カルトとはこういうことだ
パロディ、たしかにそう。
この映画を見る前提として「すでにあきるほどハリウッド流B級映画をみている」べきなのだろう、きっと。主人公は白人のマッチョで、しかも賢い常識をわきまえた正義感じゃなきゃいけないし、ヒロインはもちろん白人の貞淑かつブロンド美人であるべきなのだ。(この時代、映画の中で非白人の男が白人の女と関係を持つなど絶対にあってはならないことだった。非白人の女が白人の男と関係を持つと多くが劇中で死亡している)得体の知れない場所で車がパンクすれば、助けを求めて奇怪な屋敷へ行きつかなきゃならないし、主人公達はそこで(どうせ一晩なんだから車で寝ようとか考えずに)あからさまに妖しい屋敷の主の歓待を受け、そこで一晩を過ごすべきなのだ。もちろん、身の毛もよだつような事件には絶対に巻き込まれる。(白人のヒーローは大活躍の末にヒロインを救出し、無事に脱出するのはお約束)この映画は、「そういう」当時のお約束を毒っけたっぷりに再現し、導入に使っている。おまけに、ミュージカルときた。いったい、どこまで60年代に散々うたわれた「清く正しい」物語のおやくそくをこけにするのか。そして、はたして当時この映画を何も知らずに見たひとが、どれだけこの罠に気がついたことだろうか。
奇怪な屋敷で待ち受けていたものは?
残念ながら、奇怪なモンスターは出てこない。いや、屋敷の主は宇宙人で科学者で、おまけに吸血鬼の星からやってきたんですけどね。あ、出てこないのは奇怪なモンスターで、マッチョで金髪の美しい人造人間はでてくるけど。あとは、ただらんちき騒ぎ。もう、ひたすら。なんというか、たちの悪いいたずらっ子の旺盛なサービス精神で、それまで散々提供された「正しい」物語を皿の上でやたらこねまわし、そこへ観客の顔をたたきつけて笑う、そんな感じ。そういう意味では、この映画はパロディ映画だ。おちょくる相手は、その当時にアメリカの文化にどっぷりと浴していた人々そのものかもしれないのだけれども。
売れなかった? あたりまえだ。
もちろん、見た目にはただうるさく下品なゲテモノでしかない。だから、当然売れない。きっと不愉快に思ったひともいただろう。そりゃそうでしょ、三流映画のふりをして、お金を出して見に来てくれた観客をこけにして居るんだから。誰だって、理由のわからないことで笑われれば、なにを笑われているかわからなくっても、そのひそみ笑いは心に聞こえるものだから。もう、記録的に売れなかったらしい。
だが、伝説になった。
時代を超える作品の条件とは時代からの超越とか相対化かもしれない。なら、このアメリカの60年代そのものをこけにしまくる映画が、時代を超えたしまったのも当然かもしれない。ただまあ――好き者がみる、カルトではあるのだけれども。
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