人間の生命の根源と尊厳を問いかける秀作 「ジョニーは戦場へ行った」
この「ジョニーは戦場へ行った」という映画を観終えて、私は打ちのめされ、言葉も出ませんでした。実に、無残な話なのです。酷い、痛ましい、切ない、つらい。だが、それでいて、このあふれる、不思議な優しさと美しさはどうだろう。
健康で平凡で、つつましいアメリカ青年のジョー(ティモシー・ボトムズ)が、志願兵として第一次世界大戦の戦場へと赴き、直撃弾で顔面を吹き飛ばされ、両手両脚も失ってしまいます。眼も鼻も口も耳もない、もはやイモ虫のような肉塊は、知覚も記憶も思考も持たぬ、一個の"個体"とみなされ、病院のベッドに横たえられ、やたらに管を突っ込まれ、白布に覆われて、軍医の研究材料用として生かしおかれるのです。
けれど、ジョーは、まさしく"生きて"いたのです。まぎれもなく、"人間"として。見えず聞こえず、しゃべれぬ暗黒の世界で。彼の意識にはさまざまな想念が浮かび、駆け巡ります。恋人と結ばれた一夜と別れ、敬愛した父(ジェーソン・ロバーズ)との思い出や、優しかった母の姿や、勤め先のパン工場のこと、また、ひどく俗っぽい"キリスト"と呼ばれる男(ドナルド・サザーランド)との出会いなど。
この回想と幻想の、鮮烈な色彩映像はどうだろう。みずみずしさに優しさが広がり、清冽な美しさに悲しみが立ちのぼります。そして、黒白に閉ざされた病室の現実の場面と、明暗を交錯させるのです。
途方もなく、気の狂いそうな"孤絶の世界"で、彼はのたうちます。だが内心の声は、叫びは、誰にも届きません。助けてくれ、どうにかしてくれ、外へ出たい。そうだ、僕を見世物に、サラシ者にして、みんなに戦争の正体を見せろ。
それがダメなら、いっそ殺してくれ! ついに、ようやく彼は、頭を上下に振ってモールス信号をたたき、その意思を表明するのだけれど、驚愕した軍部は、逆に彼を倉庫の一室に"生ける屍"として、生ある限り閉じ込めてしまうのです。
看護婦の一人が彼を哀れみ愛しんで、その額にキスをし、その若い肉体に男の証を探ってやり、更にクリスマスの祝いの言葉を、その胸に指文字で書き伝える時、狂喜した彼が激しくうなずく場面では、抑えていた涙があふれてきて止まりません。
だが彼女もまた、彼を救うことは出来ないのです。助けてくれ、殺してくれ。むなしく声なき声を叫び続けてジョーは、なおも"無限の闇"を生きながら死に、死にながら生きねばならないのです。細胞の働く限り、肉塊の老い朽ちるまで------。
なんという恐ろしさ、悲惨さだろう。静かな怒りをこめた、これは見事な反戦映画ですが、同時に、あまりにも切ない青春映画であり、そして何より人間の生命の根源と尊厳を問いかける、まぎれもなき愛の映画であると心の底から思います。
この「ジョニーは戦場へ行った」という映画は、今、繁栄の怠惰に身をひたす我々、一人一人に突き刺すばかりの、ダルトン・トランボ監督のすさまじい執念を感じる祈りの一作だと思います。
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