悲劇を生んだピアノレッスン
不埒ながらも正直な欲求
主人公のエイダに誰もが自己愛が強い人だと感じてしまうのではないかと思います。自分の決して贅沢は言えない身の上も、幼き子供が母を求めていることも、自分を受け入れてくれる結婚相手さえも忘れて、自分の求める愛をただひたすら追及する女性。エイダは傲慢でプライドも高く、自己中で人の言うことになかなか耳を貸さない。それでもなお主人公の気品、容姿の美しさ、繊細に織り成すピアノ、読み取れない感情などの魅力に、周りの登場人物に加えて、映画をみる鑑賞者までも引き込まれてしまうのだと思います。
ベインズの魅力にノックアウト
しかし主人公エイダの美しさに負けず劣らず、原住民役のベインズが格好いいです。決してベインズは若くもなく、顔も良くなく博識ではない(顔に原住民シンボルのペイントか刺青をしているのが怖くもある)。むしろエイダの元々の結婚相手のスチュアートの方が端正で、資産家で知識人で、一般的には女性に好まれると思います。それでもベインズの本能的な考え方、エイダを尊重し距離を置こうとする低姿勢な姿が強くもあり、可愛らしくも見えていきます。そして美しいエイダに何度もアプローチする様が、巧妙であり、豪快さもあり、欲求のままで。エロチックながらも、ピアノレッスンを介しての二人の密会の場が厳粛的で素敵でした。ベインズに迫られたら今の世の女性はみんなノックアウトです。またベインズの中年のたくましすぎる肉体美にも、ノックアウトです。
フロラとスチュアートにおいては
娘のフロラはもはや物語の繋ぎ目、解説者の役割を担っている感じでした。母親のエイダからも半ば放棄されて、むしろフロラのほうがエイダをきにかけることが多くて健気です。そりゃあエイダにとっては不仲のスチュアートに、ベインズとの密会を告げ口したくなる気持ちは分かります。フロラとしてはいつまで経っても自分の方を振り向いてくれないエイダに対する気持ちがスチュアートと同じで、共感してしまったのだろうと。それにしても夫のスチュアートは最大限にエイダを受け入れようとした努力も空しく、最終的には嫉妬に狂った、村一番の危険人物と成り下がってしまったのがかわいそうでもありました。愛や嫉妬は人を狂わせると言いますが、エイダのピアノには不可欠な指を斧で落とすという狂気。物語のすべての登場人物が愛に餓えていて、それが噛み合わせことができず、村の悲劇を生んだ、やれやれと呆れてしまうような劇場でした。ともかくエイダは心が通じるベインズと一緒になることができて、ハッピーエンド?だったのかなという感想です。
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