時代を超えた“悲しみ”という名の孤独(本作にぴったりの一曲を添えてみた) - 悲しみよ こんにちはの感想

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悲しみよ こんにちは

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時代を超えた“悲しみ”という名の孤独(本作にぴったりの一曲を添えてみた)

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
3.5
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4.5
演出
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目次

18歳という若さで、18歳という若さだからこその完成度

私雨。わたくしあめ―地形の関係で、局所的に降る雨のこと、自分の周りにだけ降る雨のことをそう呼ぶ。またの名を、我が儘雨とも。緑多き日本ならではの、美しい日本語、私雨。

私自身もそうだったけれど、とりわけ10代後半、自分を軸として回って当然だと疑いもしなかったころ、目のまえで起こることがすべてだった。ニューヨーク同時多発テロで、航空機がビルに突っ込んだって(超個人的、筆者19歳時の出来事)、私の悲しみは目下、祖父の発病と、ドラマのエンディングに終始。それがすべてだった。
本書、『悲しみよ こんにちは』もそう。
主人公セシルは、父親の再婚話に反応し、再婚相手をある企てにおとしいれる。恋愛あり、セックスあり、涙さえあっても、17歳のセシルにとってはそれがすべて。若さゆえの葛藤や倦怠、やがて向き合うこととなる“悲しみ”。そういうのを青春だと、ひと括りに言ってしまえばそれまでだけど、だれも気づかないような、静かに静かに降る私雨のような想いもすべて残らず汲み取って、とても丁寧に、正直に描写したフランソワーズ・サガン。弱冠18歳という若さで。その想いは、超個人的で、でも美しい。やがて雨は止むのか、それとももっと強く降り続けるのか、私は読み進めずにはいられなかった。

半世紀を越えて、いい書は長生きをする

誰もがいちどくらいは聞いたことのある『悲しみよ こんにちは』というタイトル。
原作なのか、あるいは映画なのか、どうあれ、読後、この作品が半世紀もまえに書かれたというのが信じられなかった。

いい書は長生きをする。誰かが言っていたけれど、まさにそう。
じわりじわりと何かが動き始めようとしている気配はあるのに、何も始まらない。そのじれったさと期待感も、洒脱で大人びた小悪魔的なセシルも魅力的。つける薬がないほどの女好きだと父親を客観視し、割り切れる(17歳にして!)くせに、半面、再婚で父親を取られそうになれば、再婚相手を目の上の瘤だと煙たがる子どもっぽい面も垣間見せる。すべての中心は自分(セシル)であり、喜劇の黒幕も、演出家もすべて自分だと突っ切っていく、そんな若さゆえの傍若無人な振る舞いに、人生を振り回される大人たちの滑稽さも面白い。

本作は、セシルと再婚相手アンヌとの生臭い心理描写がメインになってくるのだが、その合間に、わずか、フランス独特の粋な描写が描かれているのも見逃せない。
たとえば、朝の楽しみにとりかかるセシル。
やけどしそうに熱いブラックコーヒーと、甘い果汁のさわやかなオレンジを一個持って、石段にすわる。なんて洗練されているのだろう。思い浮かべるだけで、朝の素敵な時間を満喫できる。ヨットの上に敷いたシートの上で、シリルがセシルを押し倒す官能も、半世紀もまえに書かれ、発表されていたにもかかわらず、どうして今まで読んでこなかったのかと、悔やまれて仕方なかった。

サガンが一世を風靡

本書がフランスで出版されたのは、1954年。本国でまたたく間にベストセラーとなると、翌年には、朝吹登水子訳で日本でも刊行された。
“もはや戦後ではない”という言葉が流行したこの当時の日本では、ディオールやシャネルのひざ下スカートが流行り、それに乗っかって、文学も仏文学、ブルジョワジーに憧れ、こぞってみんなサガンを読んだという。
半世紀以上経って読んだ私が、そのスタイリッシュさ、まったく古びてない雰囲気にしびれたのだから、当時は相当センセーショナルだったと思う。映画の影響で、“セシル・カット”なる髪型が流行ったのもうなずけた(セシル・カットを知らない人は、画像検索してみるといい。ジーン・セバーグのベリーショートが可愛すぎる)

長く生き延びてきた作品だけあって、日本での訳書は、朝吹登水子氏のものが第一人者としては有名だ。
私自身は、今回、河野万里子氏の訳で楽しませてもらった。2009年に新訳になってリニューアルされたわけだが、時代が過ぎれば、言葉も変わる。50年以上もまえに書かれた日本人作家による日本語の作品は、現代人にとって読みにくい点が多く敬遠されがちだけど、訳書のメリットは、今風に新訳できるところ。新しく“今風”に読みやすくなったため、より本作を楽しむことができた。次はぜひ朝吹登水子訳のも読んでみて、読み比べするのもいいかもしれない。

本作にぴったりの一曲を添えてみた

小説の中の社交界で流れる音楽は、スイングやビバップといったジャズがメインの『悲しみよ こんにちは』。
半世紀もまえに描かれ、南仏が舞台にもかかわらず、読後、まっさきにピンと来たのは、Amy Winehouse(エイミー・ワインハウス)のYou know I’m No Goodだった。10代特有の倦怠感や厭世から抜け出せないセシル。怠惰でJazzyな曲調と、一見力強い歌い口。でもどこか哀愁を漂わせるエイミー・ワインハウスの歌声。I told you I was trouble. You know that I’m no good―私はめんどくさい女なの、どうしようもないのと嘆く彼女。“27クラブ”のひとりとしても有名で、コカインのオーバードーズの末、アルコール中毒で27歳の若さでこの世を去ったエイミーの死は、アンヌの死を巡る悲しさ、雰囲気ともリンクする。
時代を超えて伝えられる“悲しみ”は、静かに降り注ぐ私雨のように、孤独に想いを馳せるのだ。

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