健全な精神は健全な肉体に宿る - 銀の匙 Silver Spoonの感想

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銀の匙 Silver Spoon

4.434.43
画力
4.29
ストーリー
4.57
キャラクター
4.43
設定
4.36
演出
4.43
感想数
7
読んだ人
17

健全な精神は健全な肉体に宿る

4.04.0
画力
3.5
ストーリー
4.5
キャラクター
3.5
設定
4.0
演出
3.5

目次

満を持してのアグリカルチャー漫画

漫画好きなら荒川弘氏の『鋼の錬金術師』は、タイトルだけでもご存知でしょう。一時期多くの読者から男性だと思われていた作家さんですが、骨太で力強い作風にあって、随所に差し込まれた所帯じみた描写(悪い意味ではありません)に違和感を覚えていたので、女性であることを知って得心したものでした。この作家さんの描く人物の腕は、男女問わず実に健康的です。短く切りそろえられた爪を持つ太い指は、まぎれもなく勤勉に働く労働者のもの。その労苦と喜びを知り、とても健全な環境で心身を育まれた人に特有の、強いパワーが作品からみなぎっていたのですよ。

そして大喝采を得たハガレン終了後に発表されたのが、この『銀の匙 Silver Spoon』。「銀の匙を咥えて生まれてきた子供は食べるのに困らない」と、咄嗟に思い出したのは英国の諺でしたが、まさにそれを表したタイトルだったのでした。生まれて来た我が子には、出来れば苦労なく食うに困らない一生を送って欲しい、という親の切なる願いは今も昔も変わりないのですよね。農家に生まれ、幼少時より家業を手伝いながらご両親に対する敬愛を忘れなかった荒川氏の、青春賛歌ともいうべき作品なのでしょう。

荒川氏は『百姓貴族』という、実家での農業体験を描いたエッセイ漫画も出されております。以前、差別用語だとして不当なやり玉に挙げられたこの「百姓」という言葉を、堂々前に推しだし、タイトルとされた気骨も大変小気味いいのです。かつてこの分野のパイオニアとして、同じ北海道を舞台にした『動物のお医者さん』というたいそう楽しい漫画がありましたが、銀匙は楽しいながらも深刻な、現代の酪農畜産業が抱えた問題に、実に真っすぐに向き合っています。

若人よ、大志を抱け

勉強を続ける意義を見失い、ノイローゼ気味になった八軒勇吾が、恩師の勧めで逃げるように全寮制の大蝦夷農業高等学校(以下エゾノー)に入学したのは、学歴主義で非常に厳格な父親に対する反発からでした。サラリーマン家庭で育ち、ひたすら勉強しかしてこなかった彼にとってこれはたいそう捨て鉢な選択です。専業主婦の母親がいる環境だったので、当然ながらそれまで八軒は家事などに頓着したことがなかったのでしょう。よりにもよって実学主体の酪農学科を選択した彼に待ち受けていたのは、朝も早よから牛・豚・鶏・馬の世話に明け暮れる毎日でした。

しかしながらこれは真っ当な精神を持った人間を育むに、非常に良い環境なのではないでしょうか。考え込む間もなく肉体労働に明け暮れ、畜産業主体の学問を学び、健康的に腹を空かせて地産地消の新鮮な食材で調理されたウマいメシをたらふく食べて、労働の疲労から心地よい眠りに就く。日本人なら知っている、産みたて卵と炊き立て白米の卵かけご飯の美味しそうなこと! 鹿を解体したり食肉用の豚に感情移入したり、命の尊さを実感する学園生活を送る中で八軒は考えます。要領がよくないうえに納得するまで物事を突き詰めてしまう彼は、クラスメイト達が置かれる厳しい農業畜産業の現状を知るや、解決の糸口がないかと疑問を投げかけ、その真摯な姿勢は周囲を動かし始めるのです。

エゾノー生の大部分が畜産・農業の跡取りという中、なんのビジョンもなく入学してきた八軒はいわば異分子です。勉強三昧で夢を持たなかった八軒は、流される形ではありますがこの学校で自分を心から突き動かすものを見つけ、不器用ながら真剣な彼を中心に、なにか大きなものに育ちそうな種を芽吹かせようとしています。ええ、まさかサクセスストーリーの様相を呈するとは予想していませんでしたよ、まだまだその戸口に立ったばかりではありますが。お天道様のご機嫌のごとく、作者の荒川氏は物事を簡単には進ませてくれません。失敗しながらもへこたれず、仲間達はそんな八軒に手を差し伸べ、先生たちは時に導き時に暖かく見守ります。う~ん、この種が大きく実らないわけがない(*^_^*)

恋せよ乙女、恋せよ八軒

当然ながら学園ものでもあるこの銀匙、ラブコメ要素もきっちり用意してあります。馬術部所属で酪農家の跡取り娘にきっちり一目惚れした八軒は、これまた流されるがまま馬術部に入部しますが、件の御影アキという少女、たいそう恋愛方面に疎いのですよ、周囲には丸わかりだというのに(-_-;) しかし八軒の影響で、夢を諦めて家業を継ぐ予定だった御影は心機一転、希望の仕事に就くために大学進学を決意します。その時の家族協議は大変リアルで、愛娘のための銀の匙=職を失わないためのスキルを獲得できる道を精一杯模索してやっているのです。決して家計は楽でなく、後継ぎを失うことで廃業することになるかも知れないのに。

家族問題という点では、むしろ八軒のほうが深刻でした。エゾノーで自分の進む道をぼんやりながら見つけ、あの威圧的な父親に真っ向から向き合うことになった八軒はまだいいのですが、むしろ彼の兄のほうが気になります。父親との対立の背景が描かれていないせいもありますが、実をいうと八軒の兄・慎吾は、作中で唯一共感できない人物なんですよ。現役で東大入試を突破しながら、父親への当て付けだけのために即退学して弟の劣等意識を大きく刺激し、住所不定フリーターとなった姿でさらに弟にチョッカイ出してる姿なんか見せられればねぇ…。なぜかロシア人の嫁さんを貰い、唐突に家族意識に目覚めたようなので、今後の状況次第で好感度上がるかも知れませんが、うーむ(-"-;)

ともあれ季節はそろそろ春。単行本派なのですが、本誌では御影アキの受験結果が出るころでしょうか。彼女の受験勉強に協力した八軒の熱意はきっと報われると信じます。借金で実家が離農し、退学して東京で働く駒場君のことも気になりますが、彼もきっと戻ってきてくれるでしょう。そして充実したエゾノー生活ですっかり舌が肥え、心身共にたくましくなった八軒はどんな結果を残すのでしょうか。

最後に、実は一人だけ銀匙で名前の判明しない子がいるのが気になっているんですよ。エゾノー祭がきっかけで一般入試で入学してきた子なんですが、どうも座敷童扱いされてませんか? 馬術部に残った八軒の後輩は、馬術の巧い石山君とこの子の二人のはずなんですが、ウィキにも名前が載ってません。すごく頑張っているいい子なんだから、名前付けてあげてくださいよぉ~(^_^;)

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