今井忠興のプロフィール
本名 | 今井忠興 |
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よみがな | いまい ただおき |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
住まい | 京都の豪商で呉服屋と両替屋・今井家→東京 |
所属 | 京都の豪商で、呉服屋と両替屋を営む今井家当主。幕末の混乱期を乗り切り今井銀行を設立、今井銀行初代頭取。 |
性格 | 時代を見る目や商才の持ち主で、生真面目で厳格な性格。 |
ポリシー | 「商売いうのは、先を見る目と、その道を貫く覚悟がなくてはあかん。」 |
特徴 | はつ・惣兵衛夫婦から、山王寺屋を救うべく借金を依頼された際には、返済の目処が無いために貸付を断る。お転婆なあさに対しては厳しく接するが、加野屋に嫁入り後、正吉のあさの人柄を認める言葉を聞いて感涙する。遺品の中にテケツを収集した記帳が見つかり、同じくテケツを収集しているあさに形見分けされる。 |
価値観 | 躾に熱心で、女には学問は不要で嗜みが重要と考え、はつを自慢の娘と誇る。はつ・惣兵衛夫婦から山王寺屋を救うべく借金を依頼された際には、返済の目処が無いために貸付を断る。 |
物語上での目的 | 1868年、今井家を新政府公認となるまで押し上げ、新政府の勧めで銀行開設する為、忠政の他界後に一家で東京に転居。1878年、牛鍋屋にてあさと再会し、銀行経営の難しさなどを語り合い、あさを商売人として認める。1887年、東京で開いた祝賀会で孫の千代に初めて対面。引退後、体調不良で梨江の看病を受けていたが、梨江に先立たれる。幼少時に学問を禁じたことをあさに詫び、女子大学校の建設予定地にと目白の今井家別宅の土地を寄付することを申し出る。養之助に新兵証書が届いてから数日後の1896年10月4日に死去。 |
あさが来たの他の登場キャラクター
あさが来たの感想
あさが来たを見た後に気になった所を考察してみた
子供が少ないと感じた嫁ぐことになった家は地域内ではかなりの規模を誇る両替商。店もそれなりに繁盛していて、伸び盛りで更に石炭を掘る鉱山まで取得したため、商売は軌道に乗っていたと判断できた。ただ、あさの子供は1人だけだったので少し驚いた。この当時の家庭の子供は、2人から4人くらいいるのが当たり前のような雰囲気があったので、やや意外な気がした。その理由を探ってみると、当時の人々とは程遠い行動が原因に見えた。江戸から明治のかけての人々は、主に夫がお金を稼ぎ、妻が主婦となり家を守るのが一般的だ。ところが、夫は仕事を全くせず風変わりなことをして生活していた。妻であるあさはその逆で日々懸命に働いていたので、周囲の人からは、おかしな視線で見られていたことが想像できる。しかも、夫は夜遊びにも夢中になっていたため、め、仕方なかったのだろう。子供が多い設定も当初は予定していたのかもしれない。ただ、夫婦の状態から...この感想を読む