本気でふざけている映画 - 裸の銃(ガン)を持つ男の感想

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本気でふざけている映画

5.05.0
映像
5.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

フランクという主人公の魅力

ド天然の力で事件を解決する主人公フランクが、当作品の最大の魅力だといえます。

そのド天然の力は、同僚をも殺してしまうのではないか、というほど強力なものです。事件の首謀者に同僚が撃たれ、殺されそうになります。しかし、その同僚に、天然キャラクターの力で追い打ちをかけ、怪我を酷くしているのは主人公フランクの存在です。

しかし、同僚の怪我を酷くしている自覚は皆無で、ただ酷い目に遭わされ重症である事実だけを捉え、犯人逮捕と事件解決のモチベーションにしています。

観点を変えれば、同僚の暴行事件における首謀者は、主人公のクランクであると考えることができます。あまりに、そのモチベーションの在り方が不条理で、滑稽に感じられるのです。

そして、主人公のフランクが笑っている場面は少なく、本人はハードボイルド系の刑事のつもりでいます。本人の自覚と現実に大きな乖離があり、その乖離がフランクという人間性に、大きな二面性を打ち出しています。

その点が、主人公フランクという刑事の最大の魅力と考えられます。

また、二面性という点においては、外見は定年間近の容貌です。しかし、身体は非常に筋肉質であり、二面性を打ち出しています。明らかにフランクの筋肉質な身体を映した場面は、別人のものであり、誰もツッコむことをしていません。むしろ、ツッコんでいるのは、自身の身体のマッスルぶりに驚いているフランク本人なのかもしれません。

また、熱血漢でありながら、急に、手の平を返すような冷静さも持ち合わせています。

フランクという人物像やキャラクター性は、一定のものに定められておらず、様々な表情をみせることが魅力とも考えられます。

そして、さらにフランクの魅力は、フランク役である男優のレスリー・ニールセンによる顔芸による部分も大きいのだと考えられます。

場面場面でフランクの見せる変顔は、明らかに観る者の笑いを誘うものであり、日本文化でいう顔芸そのものです。レスリー・ニールセンの本職は、俳優なのでしょうが、コメディアンでもあるのだと考えられます。日本の俳優で例えるなら、竹中直人さんを挙げることができるのではないでしょうか。竹中直人さんとレスリー・ニールセンは、同じジャンルの俳優であることは間違いのないことでしょう。

濡れ場で笑わそうとする描写

濡れ場を描きながら、濡れ場で笑わそうとする発想は、日本のコメディー映画では見られないものだと考えられます。

おそらく、映画史上に残るであろう濡れ場なのではないでしょうか。

日本語でいう置換法を明らかに悪用しているケースだと考えられます。悪用といっても、悪意のある描写という意味ではありません。悪意はないものの明らかに、ふざける気持ちで制作されていることは否めません。男性器や女性器という直接的に描写することができないものを、物に置換し、描写しているのは凄い発想です。

走っている汽車がトンネルに入っていく場面を挿入していること、大砲から白いタイツを着た人間が打ち出される場面など、間違いなく性行為を置換している描写です。

「ふざける」ということを本気でやれば、凄まじい面白さになることの表れだと考えられます。

間違いなく下品な場面ですが、直接的な描写ではありません。しかし、性行為を思わせる場面と置換することによって、それを表す場面を表現されているのです。観る者として、率直な感想は、下品さを感じる場所を遥かに通り越して、その下らなさ過ぎるアイデアに感動してしまいます。

そして、観る者の反応を理解したうえで、こういった手法を用いて、制作者は濡れ場を描いているのだと考えられます。

さらに、濡れ場ではありませんが、チェーンソーを思わせるエンジンを搭載した大人の玩具の存在にも笑えてしまいました。

本編で描かれていた、あんな玩具を生身の人間が使ったら、どれだけハードなSMプレイ嗜好な人であっても、確実に命はないと思うのです。それこそ、フランクの同僚の怪我レベルでは済まず、お尻が二度と使いものにならなくなるのが、容易に想像できて笑えてしまいました。エンジンで動き、チェーンソーのような音を立てて激しく動く玩具の存在は、インパクト抜群です。

オフィスへの潜入捜査

主人公のフランクは、捜査の手掛かりを求めて、犯人と目測している人物のオフィスに潜入捜査をする場面がありました。

オフィスに潜入する際に、過剰にバク転や宙返りをするシーンがあり、フランクを演じるレスリー・ニールセンでは、明らかに不可能な行動をします。60歳近いと考えられるレスリー・ニールセンでは、バク転や宙返りは到底できないであろうことから、代役がしていることは間違いありません。

明らかに代役を立てていることを匂わせており、笑わせようとしていると考えられます。

主人公の代行は、観客に分からないように自然に行うのが、一般的な風潮だと考えられます。しかし、当作品の描写は、意図的に代行であることを目立たさせ、わざとらしく強調して、笑いを誘っていると考えられるのです。

また、この場面での笑いは、本番の前座的な笑い、要は「掴み」と呼ばれるものに過ぎません。

なんとか潜入に成功したフランクは、誤って書類を燃やしてしまいます。火を消そうと、燃えた書類をゴミ箱に突っ込みます。そして、さらに自身の足をゴミ箱に突っ込み、文字通り、足で揉み消そうとします。しかし、不幸なことに、ゴミ箱から足が抜けなくなってしまうのです。当然のことながら、燃え盛ったゴミ箱から抜けない足に、熱くて飛び跳ねるフランクの姿があります。

この時点で、すでに充分に、主人公フランクの姿は滑稽です。

ここで終わってもよいのですが、さらに追い打ちをかけ、さらに観客を笑わせることを止めません。

ゴミ箱が燃え盛っていることで、火災報知機が発砲して、スプリンクラーが発動します。そして、雨のように室内に降り注ぐ水で、自動演奏機能を備えたピアノが作動します。

ピアノの演奏が始まることで、燃え盛るゴミ箱に足を突っ込んで飛び跳ねているフランクは、ピアノ演奏に合わせて飛び跳ねているように映るのです。フランク本人の不幸と、ピアノ演奏に合わせて踊っているように見えるフランクの姿が滑稽なのです。

終わると思っていた笑いが、さらに追い込んでくることでの意外性があります。そして、火事になったオフィスの中で踊るフランクの姿はインパクト抜群です。意外性に意外性を重ね、さらにインパクト抜群の映像を重ねて、「これでもか!これでもか!」と畳み込んでくるのに、観客としては、間違いなく観念してしまうのです。

過剰なバク転や宙返りで潜入する場面から始まり、徐々に畳みかける展開をすることで、笑うことが止まらなくなってしまうのです。一度、噴き出した大笑いは止まるものではないと考えられます。そして、次のステップに移行することで、笑いの勢いは強くなっていくのだと考えられるのです。

 

大胆な宣戦布告

事件の首謀者に目星をつけたフランクは、大胆に宣戦布告をする場面がありました。

しかし、結果的に、大胆な宣戦布告になったに過ぎません。

肉食の熱帯魚が泳ぐ水槽に、高級なペンを落としてしまったフランクは、ペンを水槽から拾おうとして、水槽に手を入れます。当然のことながら、魚は、フランクの手に噛み付きます。しかし、シリアスな場面なので、大声をあげて叫ぶことができません。この場面では、天丼と呼ばれる手法が用いられ、水槽からペンを拾えないフランクは、数度に渡って魚に手を噛み付かれてしまいます。

こんな滑稽な場面を繰り返されたら、笑ってしまいます。

うまくペンを拾うことができないフランクは、明らかに意図的であり、確信犯であると考えられます。

そして、ペンで串刺しにされてしまった肉食の熱帯魚が可哀相でした。魚に罪はありませんので、フランクの天然ぶりに巻き込まれた哀れな被害者だといえます。しかし、串刺しになった魚の姿は、事件の首謀者に対して、大胆な宣戦布告というメッセージになっています。

水槽に突っ込んで濡れてしまった手で、首謀者と目星をつけていた人物と握手する場面がありました。

当然のことながら、フランクの腕の袖から、ぼたぼたと水滴が流れ落ちます。

びちょびちょに濡れた手で握手すること、串刺しになった魚の姿、2つの大胆な宣戦布告はあり、観客に笑わせる意図が含まれたものだと考えられます。事件首謀者に対しての、嫌がらせ以外の何ものでもないメッセージであり、観客の気分をスカッとさせるものであると考えられるのです。

最後だけはラブストーリー

この作品はフランクとジェーンのラブストーリーという側面がある為、厳密にジャンル分けをしたら、ラブコメ映画なのだと考えられます。

しかし、一般的に作品が分類されているのは「コメディー」であって、「ラブコメ」ではありません。

強烈な笑いの印象が、「ラブコメ」というジャンルに分けることを許さないのだと考えられます。そして、案外、フランクとジェーンの結末を描いた最後の場面は、笑わせる要素がなく、本気のラブストーリー展開です。

これは、笑わせる気が一切ないという「笑い」と考えることができます。

昨今、話題になっているお笑いネタに「パーフェクトヒューマン」というものがあります。お笑いの大御所であるダウンタウン松本に言わせれば、笑わせる気がないという意思が根底にあって、笑いのネタとして成立していると語られていました。確かに笑わせるネタとして存在価値があるのに、本気で格好良さを求めてダンスしている様子は滑稽なものであり、笑いとして成立します。

その手法が、この作品の最後のラブストーリー展開に用いられていた可能性は高いのです。

お笑い一辺倒で描かれてきて、最後の場面だけ、本気のラブストーリー展開になるのは、明らかに不自然なのです。そして、ハッピーエンドで終わるのかと思わせ、最後に職場復帰を果たそうとした同僚が再び大怪我をする場面がありました。それは、本気のラブストーリー展開すらも、制作者にとっては笑わせる意図があったことを表しているようにも考えられるのです。

実際のところ、どんな意図があって、最後のラブストーリー展開は描かれたのでしょうか。真意は制作者本人にしか分からないことですが、皆さんはどのように考えられますか?

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