大味な脚本と華麗な映像
市川崑横溝正史シリーズ第4作
1976年「犬神家の一族」で大ヒットを記録した原作=横溝正史、監督=市川崑、主演=石坂浩二のトリオによるシリーズ第4作です。第1作のみ製作=角川春樹事務所(現在は角川書店に著作権譲渡済)、配給=東宝、第2作以降は製作=株式会社東宝映画(東宝の100%子会社)、配給=東宝と変わっていますが、東宝撮影所に拠る撮影チームは基本的に同じで、撮影監督の長谷川清も不変です。本作では美術監督が第2、3作の村木忍から第1作の阿久根巌に戻り、色調が華やかになりました。
このシリーズは1979年までに結局5本が作られましたが(他に原作=横溝正史、監督=市川崑では1996年に同監督、豊川悦史主演の「八つ墓村」、2006年に石坂浩二主演の「犬神家の一族」リメイクが、いずれも東宝で作られています)、基本的には第1、2作の評価が高く、後の3本は芳しくないようです。キネマ旬報ベストテンでも最初の2本が5位と6位、あとはベスト20にも入っていません。
デビュー当時から異才をもてはやされた市川崑監督は、実はシリーズ映画というものを手がけたことが一度もなく(他人が立ち上げたものも撮っていません)、これが60代、キャリア30年にして始めての体験でした。彼の監督キャリアはこの後30年近く続きますが、やはり結局この1回限りの経験となっています。しかも、通常、シリーズ映画というのは90分前後でまとめるプログラムピクチャーであることが多いのに、このシリーズは全て2時間20分前後の超大作扱いです。さすがの巨匠も、後半はバテてきてしまったのでしょうか。
驚くべき短いスパンでの製作
ここで、5本の一般公開日を並べてみます。
(1)1976年10月(2)1977年4月(3)1977年8月(4)1978年2月(5)1979年5月
最終作を除いて、驚くべき短いスパンであることにお気づきだと思います。しかも全作が撮影に60日前後かけているのですから、準備期間の慌しさは容易に想像がつきます。ちなみに、比較的最近で超大作扱いのシリーズ映画の例として「踊る大走査線」の一般公開日を見てみましょう。
(1)1998年10月(2)2003年7月(3)2010年1月(4)2012年9月
「海猿」シリーズも似たような感じです。現代では、少なくとも2年近く間をあけないと、俳優をブッキングできないらしいのです。その点、横溝シリーズは、長く拘束されるレギュラー俳優が石坂浩二と加藤武の二人きりという特殊事情もありました。しかも、当時人気絶頂だった石坂浩二は、多忙に追われて良いオファーを見逃す経験が重なったため、意識的に仕事を減らしていたといわれます。また、俳優全般のスケジューリング自体が現在に比べてずっと短期的だったのでしょう。国民映画「男はつらいよ」の最初の4本は、1969年8月27日、11月15日、1970年1月15日、2月27日という凄まじいペースで封切られています。1976年の東映映画「河内のオッサンの唄」とその続編は11月17日と12月25日。ご注意いただきたいのは、どれも、最初から続編予定だったわけではなく、前作の興行結果を見てゴーサインを出し製作に入っていることです。それぞれの主演、渥美清も川谷拓三も人気者だったわけですから(だからこそ映画が作られた)、それでもスケジュールに余裕を持たせていた当時の風潮が伺えます。
さて、俳優の問題は解決しても、製作準備の問題があります。ロケハンや、何よりも脚本。横溝シリーズは原作付とはいえ長尺ですし、期間の短さは深刻なハンディとなったことでしょう。ロケ地でいえば「悪魔の手毬唄」「獄門島」は原作(映画でも設定上)どおりの岡山県で撮った絵は僅かで、大部分を山梨県と伊豆でロケしたといわれています。
「悪条件を芸の力で克服」
この見出しは「女王蜂」公開後に朝日新聞大阪版の映画批評欄に書かれた批評のまとめ文の一部です。同じ記事には、脚本が撮影初日に間に合わず、書き進めながらの撮影であったとも書かれています。それでこれだけ豪華な俳優を集められたのは巨匠パワーとしか言いようがありませんが、ドラマが明らかに舌足らずになってしまったことは朝日の記事も指摘しています。脚本には前3作の日高真也に加えて桂千穂が呼び出され、「協力」のタイトルでクレジットされている松林宗恵は木村大作カメラマン(ノークレジット)らのB班を率いて伊豆ロケの大部分を担当、と大慌ての突貫工事だったようです。
それにしては良く出来ている、と観るか、そんな事情は観客の知ったことではない、と突き放すかは見解のわかれるところでしょうが、筒井康隆は公刊日記で「20年前に観たら大感激しただろうが」と意味深な換装を一言記しています。
映像は圧倒的
朝日の批評にもあったとおり、市川監督は悪条件を振り払うかのように、あの手この手の華麗なテクニックを駆使。特に冒頭部からタイトルインにかけてのリズムの良さ、呼吸の鮮やかさは絶品と言ってよく、市川作品でも屈指の名場面になっています。この一部が松林班撮影によるものだったとしても、完全に編集で市川ワールドにしてしまっているのです。いきなり旧制高校生姿で登場する仲代達矢は当時44歳。やはり当時の44歳と今の44歳では貫禄が全然違い、似合わないことおびただしいのですが、そうした違和感すら作品世界に観客を引きずりこむフックにしてまっているところも市川・仲代両者の「芸」といえるでしょう。「獄門等」に続いて田辺信一が担当する音楽も素晴らしい。
その後も、マルチスクリーンをずらっと並べたり、生き生きと躍動する映像に比べ、ドラマの弱さが次第に目立ち始めます。
白い馬を出してくれ
共同脚本の桂は、市川監督と打ち合わせ中
「海岸を真っ白な馬が走る場面が欲しい」
「はあ? それはまたどういう脈絡で?」
「そこをキミが考えてよ」
というやりとりがあったことを記しています。とにかくドラマよりも映像を優先していた監督らしいエピソードですが、白い馬の話は前作「獄門島」同様、原作の動機面を補強するために追加され、そして、同様に失敗に終わりました。原作では犯人が血の繋がらない養女に男女間の愛情を抱き始め求婚者を殺戮するという動機があり、ここがしっかり強調されなかったのが残念です。ただ、演じる仲代達矢は、当時本当に血の繋がらない養女(妻の姪=仲代奈緒)を育てていたので、そこに遠慮が生じたのでしょうか。それにしても脚本を受け取って驚いたか、プロとして間然と引き受けたのかは判然としませんが、それにしても真相を知ってヒロインが
「あの人は私のおとうさまでした」
と泣き崩れ、一同もらい泣き、という場面は、何をいっとるんだおまいは、としか感想が出てこず、岸惠子が罪をかぶって無理心中に走るドラマがじれったいほど生きてきません。憎憎しい加藤武警部と石坂金田一の間に友情らしきものが芽生えたことを示す(でもこの警部は次作でまた全部忘れてしまうのですが)ラストシーンも同様です。
ただ、このラストが比較的締まっているので、ガタピシしたドラマへの不満をとりあえず飲み込んで、映画を観終えることができるのも確かです。良い脚本から悪い映画ができることはあっても、その逆は絶対にない、とは言い古された言葉ですが、まずまずの映画が出来ることはある、と加えるべきではないでしょうか。
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