承太郎、徐倫の犠牲も本作で報われている?
相変わらず、走りながら考える荒木飛呂彦
ジョジョの3部以降、スタート時点のキャラや能力はどこに行ったんだ?ということがしばしばだが、この作品については方向性すら違っているように見える。
3部ではスタープラチナが承太郎のコントロール下にないとか、ディオが念写しているとかは有名だし、4部の岸部露伴は登場時はどう見ても変態だ。5部のブチャラティもそう。
しかし本作は、たぶんだがスタンドバトルレースものとして始まったのではないかと思う。レースは最後までなくなりはしないが、バトルの目的は聖なる遺体集めになる。これは考えた上のことだろうか?開始当初は掲載誌が週刊少年ジャンプだったが、月間のウルトラジャンプに移行したことの影響なのか、内容を変えたために移行したのか、は不明だが、ともかく路線変更しているのではないか、と私は見ている
ジョジョ第7部と正式に表記するのも途中からなので、セールス上の理由もあったのかもしれない。
スタンドはちょっと原点回帰?
第6部ストーンオーシャンでは後半スタンド能力が拡大しすぎて世界中に影響を及ぼすレベルの「ボヘミアン・ラプソディー」「メイド・イン・ヘブン」などが登場し、荒木氏がかねてから言っていた「人間賛歌」が薄れているのでは?と危惧していた。承太郎は徐倫を生かすために、徐倫はエンポリオに希望を託し死んでいく、というシーンは確かに「人間賛歌」かもしれないがやはり敵の能力が巨大すぎるのは面白くない。射程距離の法則もなくなってるし・・・
そういう事も含めて本作では限定された空間での直接戦闘にこだわっている、と私は分析している。
その裏付けとして数キロ以上の範囲を同時攻撃できるような能力は本作には登場しない。大統領の次元を移動する能力も並外れているが、移動の出入り口は挟まれたその場所だけだし、攻撃そのものは殴る蹴る銃撃などに頼ったものだ。遺体によって発現した敵の攻撃を他者に飛ばす能力(効果かな?)も防御の結果遠くの人が迷惑をこうむるのみで、どこに影響を与えたかも不明なので攻撃には分類されない。
ジャイロの鉄球もそうだろう。作中で解説されてもいるが、鉄球による攻撃は「技術」であり、修練によって高められたものだ。それに自信があってのことだろうが、一度は遺体の力で「スキャン」の能力を身に着けるが惜しげもなく手放している。
大統領のD4Cも無敵ではなく遺体による攻撃をよそに飛ばす能力がなければ、ディオにほぼ敗北してもいる。
能力だけでなくその使い方、判断力、覚悟によって勝利をもぎ取る。これぞジョジョバトルである。
実は少ない「感動できるラスト」
ジョジョではどのパートも衝撃的なクライマックスを演出している。1部は当時としては珍しい主人公の死と見知らぬ赤ん坊を助けエリナに託すヒーロー性。2部は比較的わかりやすいハッピーエンディングだが、勝利そのものはかなり偶然性が高いし、スージーQと結婚している、というのも驚きだった。3部はラスボスには完全勝利しているが主要キャラの半数が死ぬこと、一度は死んだジョセフをよみがえらせる機転が見事。4部に至っては主要味方キャラがキラークイーンの能力によって一度は全滅するも小学生の勇気に助けられ勝利。5部はすごい能力を手に入れての完勝とヒーロー物の王道っぽいが、その後「運命の奴隷」というエピローグを入れることで「死が決まっていたとしてもそこに至る過程が生きた価値を変える」というメッセージを残している。5部も大好きなパートで語りたいことは山ほどあるが、7部について語る枠なのでここではこのくらいにしておく。6部は世界一巡というなんだかよくわからないけど衝撃で言えばシリーズ最大級。
そしてこの7部、主人公二人は直接戦闘では敗北しており、比較的戦闘に参加していなかったルーシーが自分の能力ではなく物語上の設定を生かして勝利する、という図式は6部のエンポリオに似ている。
しかし、なんじゃそりゃ?感がある6部に比べて、カタルシスの度合いはシリーズ随一と私は思っている。主要キャラが死とともに勝利へのヒントや足がかりを残していくのは3部、6部に通じるが唯一のパートナーと言っていいジャイロの死とその後のジョニーの心理描写の書き込み度合いは他の章とは比較にならない。
6部までは「誇り高いジョースターの血統」という縛りがあったため、主人公たちは時に悪態をついたり一時的に逃げるなどはあっても自分だけの利益を求めることはなかったが、本作のジョニーは何度も「自分だけ助かる道」を考えるし、自分が求めるもののために犠牲が出るのもやむなし、という態度を見せる。そのジョニーが、レースの勝利や遺体をあきらめてもジャイロをよみがえらせることだけを考える大統領との最後の心理戦は、ほかの章にはない人間ドラマを描き切っている。
6部のラストと図式が似ていると書いたが、時間を高速で早送りしての世界一巡、という突飛さには全く感動できなかった。これはおそらく次作を書くにあたって限界に達していたジョジョ世界を再構築するために作者が取った手段なのだと思っている。言い換えれば営業的に先につなげるために6部は犠牲になった、ということだ。
それを受け継いでの7部と考えれば、ある意味大統領への勝利はジャイロの犠牲だけでなく、承太郎、エルメェス、アナスイ、徐倫の犠牲によっても成り立っているといえる。
これらを踏まえて再読するとシリーズ最高のラストシーンが更に価値あるものに見えると思う。この7部は私にとって5部と並ぶ普及の名作である
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