これはリアルで面白い! 「難儀でござる」
面白い歴史小説
この短編小説集のテーマは、「人生は辛いよ」だと思います。この作品は、久々に、にやりと笑った小説でした。皆さんも、そう思われた方は多いのではないでしょうか。一つ一つが珠玉の作品となっています。多くの歴史的に有名な戦国大名、家臣、公家、僧侶、名も無い百姓たちが、鮮やかに描かれてあります。それらの中での戦国大名、武将が大好きな人は、もう一度読みたくなる作品です。よく歴史小説で書かれてある有名な人物とが、活躍するのとは大いに異なり、視点は、その家臣、足軽となる百姓側にあります。そこが、他の歴史小説と異なる点です。
第一作目では、今川軍二千人を返せ、いや返さぬというやりとりで、作品集の見事なスタートを切っています。この両軍の緊迫感のあるやりとりが、歴史好きにはたまらない所です。今川方の使者の連歌師宗長と甲斐の当主信直(後の信虎)の火花散るやりとりが行われます。二人ともキャラが見事に立っていて、こういう人よくいる!と思わざるを得ませんでした。すぐに切れる信直と、ほうほうとのらりくらりの老練な宗長のやりとりは笑えます。その間に入って、苦労するのが、武田家重臣の甘利備前守ですね。企業の中間管理職など、現実に、上と下から板挟みにあって苦労されている方々は、おおいに感情移入されることでしょう。信直は、若い頃に跡を継いで、叔父や一門衆からの反乱が相次いで起こり、身内でも信用しない、人間不信となっております。その心情を考えると、信直への同情も、少しは起こってくると思われます。最後は、備前守をあっと言わせる方法で、宗長が解決に導きます。これには驚きましたね。それまでのエピソードが、この結果への伏線だったのかと驚きました。策略好きな読者には、受ける内容だと思います。最後の一行は、歴史の皮肉としか言いようがありません。
第二作目では、太原雪齋が、なかなか動こうとしませんね。松平竹千代を織田から取り戻すために、雪齋に従ってきた朝比奈備中守が、これまた雪齋に振り回されます。備中守は真面目な人なので、気の毒としか言いようがありません。雪齋がなかなか動かないことに対しての、備中守の困ったトホホとした感じが、郷愁を誘います。禅宗の坊主はこんなに傲慢なのかと思い、備中守は呆れてしまいます。私は、現代の曹洞宗や臨済宗のお坊さんも、こんなに傲慢なのかと非常に気になりました。しかし、雪齋は、何とか、竹千代を今川方に取り戻そうと、必死に考えていると思います。竹千代は、織田で人質生活を送っているのですが、幼く親から話されて、精神的に参っています。そして、軟禁所で、小便をして、周りを困らせます。この小便も、竹千代の心細さから来るものでしょう。その気持ちに同情してしまいます。ここでは、奇策を使って、太原雪齋が、竹千代を取り戻します。雪齋の弟子の一人も、雪齋から公案を出されますが、何度答えを出しても、そういうことではないと跳ね返されて、ほとほと困っております。竹千代が、今川の城に戻ってきて、いきなり小便をしてしまうシーンがありますが、備中守はじめ家臣たちが、驚きますが、雪齋だけは、その行為を将来大きな器量持ちになるであると言います。そして、竹千代の小便を見て、公案を出されていた僧が「老師、できました!」「あれこそ無です。あれが無心の姿です」と自信たっぷりに雪齋に言うのですが、「ここな大馬鹿者が。何が無じゃ。あれこそ積もり積もった人間の業のしわざじゃ!」と一喝して、僧侶の頭をバシッと叩くのは、かなり笑えました。この短編集で一番笑えました。
第三作品目では、公家の山科言継らが織田信長の元を訪れてますが、信長の忙しさと言ったら、凄まじいものがあります。その凄まじさにも目を瞠るものがあります。公家たちの信長に振り回されているシーンも笑ってしまいます。言継たちは信長となかなか会えず、折角会っても、やっと立ち話が出来た程度で、言継は焦ります。言継は、表面には出さずとも、後奈良天皇の十三回忌を行おうと、命がけで必死なのです。信長も意外とけちで、言継のがっかり具合が笑えます。言継はいろいろな手立てで、信長とやり合います。そのシーンは、小心者の言継と傲慢な信長のやりとりで、緊迫感があります。そこが、この作品の一番面白いところです。やっと信長から、念願の金銭をもらい、後奈良天皇の十三回忌がやっと行われます。読後感は、あまりいい感じではありません。
第四作目では、稲葉彦六が、誰かが自分を見ているという妄想が、段々激しくなり、やはり誰かが自分を監視していると思ってしまいます。そのオドオド感が、いかにも小心者の感じがして、思わず笑ってしまいます。実は、父一鉄が、武田信玄のブレーンの甲斐の快川和尚と手紙のやりとりをしており、そのことが信長から疑われているようです。茶室での信長と、一
鉄と彦六親子の間の緊迫感は、静かな茶の湯を通して、ますます緊迫感の度合いが強まっていきます。一鉄は、如何に主人であっても、狼狽えてはならないと、気を張っています。しかし、武勇で名高い一鉄すら、冷や汗をかいています。その緊張感は見物です。普段は傲慢な一鉄が、信長に平に謝り、その後のことは、小説では描かれていないのですが、信長から許しを得ます。その部分を小説で書いて欲しかったです。
百姓たちも主人公
第五作目は、武田信玄の跡を継いだ勝頼が治める信濃国の小池村と内田村の村境の争いの話です。村人たちも強欲ですが、祖先から受け継いできた土地を簡単に渡す訳にはいきません。昔から、よくある村々の境界争いの話ですが、著者は、単なる境界争いで終わらせません。しかし、このような地味な題材ですら、面白く興味を持たせるほどに、料理する著者の腕前は只者ではありません。村人たちは、「俺たちの領地はここまでだ」「いや、俺たちがここまでだ」と言い張り、揉めに揉めて、立ち会った奉行たちですら閉口させます。その閉口ぶりが、ユーモラスで滑稽であります。そして、当主勝頼が裁定に入って、解決するのですが、逆に、村人たちは喜ばずに、がっかりしてしまいます。私は、えっ、村人たちは、何で喜ばないの?と思いました。しかし、深い事情があるようです。それは、この程度の訴訟なら、奉行程度に任せるのが普通なのに、わざわざ武田家の当主自ら出てきたことで、先代の信玄なら、このような細かいことはしないと思い、村人たちは、勝頼の器量を残念に思ったのでした。そのガッカリ感と村人たちが肩を落としてとぼとぼと村に帰っていくシーンは、哀愁が漂っています。
第六作目も、武田の話ですね。徳川軍に完全に包囲されています。甲斐からの援軍が来ないと分かると、城内では、逃げだそうとする者、覚悟を決めて、城内で潔く散ろうとする者たちで、いろいろと揉めています。逃げ出そうとする者が多いのですがね。その揉め具合が、各人でいといろと違い、その違いも人間臭かったです。リアルで笑えます。そして、ついに落城しました。皆、逃げるか、殺されました。しかし、そこに不思議と悲哀感はありません。主人公の足軽である百姓は、領国にいる妻を思いながら、討ち死にしました。
第七作目では、若手の僧侶たちは、織田軍が怖くて、仕方ありませんでした。かなりの緊迫感が伝わってきます。そして、いざという時、日頃から立派なことを言っている快川和尚は、どうするんだろうか、逃げ出すのか、織田に謝るのか、それとも織田に黙って殺されるのか、若い僧侶たちは、興味半分、恐怖半分で固唾を呑んで見守ります。私も、まるで、そこにいるような感じがしました。その緊迫感が、この上もなく、読む方に伝わって来ます。恵林寺の者は、一部の若い僧侶だけが逃げています。その罪悪感も人間らしく思いました。残った快川和尚ら僧侶たちは織田軍に、無理矢理山門に上らされていきます。彼等が一段一段上っていくシーンは、緊張感たっぷりでした。彼等は火で焼き尽くされました。快川和尚は、織田軍に決して屈することなく、「心頭滅却すれば、また火も涼し」と言いながら、山門の中で火の中に消え入ってしまったのでした。逃げながらも、唖然とする若い僧侶の姿が忘れられません。それが、この作品のクライマックスです。快川和尚の凄まじき肝にまさに驚きました。
男は辛いよ
第七作目は、蛍大名と呼ばれた男の変な意地が笑いを誘います。彼の妙なプライドがおかしくて、笑えます。彼は、本能寺の変の後、明智軍に付きました。明智が負けると、何と家臣を捨てて逃走します。それが彼のへたれ具合で、見事に描写しています。しかし、羽柴軍に逆らったのに、大名として、復帰します。何故ならば、彼の姉は、豊臣秀吉の側室であり、妻は、秀吉の側室淀殿の妹でした。そこで、姉や妻のおかげで、出世した、お尻が光った大名、つまり蛍大名と陰で言われ、本人もかなり気にしていました。高次は、不満たらたらです。変な意地を張って、家臣たちにもムキになるところが、ユーモラスなところです。高次に共感してしまいます。関ヶ原の戦いでは、高次は、家康の東軍に付き、西軍の大軍に攻められました。京極軍も奮戦しますが、軍の数と質の差が圧倒的に違い、西軍から三の丸、二の丸と次々に落とされ、城の本丸まで攻め寄せられました。じりじりと敵に攻められるシーンは、緊迫感があるものの、高次が妙な意地を張り、家臣たちと降伏するか、しないかで揉めているシーンはユニークでした。そして、家臣たちを守るために、高次は仕方なく、西軍に降伏しました。皮肉にも、その日が、関ヶ原の戦いで、東軍が西軍に勝った日でした。高次は、ああ、また俺は運がない男だと思ったことでしょう。しかし、西軍の中でも、戦上手の立花宗茂たちの強力な軍を大津城に引き付けておいたということで、大きな功を上げたと、家康に認められたのです。家康が、戻ってこいと言われても、高次は、嫌だと言って、なかなか高野山から下りませんでした。自分は、敗戦の将であり、また、蛍大名と陰で言われると思うと不満たらたらになり、そのことを気にして、今度も、家康の後継者の秀忠の正室お江の姉が、自分の妻のお初の妹だから、また蛍大名だと言われるかと思うと、妙な意地を張りました。その家臣たちとのやりとりがダダをこねた子供みたいで、面白かったです。家臣たちは、生活がかかっていますから、必死に、高次を説得し、何とか高野山から下りてもらい、高次は不満をぶつぶつ言いながら、大名として加増してもらったのでした。ハッピーエンドです。
読んでみると、一見ユーモラスな時代小説と思われるかもしれませんが、登場人物の名前が、大名以外は、例えば、冒頭の短編小説「二千人返せ」では、主人公の甘利備前、曽根三河守、駒井藤七郎など、官職名などで、忠実に書かれてあります。諱で書いてはありません。この作品は、よくある歴史・時代小説での、秀吉とか家康とか、名前で書かれてある小説ではありません。当時は官職名で呼ばれていたのです。著者の他の作品も同じです。また、主君や第三者や権力者との間に入って、気苦労が絶えない主人公が多いのです。まさしくトホホ歴史小説です。そして、人間味がとても溢れている作品集です。史実に忠実であるので、この作品の歴史の背景を見てみよう、勉強してみようと思わせる小説です。著者は、他にも多くの作品を書いていますが、このようなユーモラスな作品やシリアスな小説を執筆しています。乗りに乗った、注目の歴史・時代小説家です。この作家の今後に注目していきたいと思います。まだ、短編ばかりしか読んでおらず、岩井氏の長編を読んでいないので、これから、読んでみたいと思います。他の作品も同じです。登場人物も、どれをとっても、滑稽で笑わかせて、しかも魅力的です。岩井三四二氏は、キャラクター作りの名手と言えます。執筆時に、キャラクター作りを入念にされるのではないでしょか。今後がとても楽しみです。
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