ただの恋愛小説ではないです
祈る行為を愛とするなら
わたしは神様を信じてこなかったので、今まで生きてきて祈ったことなんてありませんでした。受験で合格するようにとか、素敵な恋人ができるようにとか、結局は自分の努力次第でしょう?と思っていて、たとえ神様がいたとしてもそんなくだらない願いを叶えてくれるわけがないと高をくくっていたのです。でも、妊娠がわかったときに不安でどうしようもなくて初めて神様に一生懸命祈りました。「どうか赤ちゃんが無事で、健康で産まれてきますように」と誰でも良いから、誰かに願わずにはいられませんでした。
なので、冒頭文の「愛は祈りだ」という言葉は、わたしの心にすっと入ってきました。「祈る」という行為は、大切な誰かを思うゆえに自分のためにすることで、その行為をすることでなにかの見返りがなくとも怒りや憎しみの感情を抱くものではなく、後悔もないものなのだと思います。なにを愛と呼ぶかについては人によって違うのかもしれませんが、「愛=祈り」はわたしにとって一つの正解だと感じました。
愛を言葉にする
舞城王太郎さんの著書は、どれも普通の小説を読み慣れてしまったわたしにとっては非常に読みづらいものです。普通の小説がプールのなかにいるようだとしたら、この小説は荒波のなかにいるような感覚で、頭のなかにあるものをぐちゃぐちゃにして吐き出したような、攻撃的な文体です。読んでいて次のページになにが書いてあるのか全く予想ができませんし、風景描写が一切なくてイメージしづらいなと思っていたらいきなりグロテスクな描写が食い込んできてぞくっとします。この異様さがクセになってしまうのかもしれません。
恋愛において、相手に思いを伝えるときの言葉は限りがあります。「好き」とか「愛してる」という言葉は愛を伝えるには不十分です。だからといって「好き好き大好き超愛してる。」が適してるとは思いませんが、一種の愛の伝え方として舞城さんらしい愛の言葉だと思います。
読後はなにも残らない
恋人の死という重くて悲しいテーマをいろんな角度から扱っているのに、同情心とか可哀想という気持ちが一切起こらないまま終わりました。
「祈りは言葉でできている。言葉というものは全てをつくる。言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。過去に起こり、全て終わったことについて、僕達が祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。」
おそらく書いてあることの大半がわたしには理解できていないと思いますが、20代のうちにこの本を読むことができて良かったと思いました。
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