グロテスクな人間関係
無邪気な残酷
少女の残酷と紙一重の純粋さ、大人たちの純粋な邪気。この物語に出てくる大人たちは皆一癖も二癖もある。荒れ果てた地に住む魔女のような隣人、体は大人だが知的障がいのあるその弟。そしてローズのドラッグ中毒の父親。そんな大人たちに囲まれて無邪気に駆け回るローズという少女。ローズは一貫してただ自分の興味に基づいて行動しているように見える。およそ幼い子供が育つ環境とは思えない家庭環境で育ったためか、ひたすらに無知で純粋。作品の中でローズはただ少女であり、女であり、娘であった。隣人は大人ではあるがもちろんマトモではない。隣人もまた己の欲求のために生きている。隣人の弟が唯一まっすぐに純粋な人間であると言える。ローズは無邪気さ故の傲慢さを持ち合わせているからだ。
不器用な人間たち
隣人は初恋だったローズの父親を手に入れたくて、死体を剥製にする。ローズは恋愛ごっこをしてみたくて弟にキスを迫る。弟はただ自分の世界で生きていたいだけ。やり方は多いに間違えているが皆それぞれどうしようもなく不器用な人達のように思える。特にローズが父親が死んでいると確実に分かっているのに心で理解しようとしなかったり、隣人も隣人で死体と共同生活することで自分の心を埋めようとしたり。逃げと言われればそれまでだが、これも不器用な愛の形なのかも知れないと思った。この作品を通じて一概に悪役というものは存在しないと思う。誰も悪くなくて皆悪い。しかしそれは人間誰でも持っているものだ。私達が彼らの生き方を否定することは許されない。そんな絶対的な忠告を受けているようだ。
心の逃避行
現代版アリスと紹介されることも多いこの作品。確かにいいえて妙である。ローズの現実逃避(お人形遊びで人形が話したり)の描写が目立つ一方、隣人もまた死体愛好家(まではいかないが、死体をミイラ化するのに慣れているような)の節があったりと、これもしかしてローズだけが現実を見ていないわけではないのではないか?とこちらに思わせる。むしろ私達がこの作品を見ているが、これのどこまでが現実で起こったことなのか、それすらも曖昧になってくる危うさがある。つまりこの物語自体がローズの逃避で、幼いながらに追い詰められた苦肉の策なのかもしれない。少なくともローズはそれによってこんな悲惨な環境でも不思議なことに幸せ(幸福というより充実か)そうに見えた。ラストもハッピーエンドと取れなくもないが、現実を見ないように生きてきたローズにとってはバッドエンドなのかも知れない。
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