タイのリゾート地に旅行に行く気分で
ストーリーはあるようで「ない」
「かもめ食堂」や「めがね」の作品群に属する、小林聡美主演の映画「プール」は、舞台がタイのチェンマイで、過去の作品と共通してゆったりした雰囲気の癒し系映画に仕上がっている。この作品群をご存知の方はおなじみだが、ストーリーがあるようで、ほとんど「ない」に等しい。むしろ雰囲気のほうが重要な映画なので、起承転結は求めない方がいいだろう。そういうのが理解できない人にとっては、とてもつまらない映画であるし「結局、何が言いたかったの?」って感じで終わるだろう。大まかなストーリーとしては、娘を残してタイに移住した母を尋ねて、娘がやってくるという親子愛をテーマにしたストーリーだ。娘は母を恋しいと思っているが、母は娘を日本に置き去りに(祖母に預けている)してでもタイに来なければならない理由があった。この理由とは、結果的に明確に語られることはないのだが「自分を娘のために犠牲にせず、自由にしていることが自分の人生」という感じで、女性の生き方についての模索を感じられる作品である。ただ、作品のストーリーとしては「娘がタイに旅行に来て母に会って日本に帰る話」と要約することができる。
絶妙な娘の心情
娘「さよ」役の伽奈は、この作品が女優デビュー作である。けして演技が上手いというわけではないが、自然な演技が魅力的だ。もともとモデルで、雑誌で見かける機会が多いが、背が高くボーイッシュな雰囲気の女性である。「プール」のあとは「マザーウォーター」「パンとスープとネコ日和」でも小林聡美と共演している。見事にファミリー入りを果たした。
さよは、母に会うために日本からタイへ旅行に来るが、小林聡美へのよそよそしさが逆に対立した母と娘の関係性を物語っていてとても良い。久しぶりに会う母は、ほぼ初対面のそれと大差ない。演技が下手だから良かった、と言ってもいいだろう。遅れてやってきた反抗期というか、親の愛情を試す行動が初々しい。今後の活躍が楽しみな女優のひとりだ。
いつもの小林聡美と違う
この「プール」に関して言えば、いつもの小林聡美とは雰囲気が違う。やはり小林聡美に子供がおらず、実際は母親を体験していないということがポイントにもなるような気がするが(私生活では三谷幸喜と離婚しており子供はいない)、母親という役柄を演じるときの小林聡美には戸惑いが感じられる。どこか「逃げている」ような感じを覚える。テレビドラマ「anone」で青羽るい子役を演じた時もそうだったが、まるで母親役という椅子の座り心地が悪い、という感じに見えてしまう。独身役の方がしっくりくるというか、そんな内側の葛藤があるような気がしてならない。ただ、プールに関して言えば、正直「母親の役割を放棄してタイに来た女性」という役柄だったので、ちょっと役柄から距離を置いたような演技が見られた。おそらく、小林聡美本人が京子という役柄に完全に理解を示せなかったのではないか、と推測する。そういう意味でも、プールにおける小林聡美は「いつもと雰囲気が違う」と感じる。けしてタイの雰囲気に飲まれてしまったのではなく、役柄の矛盾が起こした結果だろう。
もたいまさこの存在感
毎度のことながら、この作品群におけるもたいまさこはマスコットキャラ的な位置づけで登場する。今回はガンを患った日本人女性役ということで、最後もドッペルゲンガー?のような登場の仕方をするが「あの人は不思議な人だからそういうこともあるよね」となぜか許せてしまう存在感がある。おかしなことがあっても「ああ、もたいまさこだもんな」といった感じで納得してしまうだろう。けしてストーリーには深く介入することはなく、なんとなくそこにいるだけという存在なのだが、もはや定番となりつつあるので静かに見守っていきたい。
市尾とビーの擬似親子関係
京子とさよの親子のほかに、重要人物がいる。それが市尾という青年とビーという現地の少年だ。ビーはタイ人の少年が演じている。市尾は縁あって親のいないビーという少年を引き取って育てているが、年齢は若く独身だ。市尾を演じる加瀬亮は「めがね」にも出演していたファミリーのひとりなのだが、とらえどころがない、強烈な個性もない、欲もない、そこらへんにいる普通の優しいお兄ちゃん、という感じがなんとも言えない存在感を醸し出している。
市尾は京子の同僚という関係で、単純に「優しくていい人」という感じだ。偽善的な雰囲気もなく、ちょっと天然ボケなところもある。市尾とビーは国籍が違えば、当然血のつながりもない。ビーの本物の母親らしき女性と会うが、ビーは市尾を選んだ。このあたりがフィクションっぽさ(ありえない、作り話っぽい)のある演出だったが(なんの躊躇いもなく現地の子供を育てる日本人の独身男性はそうそういないだろう)、京子とさよに「こんな親子もいるんだぜ」的な道を照らした存在でもあった。とくにさよにとって「日本では子供にお母さんがいて当たり前なんだけど、どうして私のお母さんは海外にいるの?」という怒りにも似た疑問があることに対してのアンサーのようだ。血のつながりは重要ではないし、一緒に暮らすことが正解でもない、といった感じである。
子供にとって親とはなんなのか、ご飯を食べさせる人か、お金を与える人か、または心の拠り所なのか。ちょっと現実離れした擬似親子ではあるが、市尾とビーの関係が「プール」という物語の主軸にあるのは間違いない。さよが心の底から納得できたかどうかはわからないが、おそらくタイに来る以前よりは母親を好きになれたのではないだろうか。
写実的でありながらの違和感
実際にタイに移住して暮らしている日本人は多く、とくに作り話っぽさはない。日本から親族が訪ねていくことも珍しくないだろうし、日本人がタイに馴染んで現地人と仲良くやっていることもあるだろう。ただし、どうしても「かもめ食堂」のイメージがあるため、タイ人と日本人の溝が埋まっていないことが気になった。「かもめ食堂」のときは、現地の俳優が素晴らしい演技でバックアップしたのだが、「プール」では現地の素人を使った、ということもあってか「馴染んでない感」や「日本人浮きまくり感」がすごかった。とくにタイの街中のシーンや、タイ人と関わるシーンになると、タイ人がめちゃくちゃカメラ(撮影)を気にしている様子がある。また、ビーの母親らしき人の音声にも緊張感がなく「え、自分の子供のことなのにそんな軽くあしらっちゃうの?」(演技力の問題?)と期待はずれだった。大きな問題というわけではないが、タイという土地に溶け込むのは難しいようだ。
飯島奈美さんのフードシーン
忘れてはならないのが、このシリーズには欠かせない飯島奈美さんのフードシーンだろう。フードコーディネーターの飯島奈美さんと言えば、映画の食事を用意するプロフェッショナルだ。「めがね」でも理想的な和食の朝食のシーンがあり、映画のフードと言えば飯島奈美さんというイメージが強い。今作品ではタイ料理ということもあり、エスニックなフードと日本食をかけあわせた食事が多い。どちらかというと、タイの料理ではなく「日本人がタイに住んでいると食べたくなる日本料理をタイで再現」みたいなテーマがあるように感じた。食べ物の映画、といっても過言ではないほど美味しそうに描かれているし、食事のシーンは手を抜いていないのがわかるだろう。
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