少年期の全能感の尊さ - 少年鉄人の感想

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少年鉄人

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文章力
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ストーリー
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少年期の全能感の尊さ

4.54.5
文章力
4.0
ストーリー
4.5
キャラクター
4.5
設定
5.0
演出
5.0

目次

少年性の崇拝

子供らしく生意気ながらも心根が真っ直ぐで、悪い言い方をするなら愚直な、そんな小学生たちの目線で物語は進む。

チンピラに嫌悪感を示しながらもそれに屈することを仕方ないと割り切る太一は、主人公グループの中で最も現実的(考え方がシビアというのではなくより非創作的という意味で)な性格の少年だ。自分自身の子供時代を振り返ってみると、幼いながらもどこかしらには子供らしくないひねくれた思考があったものだ。

本のタイトルにもなっている鉄人は、その点ファンタジーな存在だといえる。

いつでも元気が良く、身の程を知らないから何事にも臆することがなく、努力で何でも可能になると信じている。子供の良いところだけを抽出し凝固した存在、といっていい。

加えて寛大さもあり、人を気遣いつつもそれを負担に思わせない様は、父性にも似たものを感じさせる。

この鉄人は、まさに大人と子供の良いとこ取りをした存在であり、作者が彼を理想的な少年像として描いているのが分かる。

現実と理想。太一と鉄人は、性質的に対局の関係にある。

強さは守るもの、と仙人と呼ばれる老人が語っている。人は自分が当たり前と思って所有しているものには改まった意識を向けない。

これはつまり年老いた仙人がそれを失っていることを自覚している、ということを意味している。

強さとは、最初は誰もが持っているもの。それが大人になるにつれて失われていく、と。

気弱な太一は『子供らしくない部分』を含めて子供らしい少年だが、子供らしい子供という意味では、ガキ大将の和真が誰よりも幼い。

自分が一番偉い、またそうでいられるという驕りはまだ身の程を知らない子供だからこそ抱けるものであるし、長くそうやって過ごしてきたためか、他の少年や少女たちよりも感情を抑えきれずに露わにしている場面が多い。

だからある意味では、彼が誰よりも強い。感情を抑えるというのは、感情を露わにする事を恐れるということなのである(その良し悪しはひとまず忘れるとして)。

逆に生真面目で優等生的な千秋や博識な義之は、常に理性的だった。いわゆる大人びた子である彼らは、無鉄砲になるということができない。

そういう子供らしさ、もとい男の子らしさ(女の子は幼いうちからシビアなものなので)を取り戻してゆく展開は、非常に爽快なものである。

子供の頃に抱いていた根拠のない全能感と、それを疑わずに動く行動力が、本作では非常に尊いものとして扱われている。

それと対照的に教師を始めとする大人たちの思考は保守的で、大人になることで強さが失われたことを克明に表している。

なぜアウトローが活躍するのか

前述したように、勇敢な子供の対局のポジションに配置されている人物は教師だ。

そして主人公たちの協力者となるのは喧嘩屋だの年上の不良だのといった、アウトローな人たちである。

これは教師が規則のもとで生きている、世間で言う『真っ当な大人になった人』の代表例のひとつとしてモチーフ化されているのに対して、アウトローは規則に縛られない存在として分かりやすく描かれているのだろう。

世の中の暗黙のルールは時として正義を処世術の犠牲にし、人を弱くさせる。だからそれに染まりきっていない存在として、アウトローである必要があるのだ。

小学生目線で描かれる彼らは『(個人差はあれど)かっこいい大人のお兄さん』だが、彼らもまた、良い意味で、大人になりきれていない存在なのだ。

男性的な思想

本作はとても男性的な価値観に溢れていると思う。

不良にボコられた太一が玉砕覚悟で仕返しに向かう、というのがまさにそうだ。

合理的に考えるなら、それは何の意味もないことなのだ。勝てるわけがなく、そもそも勝っても負けても怪我以外に残るものは何もない。

それでも悔しいから仕返しに行く、というのは、男の意地というやつなんだろう。対して、馬鹿みたい、と一蹴した紅一点の千秋や理性的で容姿も中性的な義之は、それを否定した。保守的で合理的な、女性的な考え方だ。

どんなに気になっても友達同士で詮索をしない、という主人公たちの姿勢も男性的だと思う。

そうしないと嫌われると思った、と太一は思っていたが、女同士の友情は逆である。隠し事をしたら嫌われるから、何でも打ち明けなければならない、と(子供のうちは特に)考える。女は子供だろうが大人だろうがゴシップ好きだし、他人の事情を把握していないと気が済まない生き物なのだろうか。閑話休題。

やがて義之は太一と同じく無鉄砲になる強さを得るが、千秋のそれは最後まではっきりとは描写されない。

加えて今後それを取り戻すことを匂わせた直後に彼女を『男女』と描写していることからも、無鉄砲な強さとは子供らしさであると同時に、男の子の性質だということが読み取れる。

男なんていつまでたってもガキだ、とはよく言うが、それは男の理想とする男らしい性質というのは、ある種の幼さから来るもの、ということでもあるのかもしれない。

男らしい毅然とした振る舞いにしても、そもそも心の内に自信がないことにはできないし、何事も発展をもたらすのは行動力だ。

それらを生み出す少年性は、子供のものであると同時に、大人にとっては憧れのものなのだろう。

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