”ヤシガニ” - ロストユニバース-LOST UNIVERSEの感想

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ロストユニバース-LOST UNIVERSE

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”ヤシガニ”

3.03.0
映像
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ストーリー
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キャラクター
4.0
声優
5.0
音楽
4.0

目次

製作期間の切迫による作画崩壊の代名詞になってしまった作品

今や『作画崩壊で有名なアニメは何か』という質問の筆頭の回答としてこの「ロストユニバース」という作品が挙がるという、不名誉なことになってしまった感がある作品である。放送開始当時、誰がこのような状況を予想しただろうか。当時、「スレイヤーズ」という作品が爆発的な人気を博し、その同じ原作者の作品として制作、放送されたのが本作であり、制作スタッフや声優陣もほぼ同じ。普通に順調に放送されていればかなり大きい支持は得ただろうと考えられる。実際、私も「スレイヤーズ」という作品が好きで、その声優陣が出ているから、というのが視聴動機だった。しかし、いざ放送が始まってみると、様子がおかしかったのだ。第1話のオープニング。絵が動かないところがある。『鋭意製作中』と書かれた紙を掲げるキャラクター。本放送当時は、これが演出なのか本当に間に合っていないのか、よく分からない部分もあった。が、その心配が見事に現実のものとなってしまう。それが、作画崩壊の代名詞にまでなっている『ヤシガニ』がサブタイトルに付く第4話「ヤシガニ屠る」だ。「あれ?それは第12話ではないの?」という人がいるかもしれない。商品化されたときに該当話は「第12話」として収録されているからだ。破滅的な作画崩壊のリテイクの時間稼ぎのため、収録される巻の発売日が遅くなるように話数をずらした結果だ。そしてその第12話は見ることができるレベルにはリテイクされている。したがって、テレビ放送を見ていない人は作画崩壊がどんなものだったかを知らないだろう。どのような作画崩壊だったか少しだけ書いてみると、まず、キャラクターの顔がおかしい。かわいくない。というより容姿がひどい。素人でももっとうまく描けるだろうというほどひどい。そのキャラが動かない。動いてもカクカクする。ひどいときにはワープする。一人がもう一人の持っている紙をひったくるのが2コマしかなく、一瞬で奪い取ったことになっている。もう「アニメ」と呼べる代物でもない。“紙芝居”状態である。まだある。登場人物の一人がもう一人にお説教を食らっている。理由はお金の無駄遣い。モニターに映し出されているというグラフを根拠に言っている。はずなのだが、モニターには何も映っていない(修正版のDVDにはちゃんとしたグラフが映っていた)。別の場面。グラスにワインが注がれる。音のタイミングがずれている。グラスの中でワインが揺れるのもカクカク。そのグラスが割れる。その音もずれている。こういう状態がある一部分ではなく全編に渡って続く。よくもまあこんな状態のものを放送できたな、という感じがした。

 なぜこんな状況になったのか、まとめてみる

なぜこんなことになってしまったのだろうか。ここでは、当時のアニメを取り巻く背景の方から考えてみることにする。本作の放送時1998年当時はまだまだセル画全盛期である。CGを使った作画というものもこの時期あたりから出現し始めており、実は本作においても一部はCGが使われていて、ある意味画期的な作品である。本作はそれをウリにもしていたのである。しかしメインどころの多くはまだセル画による作画であり、当時が1週間に30本程度がアニメ制作の適正な数とされていた時代である。その中にあって、1998年の春の週刊アニメ数は約70であった。当時、「新世紀エヴァンゲリオン」が爆発的な人気を誇り、各社が二匹目のドジョウを狙って次々とアニメ作品の企画を立て、アニメ化される作品が増えてしまった。この状態では本作で起きなくても、いずれ別の作品で起きていただろう。アニメ制作は破たんしかけていたのだ。そこにもってきて、本作の制作開始は1998年1月だったという。つまり放送まで2か月程度しかない状況であった。これでは正常な制作は到底無理だ。この“ヤシガニ”は起こるべくして起こった事件、と言えるかもしれない。

 生かされない教訓

この“ヤシガニ”で教訓を得たはずなのに、アニメ界はその後も同じことを繰り返してしまっている。“ヤシガニ”から約10年後の2007年に放送された「ひだまりスケッチ(第1期)」の第10話が止め絵中心の作画となり、銭湯の背景に『富士山』という文字を使ったことから“富士山”と形容される事件になった。また、その5年後に放送された「ガールズ&パンツァー」は作画崩壊こそないものの、制作が間に合わず、テレビ放送期間中に総集編を2回入れた関係で終盤2話の放送枠がなくなり、数か月後に改めて枠を取って放送するという形態がとられてしまった。この形態は最近でも「ろんぐらいだぁす!」(2016年)に見られた。さらに、2018年放送の「メルヘン・メドヘン」においては第9話の放送を2週間延期したにもかかわらず作画崩壊が見られた上にやはり終盤2話が放送枠の関係で放送できない状況に陥った。このように、現在においても、同じようなことを繰り返しているのである。

 この問題が解決できない理由

これはなぜか。現在は作画はほとんどコンピュータ上で行われるので、1週間で制作可能な作品数は昔よりも多いはずである。しかし、実際に放送されている作品はそれ以上に増えているのである。2018年4月現在、1週間に制作される作品数は100を超えている。『制作可能作品数<実際に制作される作品数』という構図は“ヤシガニ”の時代と何ら変わっていないかむしろひどくなっているのである。これは、大変乱暴な言い方になるが、「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」という感覚で、とりあえずアニメを制作して、人気が出たものを2期、3期と展開する手法が多くみられることがある。アニメ制作も仕事であるから、儲けないと意味がない。儲けるためのコンテンツを探すために制作数自体を増やしている、ということである。また、職業として確立されつつある声優の仕事を確保するという意味でも、ある程度のアニメ数は必要であろう。このような理由から、現在では、制作するアニメ数を減らすことができないのであろう。

 CG技術の先駆け的作品

さて、本作に話を戻すと、“ヤシガニ”にばかり注目されてしまいがちだが、先にも述べたとおり、「CG技術の先駆者」的な作品でもある。セルアニメとデジタルアニメ(CG)とを、シーンに応じて使い分けるという手法を採っている。それまでの作品はOPやEDなどでCGを使うことはあっても、本編に使うということはほとんどなかった。それを使い始めたころの作品が本作である。当時、放送を見ていても、「これがCGだな」というところはすぐに分かった。それほど画期的で素晴らしい技術なのである。もっとも、当時は見慣れていないものであり、素晴らしすぎて違和感すらあった。実は作画崩壊した第4話においてもCGシーンはあり、そこはきちんとした映像が流れている。これはセルとCGの下請け会社が異なっており、CGを請け負っていた会社は納期をきちんと守っていたからである。CGの良さは画像の滑らかさもあるが、いったん映像を作ってしまえば、それを基にして他の場面の映像も作成できる、制作時間の短縮にもある。皮肉にも“ヤシガニ”がこのことを裏付けることにもなってしまったのである。現在デジタルアニメが主流になったのは、大元を紐解くと、本作の時代の技術の進歩にたどり着くだろう。そういう意味でも、アニメ界を語るうえで重要な作品だと言えるだろう。

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