大いなるSF - A.I.の感想

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大いなるSF

4.54.5
映像
5.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
4.0
演出
5.0

目次

スケールの大きいストーリー

三部作として分けてもいいほどの内容がこの一本には凝縮されており、とても濃い二時間を与えてくれる作品である。

まず第一部は、家庭の話。息子が植物状態のために落ち込んでいる夫婦のもとに一台のロボット、デイビッドがやってくる。(台と呼ぶにはいささか不適当に感じるほど人間らしいのでこれ以降は一人の人間と同じように呼ぼうと思う。)彼のおかげでそれまで暗い雰囲気であった家庭が一瞬は明るくなる。しかし、このまま家庭がどんどん明るくなるのではなく、どこか暗さを残したままなのがミソである。単に、ロボットの子供に愛を注げるかという問題提議では終わらない、これからもっとドス暗い悲劇が起きることを案じさせる雰囲気に、観ていてハラハラさせられる。そして、息子のマーティンが意識を取り戻す。息子が目覚めたことは、本来、喜ばしいことであり、二人が仲良くなっていく展開ならば、家庭は先ほどの暗さを払拭し、明るい雰囲気に移行できたはずである。しかし、この物語は二人がいがみ合っていく為に、家庭の雰囲気はまた一層暗さを放つのである。ここがとてもリアルなのである。マーティンが好奇心や嫉妬によってデイビッドに嫌がらせをする一方で、それに振り回され母親の愛情を必死に求めるものの空回りするデイビッド。この幼き少年たちの感情が露わに表れた行動が目まぐるしく、息もつまされる展開を魅せていく。家庭という小さな世界で憎しみが膨れ上がり、とても閉鎖的な印象を感じるのである。この閉鎖的な印象を第一部で作り上げたことにより、第二部がとても解放感を感じさせるものであった。

その第二部は冒険の話である。これまで狭い家庭での憎しみによる窮屈な印象を受けていた話から、外の世界に広がり、観客はデイビッドと共に未来のまだ見ぬユニークな世界を冒険していく、楽しさを感じるわけである。しかし一方では、照らし合わせに使われる「ピノキオ」のように最後はハッピーエンドで終わることができない、つまりはピノキオのようにデイビッドは人間にはなれないということを、観客は薄々勘付いているわけである。そして、先が暗いのを分かっていて観ていられない痛烈さに苛まれても、観続けてしまうのはこの見え切った結末を超える何かを期待してしまうからである。その期待に応えてくれるように、人間にはなれませんでしたという第二部で終わらず、第三部があるのが本作は素晴らしい。

その第三部は第二部よりもひらけた未来の世界である。ひらけたというよりもぶっ飛んだという表現の方が適当かもしれない。この第三部はぶっ飛びすぎて度肝を抜かれた。内容を注視しても、どこか頭に入ってこないような。それこそ人類が滅びた時代なのだから、その印象が適当なのかもしれない。しかし、理解が追い付かない中でも、デイビッドが求めていた母の愛情に包まれたという様子には、まやかしであれ、良かったという気持ちが芽生える。第二部の人間になれませんでしたという終わり方ではあまりに落ちが落としすぎて、嫌気がしてしまうが、この第三部で終ったことにより、多少救われたものを感じた。このちょっと気持ちが軽くなったおかげで、改めて未来の世界が実際にそうなっていく可能性があるなか、自分たち自身はそれをどう受け入れていくのかなどと思いを馳せられた。物語中にも様々なメッセージを受け取り、最後にどんと大きなメッセージを受け取ったような気持ちである。

実にスケールが大きいうえに、スカスカではなく充実したストーリーであった。

個性派ロボットたち

さすがスピルバーグというぐらい、ロボットたちが印象深い。一台一台がとても個性的である。次はどんなロボットが出てくるか観ていて楽しくなる。ロボットというより一人一人様々な個性を持つ人間なのである。画一した量産型ロボットの姿はない。それがやはり引き込む面白さを放つ要因だろう。また同時に恐怖も与える。なぜなら、ロボットが人間に成り替わることを示しているのであるのだから。そのメッセージを確かに発信するために、とことんとロボットの個性は追求して表現すべきであり、その点を完璧にこなしている。特にロボットを破壊するフェスのシーンはさまざまなロボットを見られて面白いだけではなく、とても考えさせられ、印象深かった。

凝られた登場シーン

デイビッドの登場シーンが印象深い。黒いシルエットがにゅーと人間になるという。人間でない得体のしれない異物の登場シーンとしては適当である。またこれから起きる悲劇を彷彿させるような奇妙さも表現されていて良い。さらに驚いたのが、その黒いにゅーとしたシルエットの形が第三部に現れる宇宙人のものと類似することである。この点は私の深読みのしすぎかもしれないが、もしかすると、デイビッドが登場した時にはその時代では彼は宇宙人であるという意味を表現したのではないだろうか。ここでその意味を打ち出し、第三部で唯一デイビッドだけが宇宙人と対面し、今度は宇宙人が宇宙人なのであるから、その対になるデイビッドは人間として扱われるようになるという変遷を意識したのではないだろうか。皮肉なもので宇宙人にとって、彼は人間なのである。このことを意味するために類似を使ったのではないかと考えると実に面白い。

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