主人公バリー・リンドンの遍歴と冒険、恋、戦争、貴族社会を描いた「バリー・リンドン」
スタンリー・キューブリック監督の「バリー・リンドン」は、もう何度観たかわからないほど、それほど大好きな映画です。 この作品は、成り上がり貴族バリー・リンドン(ライアン・オニール)の恋と野心、決闘と詐欺の半生を、巨大な歴史のうねりの中に描き上げた異色の大河ロマンで、ウィリアム・メイクピース・サッカレーの同名小説を原作に、18世紀ヨーロッパの片田舎や貴族社会を、風俗の細部に至るまで緻密に再現していて、もう見事としか言いようがありません。
繰り返される戦争や、何も生まない支配階級の巨大な空虚さを、くっきりと浮かび上がらせています。 柔らかな自然光を見事に生かした野外撮影も、高感度フィルムと特殊レンズで蝋燭の光の下での当時の暮らしぶりに迫った室内撮影も、文句なしの一級品だ。 めくるめくような映像。どのワンカットも緻密に計算され、構築され創造された表現美の極致を示していて、まさに息が詰まるほどの素晴らしさだ。
そして、それはまろやかで、悠々として、淡々と語られる叙事詩になっている。 偶然というより運命とでも呼びたい主人公バリー・リンドンの遍歴と冒険、恋、戦争、貴族社会。 一人の男が18世紀という時代の真っ只中で生きた軌跡。
お話自体は、よくある出世物語だが、十分に劇的で、それでいて少しも大仰ではない。 まるで当然そうなるべく定まっていたように、バリーは彼自身の一生を生きぬく。 そこには打算も情熱も苦悩も喜びも、束の間の平安も挫折も、ありとあらゆる意思と感情の葛藤があり、同時にそれは、整然と秩序立った"時代の観念"とでも言うべきものによって統一されている。
人物の動きは、ほとんど様式的といってよいほど典雅であり、だからこそ、化粧した男たちもグロテスクではない。 戦闘さえもが優雅で美しいのだ。 そして、ここまで人間の一生というものを丸ごと把握し、重厚なタッチで凝視した果てには、もはや、なまじっかな感銘や主題は不要なのだ。 いわば、時代そのもの、人間の生の転移そのものが、このスタンリー・キューブリック監督がめざした表現だと思う。
そうなるともう、18世紀だとかバリー・リンドンその人だとかといった個別性は問題外だ。 ある大きな普遍性、歴史と人間の根底にある巨大な流れのようなもの、そこに目が向けられた時、この映画は地味なまでに枯れた風格を持った美しさを獲得したのだと思う。 カメラ、ライティング、衣裳、演技、音楽といった方法論が、それぞれに、また相互に絡まって、時代と環境の雰囲気を創り上げ、それによって主題となる、"ある巨大な流れ"そのものを描き出す。 方法論と主題の完璧な一致が、この映画にはあると思う。
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