海老蔵の圧倒的存在感
海老蔵の怪演が光る
1962年に仲代達矢主演「切腹」として映画化された滝口康彦氏の「異聞浪人記」を、三池崇史監督、市川海老蔵主演でリメイク。脇を固める俳優陣にも力が入る。敵役に役所広司、病と貧困に苦しみ妻子のために狂言切腹を企図したが見破れ窮地に追い込まれる瑛太、妻役の満島ひかりの熱演も光るが、とにかく海老蔵の怪演が際立つ1作だ。
酒の失敗が芸の肥やし
天下隊への世、浪人たちは食い詰め貧困にあえいでいた。大名家を訪れては「切腹したいので軒先を貸してほしい」と押しかけ、厄介払いの迷惑料をせしめる狂言切腹が横行していた。井伊家の屋敷に津雲半四郎(海老蔵)と名乗る浪人が切腹したいと現れる。役所広司演じる家老は男に以前、病に苦しむ妻子のために狂言切腹を図った男の策略を見破り、見せしめとして本当に切腹させたと語る。それを聞いた半四郎は、今度は自らの境遇を淡々と語り始める…。
酒の席での失敗で世間を騒がせた2010年末。映画はその一年後、海老蔵にとって再起を図るタイミングで公開された。名作と言っていい。公開直前、大阪松竹座で「勧進帳」「若き日の信長」などを公演。力強さが漲る圧巻の芝居を見させてもらったが、舞台上だけでなく、銀幕スクリーンでも魅力全開。それまでは、素材のみで演じていた印象だったが、画面からは鬼気迫るものが、にじみ出る。六本木の地獄のような夜が、芸の肥やしになったはずだ。
役所広司を前に朗々と静かに語るシーンは怖さを漂わせる冒頭から、何十人もの侍を相手に、竹光一本で大立ち回り、仁王立ちするクライマックスまで圧巻。モノクロを利用した演出が、作品に、海老蔵の芝居に凄みを与える。
脇役も豪華だが、海老蔵の前に霞む。義理の息子役で、病に倒れた妻の窮地を救うため、刀を売り、最後には狂言切腹を敢行。本当に切腹を命じられ、竹光でみずからの腹をかっさばくシーンは目を覆いたくなるほど凄惨で、瑛太の苦悶の表情、演技は見事。苦労して手に入れた卵が、ぐしゃりと落ちる場面なども胸を打つ。その妻役で貧困に苦しむ満島ひかりも、観客の同情を誘う。2人とも若手の実力派というイメージを脱却し、本格派の仲間入りを果たしたと言っていい仕上がりだった。それでも、鑑賞後にのこるのは、市川海老蔵の存在感。終始、海老蔵に目を奪われる。
徹底した役作り
裏打ちされるのは、徹底した役作りだ。撮影期間中、たまたま別のタレントの熱愛報道を取材しており、連日、京都の東映撮影所に張り込んでいた。朝早くけら、ジャージにサングラス姿の海老蔵が歩いて通っていた。弁慶役などが似合い、筋骨隆々のイメージだったが、「何か小さいな」と感じた。周辺の関係者から聞けば、減量のため宿泊施設から1時間以上かけてランニングして通っているという。貧困に加えて、娘夫婦の悲劇に見舞われ、やつれ、目だけをギラつかせる。そんな浪人を作り上げる最中だった。
プロ意識の塊と言っていい。これまで何度も舞台公演の会見取材に参加したが、とにかく報道陣にも高いレベルを求める。自分がそうだからだろう。質問のレベルが一定水準に達していなければ、徹底して逆取材。「それは、どう意図があるの?」「質問の意味がわからない」「それを聞いてどうするの?」。よく経験の浅いテレビ局ディレクターらが餌食になり、矢継ぎ早に、論理的に問いただされ、現場が凍りつくこともあった。しかし、それは本物を求める気概の表れ。こちらが、しっかりと歌舞伎を学び、歴史を勉強し、役者として演者たちが表現しようとしていることを理解した上で、ちゃんとした質問をすれば、必ず応じてくれた。状況次第だと思うが、司会者が「お時間ですので」と遮ろうとしても「まだいいでしょ?」と、こちらが納得するまで答えてくれることもあった。
人間国宝の器
重圧を感じさせない男気も魅力の一つだ。祖父に戦後最大のスターと言われた十一代目市川団十郎を持ち、父も19歳の若さで十二代目を襲名し市川宗家を担った。父を亡くし、中村勘三郎ら大物が次々とこの世を去った。窮地に立たされる歌舞伎界を再興すべく、自主公演「ABKAI(えびかい)」で演出家の宮本亜門とコラボレーションするなど他ジャンルとも連携し、新境地を模索している。プライベートでは、昨年夏に妻小林麻央さんを亡くした。悲嘆にくれり時間もなく、歌舞伎に舞台に、家庭では男手一つで2人の幼子を育て、文字通り市川宗家を支えている。あの騒動では、灰皿テキーラを繰り出し、「オレは人間国宝になる男だ!」と言ったとか言わないとか報じられたが、そんな話も今は昔。芸に取り組む姿勢、家族のために奮闘する姿は、世間の共感を得るだろう。近い将来、十三代目市川団十郎の名跡を継ぐ。300年以上続く成田屋の大名跡を継ぐ。間違いなく人間国宝の器。今作は、21世紀最大のスターになり得る男の土台となる1作という位置付けになるはずだ。
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