かっこいいヒーロー
ヒーローになるために
いつでもヒーローは人々の心に焼き付き、憧れを抱かせる。この漫画の主人公サイタマもそんなヒーローに魅せられた少年に一人であった。
サイタマの夢はヒーローになることだった。しかし大人になるとそんな「少年の夢」は叶わず諦めて就職することになる。そんなとき子供が怪人に襲われる時間がきっかけとなり再びヒーローを目指すこととなる。
死ぬようなトレーニングの末、彼は最強の力と肉体を手に入れた。(ただ頭髪は失われてしまった…)彼が行ったのはものすごい量の走り込みや筋肉トレーニング。トレーニング量は尋常ではないがマンガ的なものすごいマシーンや薬を使ったわけではない。「ヒーローになりたい」という強い思いがあったからこそ彼はここまでできたのだ。
ガロウの「ヒーロー」
趣味ヒーローから職業ヒーローになってから様々な問題や怪人を「ワンパンチ」で解決していくサイタマ。なかなか評判もランキングも上がらず悩む日々が続くなか、ある人物が現われ世間を揺るがす。怪人に憧れる人間ガロウだ。
彼は幼い頃から怪人に憧れていた。しかし、テレビで見る戦闘でみんな怪人は「悪役」だった。彼はそれでも怪人を応援していたが、世間にとっての「正義」とはみんなヒーローで怪人はただただ「悪役」でしかなかった。家族にすら理解されない彼のなかでいつしかヒーローは「邪魔者」になってしまった。ヒーローの下で修行し、力をつけた彼はついに「ヒーロー狩り」を始めた。
ヒーローとは人によって姿を変える。ウルトラマンがヒーローの人もいれば仮面ライダーだったり、人類を救うのが目的ではないが結果的にそうなってしまったゴジラなどもそれにあたるだろう。正義だって人によって、はたまた土地によって違うのだ。だから、そういう論争は必ずは起きてしまう。どちらが正義なのか。正義のために悪役は倒さないといけない。でもその悪役にとっての正義は「ヒーロー」の考えるそれとは違うのだ。でも「正義のヒーロー」が正義であるためには「悪役」が必要なのだ。なんとも皮肉だなあと思う。だからガロウの思う「ヒーロー」は誰かにとっては「悪い怪人」で、誰の思う「ヒーロー」はガロウにとって「邪魔者で弱い偽善者」でしかない。
サイタマにとっての「ヒーロー」
サイタマにとってのヒーロー像とはなんだろうか。時々彼の考える「ヒーローってこんなもんだろう」という言葉が現われる。ヒーローは辛くても、孤独でも強くあらねばならない、かっこよくなければならない。彼の口から放たれる言葉はヒーローではない人々の心にも突き刺さり、時に奮い立たせるのだ。きっと彼自身がヒーローの大ファンであるからこそなのだろう。だから「かっこいいヒーロー」から外れようとするものには例え相手が怪人でなくてもその拳をふるうのだ。そんなサイタマは「かっこいいヒーロー」に見えていつもワクワクする。
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