少年犯罪について考えさせられる傑作
貫井徳郎の新たな挑戦
私は貫井徳郎の作品をデビュー作から読み続けていますが、この作品ほど涙を流した作品は他にありません。性を問わず年齢を問わず、どんな人にも響くような強い強いメッセージを持った重厚な小説はと問われれば、真っ先に本作『空白の叫び』を思い浮かべるでしょう。
貫井徳郎は、「ミステリー作家」と一言でまとめるにはあまりにバラエティに富んだ作品を生み出してきました。『被害者は誰?』などの本格ミステリーや、どこにでもいる夫婦間の闇を描いた『崩れる 結婚にまつわる八つの風景』、その他「症候群シリーズ」「明詞シリーズ」など、本当に同じ作家かと疑問に思うほど多くのジャンルの物語を書ける作家であることは既に多くのファンに知られています。
その中でも特に、デビュー作『慟哭』や『夜想』など、犯罪被害者をメインにその家族がどのような闇に堕ちてゆくのかをリアリティーたっぷりに描き切る作品は、貫井徳郎の力量が遺憾なく発揮されていると私は思います。人が人を殺すということは、重く暗く救いようのない罪であるというメッセージを、読むたびに噛みしめることができます。どうか人を苦しめる側にも、理不尽に苦しめられる側にも回りませんように・・・!と、読後は神とも何者ともつかない“なにか”にお祈りしてしまうほどです。
しかし、本作『空白の叫び』は少年犯罪をテーマとしているのですが、今までの貫井作品にあるような「正義とは何か」「犯罪者は報いを受けるのか」「被害者の遺族はどのように傷をいやしてゆくのか」という話とは大きく異なります。なんと、作品全体のスポットライトは犯罪加害者であるところの3人の少年に当てられます。これが貫井作品には非常に珍しく、革新的であると言えるでしょう。
3人の少年
1人目は久藤美也。気性が荒くキレやすい、いかにも罪を犯しそうな問題児です。思春期ならではのエネルギーを持て余し、自分で自分を制御できない。典型的な「少年犯罪」を犯しそうな少年です。
2人目は葛城拓馬。このキャラクターが非常に意外で、「少年犯罪」と言ってもひとくくりに出来ないのだと思わされ、かえって作品にリアリティーを生み出しています。
葛城少年が自らの頭脳を過信している様は、漫画でいえば『デスノート』の月、小説ならば宮部みゆき『模倣犯』のピースをも思わせます。
自らの環境、容姿、才能が恵まれていることを理解し、それを鼻にかけることなくただ淡々と受け入れる。他の人から見れば嫌味にも見えてしまうことさえわかった上で、あえて強気な態度を崩しません。
何不自由なく育ち、将来を約束された彼がなぜ・・・。設定だけであればそう思ってしまいますが、やはり『模倣犯』同様、愚鈍な相手に自らのペースを崩されることがどうしても許せない、超完璧主義であるがゆえの犯罪です。心情描写も丁寧で、犯罪者でありながら共感してしまうところがあります。
3人目は神原尚彦。この一見おとなしい少年が、なぜこのような恐ろしい罪を犯してしまうのか。このキャラクターも、「少年犯罪」の多様性を感じさせる為に重要であると言えます。
なぜ銀行強盗なのか
彼らはそれぞれの犯罪で服役し、刑務所の中で不運にも出会ってしまいます。そして、出所後さらに罪を重ねる道へと進んでしまうのです。
頭の良い葛城少年であればもちろんわかっているでしょうが、日本で強盗犯罪はほぼ成功しません。誘拐と同じくらい、ハイリスクな犯罪であると言えます。
なぜ彼らは銀行強盗をしたのか、読みながらもっと良い犯罪(というと語弊がありますが、成功率が高い犯罪)はあるのではないかと思った人もいるのではないでしょうか。
例えば東野圭吾『白夜行』でのクレジットカード犯罪のように、葛城少年であれば時代の最先端をいく詐欺を考えつくことも容易ではなかろうかと思うのです。
しかし、私は最後まで読んで思い直しました。これが彼の限界だったのではないかと。
『模倣犯』であれ『デスノート』であれ、頭脳明晰な主人公の視点で描かれた小説を読んでいる場合、読者には自然と万能感が生まれます。つまり、「頭が良いのだから絶対に捕まらない」「頭が良いのだから先の先まで読むことができる」と。しかし現実には葛城少年の計画は次々と破綻し、取り返しのつかない事態に発展します。
まるでブレーキが壊れた車に乗り続けているかのように。読者は破滅に向かって石が転げ落ちてゆくのをただ見ていることしかできないのです。身体を張ってでも彼らの転落を止めてくれる大人がいなかったことが、彼らにとっての不幸であり、現代社会の問題点なのかもしれないと思いました。
少年法は正義なのか
本作は、貫井徳郎自身「僕はこの作品を書くために作家になったのかもしれない」と言うほど、自信をもって世に送り出した作品です。もし本作を読み、少年法についてもっと考えてみたくなった方には、『殺人症候群』をお勧めします。こちらは被害者の視点から、少年犯罪がいかに劣悪であるか、少年法をどのように変えてゆくべきか、考えさせてくれる珠玉の作品です。
本作の出版年は2006年8月、『殺人症候群』は2002年1月、それから少年法は幾度かの改定をされています。ですが、それでも未成年による凄惨な事件が起こるたび、果たしてこれが正しい法であるのかと考えさせられます。
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