胸の痛みのするほうへ
そう遠くない未来が舞台
電脳コイルは、ウェアラブルコンピューター・電脳メガネが広く普及した202X年の世界を舞台に、子どもたちがメガネにまつわる謎に迫っていく物語です。現実の世界でも、2015年にアップルウォッチが発売され、ウェアラブルコンピューターが身近なものとなってきています。今後は、コンピューターは持ち歩くものという概念から、身に着けるものという概念に移行していくのかもしれません。さらに、物語のメガネはとくに若い世代にとって欠かせないものであり、これは現実でのスマートフォンとよく似ています。このように、本作はフィクションでありながら、まったくの絵空事とは言い切れないリアリティや、そう遠くない未来を感じさせるのです。
古い空間に残るバグとサッチー
主人公・ヤサコが引っ越して来たのは、古い電脳空間が随所に残る寺社仏閣の多い町でした。整備の進む町にある寺社仏閣の存在は、どこか取り残された古い記憶を想起させ、この町になにか過去の秘密があるような予感を持たせてきます。
また古い空間には、古いソフトウェアによるバグや、バグが固まったメタバグが発生します。古い空間とバグ除去のため導入された強力な駆除ソフト・サッチーは、都市機能を守るため、子どもたちが楽しんでいるようなバグも強制的に排除していきます。その様子は、まるで年齢が来れば強制的に子どもから大人にならざるを得ない現実を表しているかのようです。現に、主人公たちの年齢は十二歳。次の年には中学生になるというところ。そろそろ明らかな子どもではなくなり、徐々に大人として成長していかなければなりません。バグが子どもの遊び心、メタバグが思い出だとすると、サッチーは人間社会であり、冷酷無比な現実だと考えられます。人は、子どものときの気持ちを忘れながら大人になります。実際、サッチーを怖がっているのは子どもたちだけであり、サッチーをコントロールしている十七歳の「おばちゃん」は外見にしても、役割にしても、じゅうぶんな大人と呼べる存在でした。
痛みのないアッチの世界
謎の電脳空間・アッチの世界に住んでいると噂されるミチコさんは、イサコの嫉妬心から生まれた電脳生物でした。人の心にある弱さや甘えがミチコさんを生み出すのだとすれば、私たちは皆、ミチコさんやアッチの世界と無関係ではいられないでしょう。
ミチコさんは、呼び出して契約すればなんでも願い事をかなえてくれると言われています。しかしその代わり、契約した人間は現実にはいられなくなり、ミチコさんの作り出す優しいだけの世界に閉じ込められることになります。それは、つらい現実を受け入れられず、大人になることを拒んだ者の行きつく場所ではないでしょうか。アッチの世界に行ったイサコは、現実で意識不明の状態でした。病院のベッドで横たわっている、痩せた体の子どもでした。電脳の世界で生きるということは、いつまでも良かった過去の記憶を繰り返し、同じところに居続けるということ。心だけ過去に置いてくれば、現実にある体は弱っていきます。痛みのない世界など現実にはないのだと、まざまざと突きつけられます。
最後、イサコはつらいことのなにもない痛みのない世界から出ていこうとします。出口の方向は、胸の痛みのするほうです。この痛みこそが、作品の伝えたかったもののひとつではないでしょうか。なにか大切なものを失ったとき、つらいものに向き合ったときに感じる胸の痛みは、たしかに現実であり、ほんとうのものであり、そして、大人になっていくために必要なものなのです。
痛みのするほうへ進んでいくと、そこにはヤサコという人間がいました。道は、ヤサコという他人の心へとつながっていたのです。優しいだけの世界は閉じられていましたが、痛みのある世界は他人の心とつながっていました。前に進むと決め、子どもから大人になる痛みを乗り越えたその先に、他人の心へと通じる細い道が見えてくるのです。それは、楽しかった過去を置いていかなければならない悲しみや、大切なものを失った痛みをひっくるめた、成長という言葉であらわされるのではないでしょうか。
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