東川篤哉『館島』レビュー
「館」へ! 高まる期待
このミステリには奇妙な形の建物が出てくる。全体が六角形の角柱で、中央部に螺旋階段をそなえた別荘。天才建築家・十文字和臣のものであり、彼の死体が見つかった場所でもある。風変わりな建物が大金持ちの持ち家であり、その大金持ちの死に不審な点がある。関係者が集められ、その中には確執のありそうな家族と探偵がいる。そしてまた人が死ぬ。完璧におなじみのパターンだ。これはもう、「館」を舞台にした重厚なミステリに期待せざるをえない。
と思いきや…
だが、ひとたび本を開くと、そこに流れる空気は「重厚」と呼ぶべきものからは程遠いことに気づく。東川篤哉の他の作品に親しんだ人ならともかく、初めてこの作者の小説に触れた人であれば、舞台設定には一見そぐわないようにも思われるコミカルな文体に面食らうのではないだろうか。だって、変な形の建物で人が死んでいる。変な形の建物では人が死ぬのがミステリである。しかもその建物は瀬戸内海の小さな島にあり、最初の事件(十文字和臣の死ではなく、彼の死後、関係者が集められた際に起きる最初の事件)のあとには、嵐のため警察がすぐに来られないことが明らかになる。何ともお約束通り。お約束通りでないのは文章のそこここに散りばめられた「ここ、笑うとこですよ!」とでも言いたげな表現だけなのだ。
十文字和臣の長男と三男のいがみ合う様子はこれでもかとばかりに大げさに描かれるし、彼らの(うちの誰に嫁ぐかまでは決まっていない)美しい許嫁・奈々江は、悲劇のヒロインになるにはちょっと天然すぎる。視点人物である隆行は美人に目がないし…探偵役・沙樹の推理力はさすがだが、憧れを抱けるようなかっこいい女探偵という感じではない。
というわけで、どっしりと香り高いミステリを期待して読み始めると何だか物足りないような、肩すかしを食らってしまったような気持ちにもなりかねないのがこの作品なのだが、だからといって投げ出してしまうのは惜しい。サービス精神が透けて見えそうなくらいのコメディタッチは慣れてくればクセになるし、そういう文体が苦手な人にとってすら、無視できないほどの魅力を放つ謎がそこには用意されているからだ。
転落死と墜落死
まず、「館」に人々が集められるそもそものきっかけとなる十文字和臣の死の謎、これがなかなか面白い。密室とか、アリバイがどうとか、犯人がどうとかではないのだ。六角形の館の中央部にある螺旋階段の一番下で死んでいた、という分かりやすい状況にあって、「転落死」ではなく「墜落死」なのがおかしいというのである。
転落は、文字通り転がり落ちることである。階段や坂道などをごろごろと転がって傷を負う。墜落は、高いところから落下する。確かに違いはある。あるけれど、その違いを謎として言い立てられても、第一印象としては「なんか地味」である。落ちて死ぬのに変わりはないわけだし、たまたま打ちどころの関係でややこしくなっただけじゃないの? と言いたくなる。
しかしこの「なんか地味」な謎が、じわじわと効いてくる。登場人物たちがこんなに拘るってことはやっぱり不思議なんだろうなあ、なんて思って、「なんか地味」と切り捨てた自分を反省する。そして巻頭の見取り図を見る。この螺旋階段の配置だと、確かに墜落は無理かも。いや、絶対無理。
こうなってくると、「なんか地味」な謎は、例えば「とんでもなくアクロバティックな不可能状況での殺人」なんかより断然気になるものになってしまうのである。「とんでもなくアクロバティック(以下略)」には、それに見合うだけの奇想天外なトリックがあるのだろうし、そんなもの作者が明かすまでどうせ自分には分からないだろうと思う。けれど「なんか地味」で解けない謎は、手が届きそうで届かない宝物のように読者を誘惑する。転落と墜落の違いくらい乗り越えられそう、なのにいくら考えても分からない、モヤモヤ感。そしてこっちは真剣にモヤモヤしているというのに笑わせようとしてくる文章への苛立ち。早く手がかりをくれ、もう隆行の情けない失敗とかどうでもいいから、と言いたくなる。しかしそれも作者の仕掛けた罠だ。全てのトリックが判明した後、ただのギャグだと思っていた部分に、実は重要な手がかりが隠されていたことが分かる。「やられた」となること請け合いである。
「館」ではない「館」
トリックの核心に触れる部分で、女探偵・沙樹は十文字和臣の妻・康子に問いかける。
主要な人物のアリバイ? 隠された人間関係? いや、彼女が問うのはもっと簡単なことである。それは、この館の名前。
○○館、○○荘、○○城…ミステリに登場し、血なまぐさい惨劇の舞台となる大きな建物には、それなりの名前がついているものだ。しかしこの六角形の館には名前がない。奇妙な建物と持ち主の変死、さらに相次ぐ殺人といういかにもな展開を用意しておきながら、ここにきてその舞台に名前がないという事実が明かされる。肩すかし連発のこの小説のなかでも最大の脱力ポイントと言えるだろう。名前がないのは、この「館」は建物ではなく機械部品だから。部屋のある部分をナット、展望室のある屋上部と螺旋階段がネジとして、屋上部が上下することがトリックの要である。
ミステリに「館」が登場すれば、その立地や間取り、形に依存する大掛かりなトリックを期待してしまうものである。そして『館島』はその期待に存分に応えてくれる。まさに「館」の性質を生かした大胆なトリックであり、真相が明かされる前には十分な情報が開示されていてフェアである。しかし、こんなにもミステリの舞台としての「館」らしい十文字和臣の別荘は、名前を与えられないという点において「館」とは言えない。数々の○○館、○○荘、○○城を差し置いて、こんなに魅力的な謎を提供してくれた「館」が「館」ではない――これは謙虚さなのか、不遜さなのか。文句なしに面白いことだけは間違いない。
《島》と《橋》
この小説の舞台は一九八〇年代の瀬戸内海である。今では皆が知っている瀬戸大橋が架かる数年前という設定。「館」のある横島は、橋桁として瀬戸大橋を支える運命にある。このことについて語る「館」の管理人・青柳の言葉は印象的だ。
彼は、《橋》とは本来《島》に奉仕する存在であると言う。それが逆になり、横島が瀬戸大橋を支えなくてはならないことに納得がいかないというのである。コミカルな調子が続くこの小説のなかで何となくしんみりさせられる、ほぼ唯一といってもいい部分である。
この《島》と《橋》の関係は、もしかしたら《謎》と《館》にも言えることなのかもしれない。
本来《館》は《謎》に奉仕する存在なのに、《館》の存在ばかりが前面に出て、《謎》やトリックはいまいちだったり、《館》の図面を見ればすぐ真相が分かってしまったり…そんなミステリに出会ってしまうことも多い。けれど『館島』では、《謎》を置いてけぼりにして《館》が主張することはない。何といっても舞台となる建物は名前のない、「館」と呼ぶこともできないようなものなのだ。それはボルトとナットという機械部品であり、物語の部品でもある。あくまで物語を支え物語に奉仕する存在であって、物語を足場にして目立とうという存在ではない。
横島と瀬戸大橋の関係においては《島》と《橋》の関係が逆転してしまうが、このミステリでの《謎》と《館》の関係はきちんと守られる。青柳のぼやきには、そんなメッセージも隠されているのかもしれない。
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