表現の自由度が高いOVA作品 - 獄・さよなら絶望先生の感想

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獄・さよなら絶望先生

4.804.80
映像
5.00
ストーリー
5.00
キャラクター
4.00
声優
5.00
音楽
5.00
感想数
1
観た人
1

表現の自由度が高いOVA作品

4.84.8
映像
5.0
ストーリー
5.0
キャラクター
4.0
声優
5.0
音楽
5.0

目次

やりたい放題が激化!?

電波放送されることを前提としていないOVA作品だけあって、表現の制限が緩いことは大きいです。特に、「獄・さよなら絶望先生」で感じたのが、明らかに血しぶき描写が多いように感じました。

あるあるネタや社会風刺ネタ、有名人いじり、他マンガ・アニメネタにおいても、際どく攻めるのか、と思っていました。しかし、思いの外、そちらの過激度は抑え目であった印象は強いように感じます。もっと、やりたい放題やっても…という期待が強かっただけに、抑え目だった印象が強いのかもしれません。

ただ、地上波で放送されていたこれまでのシリーズと比較したら、回によっては際どい表現はありました。地上波で放送できないネタも少なからず、あったように感じられます。特に、ミサイルネタ、石破元防衛大臣ネタにおいては、思いっきり飛ばしている印象を受けます。そういった部分では、この辺りで満足しておかないといけないのか、と振り返ってしまう部分もあります。

そして驚かされたのは、意味もなく画風を変える場面があったことです。デフォルメを意図的にすることは、他アニメでも使われる手法です。「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」、「ピューと吹く!ジャガー いま、吹きにゆきます」など、代表例に挙げられるのではないでしょうか。

しかし、それとも一線を画すデフォルメだったように思います。むしろ、他アニメの画風をそのまま、「さよなら絶望先生」のキャラクターに当てはめるような手法をとっており、斬新だと感じました。

アイデアの限りを出し尽くす、という姿勢が見受けられるものだと感じられます。

 

変化なく継承されていること

これまで変わることなく継承されていることが少なからず存在しますので、例を挙げていきたいと思います。

まずは登場人物について、新しい登場人物を続々と生むことをしていません。今の時点で、充分に多いということもあるでしょう。スポットが当たっていない登場人物も多いので、増やす理由はないように思います。しかし、新しい登場人物に依存した方がネタの展開としては楽なのではないでしょうか。確かに、スポット的に登場してくる人物はいます。その回だけ登場して、それ以降は出番がないようなスポット人物も存在します。しかし、主要の登場人物においては守られおり、継承されている印象が強いように思います。

また、登場人物という観点では性格が変化したキャラクターもいますが、変化がみられないキャラクターの方が多い点にも注目すべきでしょう。主人公の絶望先生は、シリーズ冒頭よりキャラクター性に一切の変化は見られません。また、準主人公として位置づけられている風浦 可符香((ふうら かふか)においても同じことがいえます。「さよなら絶望先生」の根幹ともいえる二人において、大きな変化が見受けられないという事実は、作品における方向性に変化がないことを表しています。

さらに、基本的な展開にも変化がないということも言えます。絶望先生が「絶望した!」とネガティブ方向に話を進めます。そして、それを切り返すように可符香が「そうとも言えませんよ」と反対方向に話を進めていくパターンが、もっとも多い展開だと思います。

 

愛すべき登場人物について

ディープラブ(ストーカー)の常月 まとい(つねつき まとい)も登場より変化がないキャラクターだと思います。絶望先生とのやりとり、「居たんですか…」「ええ、ずっと…」という会話は吉本新喜劇でいう鉄板ギャグのレベルまで昇華しているのではないでしょうか。

ただ、常月 まといのライバルである小森 霧(こもり きり)においては、変化が見られ、引きこもり属性だったのに、絶望先生の自宅と学校を移動している様子が描かれています。絶望先生の影にいることから、常月 まといの印象と重なる部分が強く、ライバルという位置付けが強くなっているように感じられます。ただ、個人的な感想では、「ヱヴァンゲリヲン」綾波レイ、「地獄少女」閻魔あいの印象と重なり、お気に入りのキャラクターです。

木村カエレ(きむら カエレ)においては、キャラクター性に変化があり、後付けで多重人格であることが明らかになりました。しかし、後付けで設定が追加されたわりに、その設定が活かされる場面は少ないです。ただ、パンチラ担当という位置付けはシリーズ冒頭の部分から変わりなく、ずっと継承されてきていています。

音無芽留(おとなし める)においては、キャラクター性に変化は見られません。しかし、シリーズを追うごとに明らかに出番が少なくなってきている点は、変化と受け取れるのかもしれません。「獄・さよなら絶望先生」では、登場はするものの、活躍する場面は少ないのが残念です。

 

見せかけの自殺願望

絶望先生は首を熱心に鍛えていたり、自殺に失敗してしまう自殺グッズを集めることに執着していることが明らかになります。

後付け設定であるとも捉えられますが、自殺願望があれば、これだけ回を重ねることなく死んでいると考えられます。すなわち、絶望先生は自殺しようとしても、誰かに止めてほしい、という気持ちが本音だったといえます。そして、その部分が明らかになったことで、誰かに構ってほしい、という内面の本質部分も明らかになってしまったように思います。

元々、面倒なキャラクターをしていますが、面倒に感じる理由そのものが明らかになったのではないでしょうか。そして、生徒たちに好感を持たれ、囲まれている現状に本音の部分では満足していることも伺えます。それにも関わらず、些細なことでポジティブ思考にはまり、「絶望した!」と叫んでいることも、本当に面倒なキャラクターだと思います。

 

作品そのものを否定している気がしますが、絶望先生を面倒だと思っているだけです。「さよなら絶望先生」というアニメ作品は、シリーズを通して魅力が詰まった作品だと思います。

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