祖父の生き様を受け止めようとする若者の苦悩に共感できる
全く違った価値観を持つ時代への理解が深まる
第二次世界大戦中というひとつの期間ほど日本国民の価値観が迷走した期間は、歴史上なかったろうと思われる。絶望的な戦局の中、特攻隊という「必ず死んでしまう」攻撃法に参加することを志願した実の祖父の生きざまを調査するという孫の行為に非常に好感が持てる。一つの事柄に対して、それぞれの人の感性によって感じ方や見解が異なるように、特攻や戦争そのものに対してどういう捉え方をしていたのか、当時を生きる人でも様々であったに違いない。戦争を伝える際、つい一つの価値観で涙を誘う美談に持っていきがちである。しかし、永遠の0では、戦争とは何か?という問いへの回答が一つではないことを、宮部久蔵という特攻隊員への評価が人によって全く異なることで見事に表現されている。
坂井三郎氏の「大空のサムライ」との比較
この作品は坂井三郎氏の「大空のサムライ」とそっくりであると評されていることがあるが、しっかり読むと特に似ているところはない。坂井氏の著書はノンフィクションであり事実に基づいた記録である。その史実の中に架空の人物である「永遠の0」の登場人物を登場させたため、史実に忠実な部分が重なってしまったという印象を受ける。かえって坂井氏のノンフィクションを参考にされていることにより、宮部や宮部を知る搭乗員が実在したかのように思え、人物に深みが増し、時代考証がしっかりされていると感じる。
特攻隊員はテロリストではないという強いメッセージ
この作品で著者がもっとも訴えたかったことは、宮部の孫の慶子の婚約者、高山と宮部を知る元特攻隊員、武田貴則との言い争いのシーンではないだろうか。特攻隊員はテロリストであるとする高山に対し、断じて違うと言い切る武田。武田の激高ぶりが鬼気迫るようで、読み手をはらはらさせる。著者百田氏は戦争を知らない世代であるが、元特攻隊員の武田というキャラクターを通じ、祖国と家族を守りたいという気持ちに殉じた特攻隊員の魂の叫びを代弁しているようにすら思える。特攻隊をテロリストと言った高山と慶子は結局結ばれることがなかったあたりも、彼女が高山の思想にがっかりしてしまったところが多分にあるだろう。百田氏もこの小説の執筆にあたり、主人公の佐伯姉弟以上の取材をされたと察する。そこで知りえたであろう、多くの特攻隊員の遺書の行間にある、途方もない苦悩と、途方もない「守るべきものへの愛情」がテロリズムと比較されるべきではない。そのような筆者の強い思いを感じる。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)