッドエンドなのか…自分の中の幸福感が問われますね。
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