結局何が言いたい? 永遠にゼロ
目次
考察概要
「特攻」を中心に戦争体験者の言葉を若い人が聞きながら考察していく、という流れの本作品、多分前述の骨子の部分だけ丁寧に書けば、半分の厚さで終わると思う。
しかし、実際の作品はやたらと長い。
若い2人の現代での生活、戦時下の戦略、戦術批判(戦争批判ではない)、作者が大好きと聞いているが過剰なまでに長い戦闘機自体の記述、いろんな要素を盛り込みすぎて、しかもそれぞれの要素を放置しすぎて、結局まとめきれずに終わっているように思う。
その上、ラストシーンはおそらくこれがテーマかな、と思われるものをぶち壊す内容で、何故この小説がこんなに売れたのか、正直さっぱり分からない。
以降、この作品が取りえた可能性に記述する。
可能性1:主題が戦争批判だとしたら
この作品が、とにかく戦争はこのようにむごいものです、2度と繰り返してはなりません、
という主題であれば、やたらと長い日本の戦闘機がいかに凄かったか、という記述は全く必要が無いと思われる。あえて書くとすれば、高性能機に盲目的に頼った戦術が無謀であった、というせいぜい1ページ程度の記述で十分である。
もう一つ必要ないのは主人公(?)健太郎の祖母松乃の戦後の数奇な運命の記述だ。
ドラマチックではあるが、要約すれば「つらい事はあったけど、まあ何とかなりました、」であることや、「松乃を助ける景浦」「賢一郎を助ける宮部」がキャラクター中心のドラマ過ぎて、おそらく一般の戦争体験とは言い難い。
この部分がメインなのであれば、戦争を背景にしたヒューマンドラマにすれば良いので、
テロリストがどうとか、戦闘機の性能がどうとか、は全く必要ない
可能性2:特攻隊がテロとは違う、と言う主題であれば
そもそもどう違うのかが語られていないので、この主張自体成り立つのか不明だ。特攻が志願と言う形を取っているが実は強制的だった、という記述は多いが、では中東の爆弾テロはどうなのか、という話をすべきであろう。
彼らも生まれた時からテロリストであったわけではない。生まれた国家が不安定であったり、紛争中であったりしたためにそのように育っていっただけの事だろう。
現状の要素のまま、何か「テロ」に関連したテーマ性を持たせるのであれば、戦争や紛争は結局無数の個人を被害者にする、という事くらいではないだろうか。
しつこいようだがこの場合ももちろん戦闘機の記述は全く必要が無い。
ゼロ戦が大好きだからとにかくそれを書きたかった、のであれば
とにかく長い長いあくびが出るような戦闘機の記述が生きるのはこの場合しかありえない。
しかしこの時、現代を生きる若者たちや、松乃の戦後の苦労話、など一切必要ない。
宮部すら必要なく、ゼロ戦開発者の話にでもすれば、困難の時代に究極の名機を作った優秀な技術者、という人間賛歌にもできたかもしれない。
ただしこの場合、日本でもっとも有名なアニメ制作会社の作品とかぶらないように注意すべきであろうが。
また、特攻隊の雄姿を書きたかったのであれば宮部の人となりが全く整合しない。
当時の日本の戦略、戦術批判をしたいのであれば
宮部の人となりにまつわる記述、松乃の存在自体全く必要ない。
特攻自体を批判した宮部を中心に書きたかったのであれば、
おそらくこれが一番主題足りえるものだと思うのだが、この場合、絶対やってはいけないのが、現在のラストシ-ンだ。
敵軍に「奴は本物のエースだ。」と言われた時点で、戦果や称賛など必要ない、戦友たちの無駄な死を無くしたい、ただ家族のもとに生きて帰りたい、という宮部の思いはゼロになってしまう。
上記のテーマを強調できる米軍兵のセリフは「この男も国や妻子を守りたかった、我々と同じ人間に過ぎない」という種類のものだ。ちょっとそのような意味のセリフも米兵の中から出ているのだが、締めくくりとして「エース」「サムライ」操縦技能の秀逸さにフォーカスしている。
結局作者自身が宮部は凄いパイロットという意識が強く、特攻など無駄な行為と言うのが後付けだったのだろう。
あるいは敵艦に突っ込まず、あえて海面に激突して自分の死を持って特攻を否定するなどの方法もあったかもしれない。
百田氏が放送作家出身という背景から考えれば、テーマの追及よりも画面的に迫力があるシーンを描く方を選んだ、という推理が妥当なのかもしれない。
それは結局本作品に言いたいことはなく、戦闘機=兵器のカッコよさを骨子に、戦争反対という口当たりの良い合言葉を表面薄くメッキした底が浅い作品であることを証明している。
この作品を戦争賛美という人もいるようだが、戦争賛美する勇気すらない、単なる兵器オタクの兵器賛美というのが妥当だろう。
それにしても繰り返しだが最後の米兵たちの言葉は宮部の思いを「ゼロ」にしてしまい、いろいろな疑問を感じながらそこまでの数百ページを読んだ私の時間を「ゼロ」にした。
もし百田氏が、最後にミスマッチなセリフで読者の時間を奪うことがこの「永遠のゼロ」というタイトルの真意だ、というのであればまさにそのとおりであり、完璧な仕掛けと言わざるを得ない。その真意があった場合のみ、この作品を傑作と認識し、私は氏に対して惜しみない称賛を送るだろう。
もし現状の構成のまま成り立たせたいのであれば
それぞれの要素に分け、「戦争を考える」という程度の主張はないオムニバスにするか、
「テーマは無いけどいろんな事が起こるのが戦争です」と言い切るか。
それにしてもドキュメント要素と後半の松乃に関連する「奇跡のドラマ」要素が同居するのは困難と思われる
以上、いろいろ書いたが、結論としてはどこを切っても中途半端な作品である、という事だ。
ただし、繰り返すが後半の松乃、景浦、賢一郎たちの関係性はドラマとしては面白いので、毎年8月に放送される戦争を背景としたハートウォーミングドラマとして書き直してはどうだろうか
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