1991年の視点とその批判
哲学入門として
この本は哲学の入門本としておすすめされうる本です。ここでいう「哲学」とは西洋哲学のことであり、タレスから始まって、最後は国連で話を終えています。読み物として、あるいは西洋哲学入門としては優れていますが、話の終わり方には疑問符を付けざるを得ません。この小説がハイデガーの思索を追う手紙・哲学講義であるとして、ハイデガー問題(ハイデガーがナチスの後ろ盾になっていたこと)は言及されていません。そして最大の疑問符は欧米中心社会への疑問符の不在であり、対イスラムに対する考え方の不在です。
国連が正しいで終える意味
ソフィーが国連を応援しているシーンがありますね。これは作者がノルウェイ人=ヨーロッパ人ということもあって、当時の世界の秩序に疑問を思っていない証拠です。たとえば、作者が言うように本当に批判的な思考をすべきなのだと考えるのであれば、国連の常任理事国の話をすべきなのです。現在、アメリカ、中国、ロシア、フランス、イギリスが国連の常任理事国として機能しており、これらの国々は拒否権を持っていると。すなわち、彼らは自分の国の益にならないことであれば、拒否する権利を持っていると。このことだけを考慮しても、ひとえに国連に対して全面的な賛成とはならないはずです。少なくとも、ソフィーに「国連頑張れ」と小説の中で言わせることにためらいを持つべきではないでしょうか。
他者の不在
私がこの本で最も問題であると考えている点は、上記のような欧米中心秩序に対する疑問の不在=イスラームの秩序や宗教の秩序に関してほとんど無言及だということです。1991年に出版されているということは、その前にイラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻のあとに書かれていると理解できます。冷戦が終わりかけているときに、西側諸国の正当性を確信している時期であるからこそ、この小説は新たに異なる他者を取り入れなければならなかったでしょう。イスラーム法を西欧的思考に対置させるくらいの余裕が欲しかったです。
時代背景による不可能性
1990年前後は世界の歴史にとって衝撃的な時代でした。冷戦構造の終結、ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、湾岸戦争、歴史が目まぐるしく動いている時でした。同時に、欧米対イスラムという分かりやすい構図にはいまだなっていませんでした。サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」を出版したのが1996年なので、アカデミズムの中でも「イスラームに対する視点」が主題ではない時代であったと認識できます。同時にテロリズムという言葉が現在のように流行語でなかったと考えると、私の批判は25年前の本を現在的な視点で批判しているに過ぎないのです。
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