ジョニーは戦場へ行ったの評価
ジョニーは戦場へ行ったの感想
死は絶対的な悪か
反戦映画というよりは・・・人が生きているとはどういうことなのだろうか。医学的には「脳死」という判定基準があります。臓器提供のための基準となるこの考えから思いを巡らせれば、脳さえ機能していれば人は生きているのでしょう。この作品は、そんな医学的、哲学的な疑問を投げかけてきます。反戦映画として発表された作品にも関わらず、私が受けとめたのは生命の逞しさと悲しさ、そして「生きている」という現象への深い戸惑いでした。戦争で手足を失い、顔面を破壊され、視力、聴力、発声能力、味覚まで、人間の持つほとんどの能力を失った息をしているだけの芋虫。けれど、その精神は若く、思い出は明るい。残酷な神が与えた残酷な刑罰。私達は彼を現代のキリストとして捉えるべきなのでしょうか。それとも、無慈悲な医学の犠牲者として認識したら良いのでしょうか。人それぞれに受けとめ方は違うでしょうが、私は医療残酷物語として検証していきたい...この感想を読む
人間の生命の根源と尊厳を問いかける秀作 「ジョニーは戦場へ行った」
この「ジョニーは戦場へ行った」という映画を観終えて、私は打ちのめされ、言葉も出ませんでした。実に、無残な話なのです。酷い、痛ましい、切ない、つらい。だが、それでいて、このあふれる、不思議な優しさと美しさはどうだろう。健康で平凡で、つつましいアメリカ青年のジョー(ティモシー・ボトムズ)が、志願兵として第一次世界大戦の戦場へと赴き、直撃弾で顔面を吹き飛ばされ、両手両脚も失ってしまいます。眼も鼻も口も耳もない、もはやイモ虫のような肉塊は、知覚も記憶も思考も持たぬ、一個の"個体"とみなされ、病院のベッドに横たえられ、やたらに管を突っ込まれ、白布に覆われて、軍医の研究材料用として生かしおかれるのです。けれど、ジョーは、まさしく"生きて"いたのです。まぎれもなく、"人間"として。見えず聞こえず、しゃべれぬ暗黒の世界で。彼の意識にはさまざまな想念が浮かび、駆け巡ります。恋人と結ばれた一夜と別れ、敬愛した父(ジ...この感想を読む
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