仏門の中で生きる覚悟と意味を問う - お慕い申し上げますの感想

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お慕い申し上げます

4.254.25
画力
4.00
ストーリー
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キャラクター
4.25
設定
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演出
4.50
感想数
2
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仏門の中で生きる覚悟と意味を問う

4.54.5
画力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.5
設定
4.5
演出
4.5

目次

死ぬのが怖いから

たった6巻なのだが、やはり仏教についての漫画は深いよね。生きるって何なのか、死ぬって何なのか、考えずにはいられなくなるし、人は支えあうと言いながら、一人で生まれて一人で死ぬものなのだと考える。道に悩む人ほど苦しく、一人でいたい人ほど仏門を選ぶ気がする。誰かと関わることが怖かったり、鬱陶しかったり、傷つきたくないし傷つけたくないから一人になりたくて…。だから危ない宗教がなくならないんだよね。すがりたいんだもの。そして、わかってくれる同胞を得ることができるんだもの。

ここで描くのは、日本では真っ当というか、よくある寺の仏教のお話。そこには和尚様がいて、息子の坊主がいて、寺の子でもないのに出家してしまった男がいて。自分の生きる意味に考えて悩み、欲とは何なのかを問いかけていた若い坊主たちのもとに、一人の女性が見合い相手としてやってくる…。

清玄と清徹が抱いていたのは、「死ぬ」という概念。なぜ生まれて、死ななくてはならないのか。死んだらどこへ行くのか。死んでしまったら無であると気づいたときの恐怖。そして興味。この辛さの分け敢えて、道を示しあえるから、2人は一緒にいた。清徹が一緒にいることを選んだんだけどね。清玄はまだその深さを知らなかったし、自分の欲望をどうやって取り払ったらいいのかに必死だったから、若いがゆえに、闘っていた。自分に問う言葉は同じなのに、見ているところはちょっと違っていて、それが一つになったときの感動と、吹っ切れたときの爽快感は最高だった。

嫉妬が渦巻くから

きっかけは清玄に見合い相手の節子がやってきたことだった。彼女はオリンピック選手にもなれるマラソンランナーだった。だけど、同年代にも怪物ともてはやされた人がいて、その人を憎むことでがんばってがんばって…ついには勝つことができず、努力しすぎて体を壊し、スポーツ選手としての道を諦めた人だった。そんな彼女は、誰も妬んだりしたくないし、自分の思い通りになるものが1つでもいいから欲しいと願って、お坊さんとの見合いを受けた。仏教の中に身を投じ、自分の醜さと向き合わなくてはならなくなる節子。そして、誰よりも男の人に愛されたいと願った女だった。

清玄は、車の中でどこぞの女性との情事をはけ口にするのに、節子とは結婚しないと言った。節子はこれも思い通りにならないのか…と思っただろうし、清徹という愛する人ができても、受け入れてはもらえなかった。それに振り回されて、一生妻はめとらないと決めた清玄と清徹もまた悩み、苦しんだのだけれど、男2人の間に亀裂が入るわけじゃなかった。節子をきっかけとして、お互いが自分の恐れているものと向き合えたんだよね。それが何より、すごい効果だった。もしかしたら、峰博和尚様もそれがわかっていたのかな…敢えて巡り合ったご縁をつなげることで、彼らの悩みを解き放ち、自分は認知症になって死んでいったのかもしれない。まさに、清玄のお坊さんとしての覚醒を待っていたんじゃないかなって。後になって考えてしまう。

色欲を乗り越える時

手の届くところにそれはあって、別に許されないことってわけじゃない。でも大昔は妻帯はお坊さんに許されていることではなかった。峰博和尚様だって、お釈迦様の前で一人で慰めていたのだろう…。でも、和尚様はお嫁さんを迎えた。別に、許されていることだし、悪いことなんかじゃない。なのに、何かが正しくない気がする清玄。和尚様たちがいなければ、自分はこの世に生まれなかったというのに、自分が何かを遺すことが正しいとは言えないのではないかと問い続けた。女の人は気持ちがいいが、それに溺れては和尚としての務めが務まらない気がする。汚れている気がする…。彼は本当に、仏教の中に生きる人であり、救われた人なのだなーと思ったよ。神社仏閣の息子としての責務みたいなものがあるから、生きていられるような気がした。

暴走しっぱなしで、欲望をどう解決したらいいのかを考えていく清玄。彼は、清徹に道を示してもらったことが、非常に大きな転機となった。それまで悶々と悩んでいたものが、自分の明確なゴールを見せてもらえたことで、晴れていったんだと思う。たとえ何も残らなかったとしても、確かにそこに彼がいた。そうでなければ自分は自分ではいられなかった。そういうふうに考えられる清玄は、やっぱりいい奴だ。すべてを万物の流れと考えて、冷静に、確実に、乗り越えるための道を歩む。男にとってみれば、重大なことだよね。否応なくその欲望には勝たなくてはならないのだから。

果たして清徹は恋していたか

清徹にとっての清玄とは何だったのか。ゲイなの?友だちなの?

ゲイの雰囲気を醸し出しつつ、そんなものでは片付けられないくらい、深い想いがそこにはあった。自分が末期癌で、命が残り少ないと知っていたふうな清徹。彼はずっと死に怯えていて、どうやったら苦しまずにいられるのかと考えてきた。それは病気を知らない学生のころからずっとだ。そんな彼を救ってくれたのは間違いなく清玄の言葉。それは仏教に伝わるありがたい教えだったのだけれど、何よりそれを説いて導いてくれた行為そのものが、清徹にとっては尊いものだったんだよね。だから、清玄は清徹にとってかけがえのない存在なのだ。

それなら清徹にとっての節子は何だったのか。もう少し長く共に生きていたら、節子に惚れていたかもしれないという清徹。…惜しかったね…あとちょっとで、彼は君に想いを伝えていたかもしれない…。ずっと死に怯えてきて、清玄に道を示してもらって、仏門の中での修行をしながらなんとか生きてきた清徹。そんな彼でも、きっと寂しかったんだろうね。節子の正直な嫉妬の気持ち・そこから救われたいと願った気持ちが、自分の死への恐怖と結びついて、そばにいることを許したくなったんだろう。

それにしても、節子が意を決して一緒に寝てほしいと言った時、それはいわゆる…情事なのだと思った。だけど、清徹はまるでやり方を知らなくて、節子だってよくわからなくて、ただ一緒に、手をつないで眠るだけ…。心が曇っててすみません。一緒に寝ることそのものだったんですね。自分がいかに煩悩だらけかを思い知らされた。

身近な人の死と隣り合うことで気づく道

結局は、「気づき」なのである…なんにでもそうだけど、気づいたら、晴れるんだ。そうか、これなんだと分かった時のひらめき。あれが理解するってことだし、信念が決まる時なんだろうね。

清徹が死んだことで、彼の周りにあった人の事、自分の事、彼の死を経て学ぶもの…いろいろなことを考えることができ、節子は寺暮らしから去っていった。そして清玄もまた、一生妻をむかえることなく、仏教に身を投じて生きていくのだった。迷いが晴れ、気づくとき、そこには明確な答えが言葉で表されることもあれば、できないこともある。しかも、答えは案外とずっと自分がしゃべってきたもののなかにあり、それに気づけるかどうかだけだったのだと知ると、すごく生きるのが楽になる。なんだ、こんなに近くにあったんだと。今まで意味に気づいていなかっただけなんだと。

生きるってなんだろう・死ぬってなんだろうって悩みは、尽きることがないようで、案外と簡単なことなのかもしれないね。この漫画を読むことで、漠然と抱く恐怖に答えが見つかった気持ちになる。生まれたら死ぬのなら、生まれたくなかったなんて問いも、ふっと晴れていく気がする。少年誌っぽくない、静かな物語だ。

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