人間の意志のあり方を示す英雄譚 - 辺獄のシュヴェスタの感想

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辺獄のシュヴェスタ

4.254.25
画力
3.75
ストーリー
4.50
キャラクター
4.50
設定
4.75
演出
4.50
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人間の意志のあり方を示す英雄譚

4.54.5
画力
4.0
ストーリー
4.5
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
4.5

目次

「屈する」とはどういうことか

私達の世界には最悪・理不尽・すっげー嫌な事がたくさん起こり、往々にしてそれに対して屈することがあるものです。例えば見当はずれな上司の叱責や他者の理解を超えた言動など、こうした事について「許容しなければいけない」「我慢しなければいけない」と考えたりします。確かに社会通念上、そこで相手を殴ったりパイルドライバーをかますと大変な事になるので自分を抑えるわけです。また、さらに強烈なトラウマレベルのショックな状況に置かれると時として人は相手に対して屈することになります。最早こうした場合には意思の力は消えうせるのです。

屈するというのは相手と言う存在の前に服従する意思を見せるということで、自分の生死を相手に預けることと同義です。そこには相手という存在に依存し相手ありきの存在へと自分を落とし込むことになった自我の無い世界が広がります。ここに人間の意志というものは存在しません。究極のマゾヒストの爆誕と言えるかもしれません。ですがマゾヒストにも種類があります。

武士の世界ではこうしたマゾヒストの世界が良く描かれています。実際は知る由も無いのですが、時代小説や時代劇、漫画などでは主君に殉ずる者が美徳として語られるものです。確かに美しい恭順というものも存在します。主君が素晴らしい人物である場合に自らの意思を自ら差し出す場合は、屈するとは言い難い状況です。むしろこちら側から魂を預けるわけですから、ここには人間の意志があると言えるでしょう。あるべきSMの姿というのは両者の信頼関係があって初めて成立するものであって、片思いではいけないのです。

人間を侮辱する恭順は強制的、あるいは詐欺的な手段によって他者をかしずかせることに他ありません。自分の利益のために他者を蹂躙し、意思をすり潰し従わせるのです。本作はこの人間に対する侮辱を徹底的に否定する主人公と、SMを強制するサディズムに満ちた敵との戦いを描いた作品となります。

異常な程にたくましい主人公は英雄か

主人公のエラはどれほどの苦境に立たされても立ち上がる意志の人です。母親が魔女狩りに遭っても修道院でいじめられても空腹になっても決して屈することはありません。ふざけた蹂躙に対して強い意志をもってそれに抗います。そしてその手段は基本的に自分で完結した方法です。直接的に相手を殴ったり投げっぱなしジャーマンを食らわすわけではなく、ひたすら自分の心を強く保つことであらゆるサディズムを否定しています。その姿は最早人間に可能なものではありません。ある種、超人的あるいは英雄的な存在と言えるでしょう。

昔から神話や物語というのは人を惹き付けるものです。それらは形を変え現代でも創作物として日夜生まれています。エラはまさに周囲の人物にとって英雄のような存在となりました。同じように修道院に対して不信を抱いている仲間たちはたびたびエラの強靭な意志の力に魅せられます。折れそうな心をエラという英雄の振る舞いを見て立て直すのです。これは一種の恭順と言えるかもしれません。

エラは理不尽な恭順を徹底的に否定することで、仲間達からの美しい恭順を得る事になったのです。それはまるで主君に自ら意志を捧げる武士や騎士のような姿と言えます。もちろん見かけ上は主従関係などは無く、対等な関係性に見えますが明らかにエラという存在に従う仲間達の姿が描かれているのです。エラが厳しい要求を仲間達に出さなければいけなくなった状況にも仲間達は素直に従います。そしてエラも仲間達が従うないし協力してくれることを本心では望んでいるのです。SMという言葉が相応しいかは分かりかねますが、両者が合意の上で形成された美しい関係性がそこに存在しています。

歪んだ神への恭順は人間の弱さの象徴

敵側の院長は神へ絶対的な恭順を心がけています。神のためならば手段は一切厭わずに実行するほどのいわゆる狂信者と言えるでしょう。神に対して徹底的なマゾヒストなので、結果的に他の存在はどうでも良いものとなります。一見サディストに見える院長ですが、その言動の根底は神への絶対的な恭順に他ありません。

これは院長が今まで見てきた地獄のような風景がそうさせるのでしょう。院長はそこで心を折られ存在を絶対的な存在である神に依存するようになりました。そして院長の中の神は次第に変形し歪み、邪神のような姿となってしまったのです。根底にある院長の歪んだ心を映し出して作られた邪神の教えの通りに悲劇が次々と起こされます。

院長の心理は人間がいかに弱いかを示しています。一度折れてしまった心が行き着く究極的な姿と言えるかもしれません。絶対的な存在への絶対的な恭順という、研ぎ澄まされた刃のようでいて実態はぼろぼろの心をもつ姿はエラの反対に位置する存在と言えるでしょう。人の心を捨てた、捨てざるを得なかった人間の心はやがて狂った世界を求めるようになるのです。

折れない意志が私達に与えてくれるもの

エラが強靭なその意志の力で逆境に屈しない姿は私達に希望を与えてくれます。心さえ折れなければ大丈夫という核心を抱かせてくれるのです。私達は生きれば生きるほど最悪な人物に遭遇します。そうしたときには相手を殴ったり雪崩式パイルドライバーを決めたくなるものですが、そこは我慢。心さえ恭順しなければ問題じゃない、とエラは教えてくれるのです。

生きるということは侮辱的な恭順を否定することです。最もあるべき人間の姿というのは自分の意志で行動をしている姿で、そのとき人間は美しく輝きます。エラという英雄の物語を目に焼きつけて自分のあるべき姿を模索してみましょう。本書は人間のあるべき姿の道しるべとなる英雄譚なのです。

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