その死は無意味だったが、再生には必要なことだったのかもしれない - 日輪の遺産の感想

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日輪の遺産

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その死は無意味だったが、再生には必要なことだったのかもしれない

3.53.5
文章力
5.0
ストーリー
3.5
キャラクター
2.5
設定
3.5
演出
3.5

目次

「後悔し続ける」ためだけに生きることを選択した

一言でいうと「戦時下で最も弱い立場であった純真無垢な女学生が、秘密作戦遂行のため利用され、口封じされた」物語である。しかし、利用するつもりも無く、そのあまりに惨い最終命令の撤回に奔走した作戦遂行責任者の真柴少佐と小泉中尉、作戦の最終実行者となるはずだった軍曹や生き残ってしまった少女の無力感が、作者の圧倒的な筆力で描き出され、彼らの万感が胸に迫る。

真柴は「幽窓無暦日」という言葉の重みを自ら抱え込むように惨めな人生を選択、曹長は最終命令であった秘密の保持の遂行に人生をささげる。小泉中尉は少女たちと共に眠る財宝を日本再生の切り札にするために命を投げ出す。少女たちも、大人たちも、あまりに命を軽んじてないか?そのことがあの当時の日本の常識だったのか?だとすると、その犠牲の礎の上に現代教育を受けることができた自分たちがいるということになる。そして作者が投げかけた想いの重さが染みる。

なぜ人生の最後に命令を破ろうとしたのか

悔恨を惨めな暮らしに求めつつ、秘密を保持し続けた真柴が、いよいよその死を実感するにあたり、なぜたまたま隣り合わせた程度の人々に託そうとしたのかが腑に落ちない。このままでは少女たちの死を知る人間がいなくなることを恐れたのか?守り続けた秘密の重さに心が崩壊したのか?少女たちの死を伝え続けることが正義と考えるなら、もっと早くにやりようはあっただろう。だとしたら後者か。関係者も全員が死者になることを待っていたのかも知れないが、そうなると「幽窓無歴日」に日々は何だったのだろうということになってしまう。少し「国家による洗脳の恐ろしさ」を伝えるための「少女たちの死のストーリー」へ導くための強引な前振りかと勘繰ってしまう。暇を持て余す無為な暮らしをする丹羽や現状に絶望している海老澤だから、なぞ解きに時間を割く気になるわけで、真柴とそういった男たちの接点を創作するためには、競馬場が最適だったのか。丹羽や海老澤の今の暮らしは、死んでいった少女たちに象徴される「あの頃の日本人」の犠牲の上に存在しているのだという作者のテーマにも繋がりやすいのかもしれない。

そういう意味で、丹羽や海老澤は現代人の代表として登場しているのだろうが、まだマシな方だ。作者が本当に「現代人の代表」として描いているのは真柴の話に耳も貸さず、弱者を無視する作中の名もなき「その他大勢」なのだ。現代人のほとんどが真柴を無視し無関心を決め込むだろう。おそらく私自身もそうだ。だが、そこに国家による洗脳に気づかない落とし穴があるのだという警鐘を感じる。人生の中で、目を瞑らなくてはいけないことは絶対にある。しかし、国家の指針には絶対に瞑ってはいけないのだということを、全力で伝えようとする作者の嘆きを感じるのは深読みが過ぎるだろうか。

真柴が人生の終焉にあたり、秘匿を破り作戦の事実を公にしようとしたのは、自分の利害以外に興味を持たなくなった現代人に、そのことの危険性を伝えたかったのだろうか。そのために手帳が示す財宝を鼻先の人参にする必要があったのかもしれない。鼻先の人参・・・馬か。あー!だから競馬場か!って考えすぎだな。

仲間外れにされた少女の心は、死ぬまで救われることは無い

級長の久枝はおそらく当時の「絵にかいたような女学生」だ。清く、正しく、潔く。目上の人を敬い、出された課題には真摯に向き合う。そうあろうと努力し続けることが自分の存在価値であると教え込まれた人なのだ。これは間違いなく「国家による洗脳」である。理想としては崇高で美しい。が、本当に実行しているとしたら恐ろし過ぎる。それでも一途に理想を体現しようとしたから、久枝は煙たがられ、浮いてしまったのだろう。悲しいことだ。人として正しいことをしようと勇気を出しただけなのに。現代に例えるといじめられている子を庇ったがために、ターゲットにされてしまったようなものだ。正しいことをしようとすることは、人として美しい。心の強さが無いと持ちえない美しさだ。心が弱く、美しくないことに妥協して生きる人にとってはまばゆいのだ。まばゆい光は見続けてはいられない。目を逸らしてしまう。ゆえに孤高なのだ。孤高に耐えていた久枝は、結局独りぼっちだったのだろう。

体調不良を庇ってもらったスーチャンは、みんなに青酸カリを渡して自決することで「一人で休んだ埋め合わせ」をしようと考えたのかもしれない。それは仲間外れにされたくないという心の動きだ。黙々と級長の指示に従った他の女学生たちも、異を唱えることで仲間外れにされることを恐れたのではないか。みんな久枝のことがまぶしかっただけなのだ。個がまぶしがっているだけなら「憧れ」だが、全員がまぶしがってしまったら「仲間外れにしよう」といういじめ行動になってしまったということか。それも生死を分けるいじめ行動となると最早救いようはない。久枝の心は砕け散るしかなかったのだ。おそらく久枝の心が平穏を迎えるのは「みんなと一緒」の死しかないのだろう。

物語の終わりに、久枝は孫たちに「このことを忘れないでいよう」という。しかし、それは本心だろうか。仲間外れにされた事実を忘れてしまいたいのじゃないか?そして、膨大な額の財宝を19体の白骨化した遺体とともに永遠に封印することを決断する人間がいるだろうか?何としても手に入れようとするのではないか?この物語に終わりに生きているすべての人が(日本人のアメリカ人もしかり)あまりにも現実離れした心の豊かさを持っているのではないか?と思った。これは、とりもなおさず「自分ならどうするか」を考えた結果である。ということは、私は女学生の白骨死体を取り除き、財宝を手にするタイプの人間ということになる。自分の醜さを垣間見てしまう最終頁だった。

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