映画「ウルトラミラクルラブストーリー」を観て
難解な映画の始まり
思い切り散らかった部屋で目覚めた青年、陽人(ようじん)が起きだし、外に出て白いシーツをかぶり奇声を発しながら走り出す姿から始まった映画「ウルトラミラクルラブストーリー」を見た時、これは難解な映画に違いないと私の脳みそが感じ取ったのか、初めから理解しようとするスイッチが入ったような気がします。
今までにない、ぶっ飛んだ映画だという評判通りでしたが、最初からスイッチが入ったせいか全身で映画を感じ取る事が出来て、「ウルトラミラクルラブストーリー」は松山ケンイチさん主演の数ある映画の中で私にとって一番印象深く忘れられない映画になりました。
町子先生に一目ぼれ
陽人(松山ケンイチ)は子供のように思ったことをストレートに言葉に出し、行動に移します。その素直さを心地よく感じますが、半面自分の醜さを見抜かれているような怖さも感じます。陽人は東京からやってきた町子先生(麻生久美子)に一目ぼれします。町子先生を好きだという感情表現が素直で可愛く、拒絶されて傷つく事など微塵も考えない陽人が羨ましいと思いました。陽人の願いは町子先生と両想いになる事だけです。
私が町子先生のように軽度の発達障害の青年に恋を打ち明けられたら、どうゆう態度を示すのだろうかと考えてみました。やはり町子先生のように戸惑いながらも無下に冷たい態度はとれず、それでも絶対に恋愛対象にはならないので諦めてくれるのを待つでしょう。
知的障害のある人の鋭さ
以前、私は知的障害のある成人ばかりを雇い入れている所で2年くらいアルバイトをした経験が有ります。彼らの中には軽度の知的障害のせいか運転免許を持っている人も居て、リーダーのような役で働いていました。その人はある部分で物凄く感性の鋭い所が有りました。
横浜監督が陽人の可愛さと不気味さを表現できるのは松山ケンイチさんしかいないと話されているのを聞きましたが、確かに自分と全く思考回路が異なると感じる知的障害者を理解する事は難しく、分からないだけに私は不気味さを感じることも有りました。
初めは接し方が分からず戸惑っていましたが、彼らの精神年齢は低く子供のようだと分かってきたら変な気を遣わずに接することが出来るようにはなりました。
でも長い期間一緒に働くうちに、物足りなくなってくるのです。私の発する言葉が伝わりづらく、細かい心のひだのようなものを理解してくれません。会話がかみ合わず楽しくないのです。障害の無い人と話すとホッとして嬉しかった事を覚えています。
陽人と町子先生の間に相思相愛は成立しないのか?
キャベツ畑に埋まり顔だけを出している陽人に近所の小学生が農薬を浴びせます。病院に運ばれ、目を覚ました陽人はいつもの子供のような陽人ではなく年齢相応の青年に変わっていました。この変化を陽人が「進化」と言っていたのを新鮮に感じました。
ウルトラミラクルラブストーリーと言う映画のタイトルの意味が今一つ理解出来ませんでした。確かに陽人の一途な町子への愛が描かれていますがウルトラとミラクルが二つ重なったラブストーリーとは?
陽人は農薬を浴びると頭の中にあるいつものモヤモヤが無くなると町子先生に打ち明けています。頭の中のモヤモヤが晴れている時、町子先生の気持ちや世間の一般常識、頭の中がモヤモヤしている時の自分自身の状態が鮮明に理解できたのでは無いでしょうか?そして陽人は町子先生に「前のワイと今のワイとどっちがいい?」と尋ねます。「今のほうがいいわ。」と町子先生は答えました。
陽人は、町子先生のその一言で前の自分に戻りそうになったら農薬を浴びて好青年になり続けようとします。陽人は町子先生に好かれたくて命と引き換えに農薬を浴び続けます。自分の命と引き換えにしてまで町子先生に愛されたい陽人の愛はウルトラミラクルな愛なのです。
町子先生の悲しい過去
町子先生には忘れられない恋人・要(井浦新)が居ました。要は浮気相手と一所に居たところに事故に逢い亡くなりましたが未だ首が見つかっていません。町子先生は傷ついた心のままで青森にやってきたのです。
農薬のせいで心臓が止まった陽人は町子先生の恋人だった首の無い要(かなめ)と出会い、友達になり靴を貰います。心臓が動いていない陽人はあの世とこの世を行ったり来たりしていたのでしょうか?あの世で、要は死んだ自分をいつまでも忘れられずにいる町子先生を陽人に託したのでは無いでしょうか?
一日でも早く自分を忘れて幸せになって欲しくて陽人に町子先生を託し、靴をあげたのです。
心臓が完全に止まり死亡を確認された陽人ですが元気に生きています。この辺から映画の不思議度が倍増していきますが、初めからこの映画独特の世界に気付かぬうちに引き込まれていた私はさほど違和感は有りませんでした。分かり辛いと言われた津軽弁も映画の世界とマッチしていて体全体で理解できたように思います。
いよいよ難解度が高まる後半
心臓が止まっているのに元気な陽人ですが、黒いザックリとしたセーターを着ていたせいかクマと間違えられて射殺されます。今度こそ陽人は死んだのです。
せっかく町子先生に認められ「今まで通り一緒に暮らす」言われ、相思相愛に大喜びで森の中を駆け出し猟師に撃たれたのです。幸せの絶頂で死ぬことが出来て陽人は幸せだったかもしれません。
陽人が死んでも村の人たちは誰一人悲しまず泣きません。何故だろうと不可解に感じましたが、これも陽人から町子先生へのメッセージだと考えました。死んでしまった人を何時までも忘れられず思い出や後悔を引きづって、生きてはいけない事を分かってほしくて村人たちに魔法を掛けたのではないかと。
感じる青森愛
横浜監督と松山ケンイチさんは青森県に生まれました。「ウルトラミラクルラブストーリー」という映画は都会が舞台では生まれなかった映画です。発達障害のある陽人が一人で生活できているのは陽人を囲む村の人たちの大きな愛が有ったからです。陽人のストレートな言葉や行動に振り回され文句を言いながらも許して力になってあげます。横浜監督は母なる大地のような故郷・青森県で大きな愛情を表現したかったのではないでしょうか?
ウルトラミラクルな愛
陽人の残したものの中に町子先生にあげると書いてある陽人のホルマリン漬けの脳みそが有ります。町子先生は森の中でクマに襲われそうになり、子供を守るために陽人の脳みそを投げつけ、クマが食べる姿を観て微笑みます。
この場面でもウルトラミラクルな愛情が伝わります。陽人は町子先生が恋人・要への思いを吹っ切れずにカミサマ(藤田由美子)を訪ねている事も知っていて、死んだ人への未練や悲しみから解放してあげようと考えていたのだと思います。
町子先生はカミサマの言葉「生きているものは、死んでいるものの声に耳を澄ますのだ」という意味を理解したのだと思います。陽人も要も町子先生が過去にとらわれずに新しい一歩を踏み出してほしいと願っていることが分かったのです。
陽人は要から貰った靴を履いています。すなわち陽人は要だと言ってもよいのです。その要の脳みそをクマに投げつけることで町子先生は解放されたのだと思います。そこまで陽人は分かっていて町子先生をウルトラミラクルに愛していたのです。
私がいつまでも映画「ウルトラミラクルラブストーリー」を忘れられないでいるのは何故かと考えると、陽人の悲しさです。障害がある自分を町子先生は男として絶対愛せない事が分かり、愛を得るために命をかけます。自分の命に微塵も未練がないのです。そして死んだ後も町子先生の幸せを願っています。その大きな愛が子供のような陽人と釣り合わず切なく悲しいのです。
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