どこまでも美しい、18世紀ヨーロッパ。
キューブリック監督が描いた「ヨーロッパ」
この映画で、だれしもが感動するポイントは、なんといっても「映像」そのものの美しいさである。天才キューブリック監督が、失われてしまったヨーロッパの風景を見事に映像化している。まるでヨーロッパの風景画そのもののようなカットが多くみられる。人物の配置、さらには遠くに映っている山々の稜線のバランス、角度、そういった要素までが計算しつくされているかのように感じる。私はこの映画を観ると、映画の持つ可能性の大きさと、映像そのもののの力強さに圧倒されてしまう。まさにこの映画は、観る者を別世界に、美しい自然や風景に囲まれた18世紀ヨーロッパにいざなう映画であるといえる。映像そのもので、これだけ観る者に語れる監督は、キューブリック以外に誰がいるだろうか?
一人の男の悲しく、はかない人生
主人公はエドモンド・バリー。彼はヨーロッパを旅し、数奇なめぐり合わせの結果、バリー・リンドン卿としての地位を獲得していく。映画は2部構成となっており、前半はエドモンド・バリーがバリー・リンドン卿になるまでの出来事を、後半はバリー・リンドン卿の悲しい運命を描く。これを見て思う。彼にとって一番幸せな時間はいつだったのだろうか?僕には、経済的にも社会的な地位にも恵まれたリンドン卿としての生活が一番幸せな時間だったとは思えない。もしかしたら、この世における一人の人間の人生というものは、このようにはかなく、せつないものなのかもしれない。それはいつの時代も変わらないのだ。
リンドン卿の息子の死
この映画において、リンドン卿の人生を悲しいものにし、観賞するものを涙させるのは、リンドン卿の息子の悲劇的な死である。調教される前の馬に、愛する息子は乗ってしまった。そして落馬した。それが原因で幼い息子は死んでしまう。瀕死の息子がベッドに横たわり、リンドン卿夫妻がそのそばについて、バリー・リンドンが息子におとぎ話を聞かせようとするが、泣き崩れてしまう。ああ、これほどの悲劇がこの世にあるだろうか。私はこのシーンを初めてみたとき、涙してしまった。この事件を境に、リンドン卿とその妻の人生は転落していく。このはかなさ。悲しみ。単に他人事としてこのシーンをながめる人も、中にはいるかもしれない。しかし、なぜか感情移入してしまう。まるで自分の身の周りで起こっている出来事のように。それが、この映画の持つメッセージの普遍性なのかもしれない。
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