多分、勤勉な人が訳した方丈記
訳を読むと名文がわかる
方丈記が名文であることは、誰でも知っています。この本にも原文が読み仮名のルビ付きで掲載されているので、声に出して読むと、とても気持ちがよい。気持ちはいいけど、必ずしも意味はわからないので、訳を読んでから読むと、一層気持ちよくてよろしい。
この本は3段です、新書版の算段でしょうか
この本は1段目が方丈記の意訳で、当初「少年少女古典文学館10徒然草・方丈記」に掲載されたもの。2段目が俳句界に掲載された「ぼくの方丈記」。3段目が方丈記の原文です。1段目の意訳がとてもよい。子供向けというのは馬鹿にできないと感心してしまった。まとまった意訳でサクッと読むと方丈記の時代というものが心にはいってきます、今更ながら、平家物語と同じ時代なんだと思うと鴨長明や平清盛が本当に生きていたのねえと思えて、「ゆく川の流れは」が一層、心に響くように思う。
災難とは
方丈記は災難本だという人が友人にいて、あらためて読むと確かに災難の記述が多い。しかも驚くべきことに著者の個人的な災難はもっと多い。子供の頃罹ったポリオや、戦後の大連からの引き上げや、父を亡くしたことによる貧困など、わたしたちがいちいち傷ついてる日常の些事程度ではないことに感じ入ってしまう。著者はそれをさらっと書いていることにわたしは傷つく。「ムダに傷つきやすいだけでは駄目だ」といわれているような気がするからです。災難とは起こるもので、起こったら、それでも流れていくものらしい。「ぼくの方丈記」ではたくさんの人が亡くなっている、そこで著者は生き残ったことを不思議に感じながらも「ワニに片足をくわえられている人間は、どうしたって逃げることしか考えられないものだ」と述懐している、それは生き残った人のいうことで、亡くなった人はそれをいうことはできない、現実は実は厳しい、わたしも逃げて生き残りたいと願っている。
「密室で気楽にすることについて」等について
作家で成功する人たちは、社会性があるなあと感心する、この「密室で気楽にすることについて」や「友達について」を読むと、著者が多分勤勉で友人が多いことがわかるからです。自由な仕事は営業も兼ねるので、当然のことでしょうけど。それでも「友達はどんどん減った」らしいけど、それは、減る友達がもともといたってことですし。この本の美点は筆者が会社員をやめて、作家になった人なので、ときどきしみじみとくる記述に出会えるところです、例えば「三十なかばに会社をやめてしまったときは、正直いってとても寂しかった。とくに通勤定期券を持っていないことがとても心細かった」には、ジンときてしまいました、会社をやめて急にアイデンティティを失ったような無用の人になってしまったような感じを思い出しました。方丈記は名文過ぎて、気持ちいいけど、正直卑近な日常には引っかからなくて、そこを補ってもらうと、原文がますます気持ちよくなるなあと感じるのです。
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