今は遠くはかなき、華麗なるアメリカの幻影が痛ましい 「華麗なるギャツビー」 - 華麗なるギャツビーの感想

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今は遠くはかなき、華麗なるアメリカの幻影が痛ましい 「華麗なるギャツビー」

4.04.0
映像
4.0
脚本
4.5
キャスト
4.0
音楽
4.0
演出
4.5

この"失われた世代"の悲劇の作家、F・S・フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」の映画化作品は、冷徹なロマンティシズムをたたえ、"整然たる構成の美"を保つ原作の良さをそのままに、乱れず、おぼれず、歌わぬ、ジャック・クレイトン監督の演出の知的な情感に、たちこめる悲しみの香気が切ない。

第一次と第二次の二つの世界大戦のはざま、やがて襲う経済大恐慌も知らぬ、繁栄と頽廃の1920年代半ばのアメリカ。これは信じがたいまでに、純情無残な恋物語なのです。

貧しい農家の子として生まれたギャツビー(ロバート・レッドフォード)は、8年前、陸軍少尉として駐屯した町で、良家の美しい娘デイジー(ミア・ファーロー)と恋におちる。だが愛を確かめて、フランス戦線に出征したまま、彼が帰らぬ間に、彼女は結婚してしまうのです。

青春を賭けた恋を失い、奮起した男は暗黒街に身を置き、酒の密売で巨富を得て、女が富豪の夫(ブルース・ダーン)と住む高級別荘地の、湾を隔てた向こう岸に、白亜の豪邸を構えるのです。彼が夜ごと開く豪勢なパーティーも、一筋、憧れの人との再会を待つためなのです。

やがて、再び二人はめぐり逢い、愛がよみがえり、男と夫は対決するけれど、心乱れた女が犯した車の人身事故の責めを負って、ギャツビーは誤解の報復の弾丸に、命果てるのです。そのギャツビーの死に涙さえこぼさぬ、女のエゴイズムがすさまじい。

映画は、デイジーのまたいとこで、ただ一人ギャツビーの良き理解者であったニック(サム・ウォーターストン)の回想で語られるのだが、ニック、すなわち原作者である"失われた世代"の悲劇の作家、F・S・フィッツジェラルドと重ね合わせる時、今は遠くはかなき、華麗なるアメリカの幻影が、痛ましく浮かび上がるのです。

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