世界は佐野洋子を忘れない - 覚えていないの感想

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覚えていない

4.004.00
文章力
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ストーリー
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キャラクター
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世界は佐野洋子を忘れない

4.04.0
文章力
3.5
ストーリー
3.0
キャラクター
5.0
設定
3.5
演出
3.0

目次

中毒性のあるエッセイの妙手

絵本作家で谷川俊太郎の元妻、と聞くと、穏やかな、にこにこ笑ってほんわかした絵を描く老婦人のようなイメージが浮かぶが、佐野洋子はそのイメージからはかけ離れた人である。彼女が五十代のときにあちこちの雑誌に書いていたエッセイをまとめたのがこの「覚えていない」という本であるが、読むととにかく痛快な人柄が伝わってくる。口が悪く、人が触れてほしくない本当のことをズバズバ言ってのける。身近にこんな人がいたら、何を言われるかドキドキして身構えてしまうかも、と思いつつ、その飾らなさ、正直さに引き込まれ、読み進めてしまった。

作家の江國香織は、「佐野洋子 あっちのヨーコ こっちの洋子」の中で「佐野さんの書くエッセイには中毒性がある」と書いているが、これには深くうなづいた。私自身、佐野洋子のエッセイを初めて手に取ってから、そのおもしろさにやめられなくなり、彼女が世に残したエッセイや著作をむさぼり読むようになってしまったからだ。

絵本作家・佐野洋子

エッセイストとしても知られる佐野洋子だが、元々は絵本作家であり、特に「100万回生きたねこ」は多くの人に感動を与えたロングセラーとなっている。私ももちろんこの絵本は読んだことがあり、深い感動を覚えたが、それよりも彼女の絵本で印象に残っているのは「おじさんのかさ」である。

小学校1年生の時だったと思うが、国語の教科書にそのお話がのっていたのだ。国語の教科書で読んだ物語は大半が既に忘却の彼方だが、なぜかそのお話だけは未だにはっきり覚えている。あめがふったらポンポロロン、あめがふったらピッチャンチャン、という言葉の響きが気に入ったからなのか、あるいは太い線で描かれた絵が、視覚的に頭に残りやすかったのか、とにかく、作者が佐野洋子と認識する前から「好きなお話」として心に残っていた。

最近、子どもにも読んであげようと図書館でこの絵本を借り、かれこれ30年ぶりくらいに読みなおしてみた。おじさんが傘を大事にするあまり、傘があるのに他人の傘に入れてもらうくだりなど、彼女なりのユーモアが垣間見えてふふっと笑ってしまった。

エッセイで全開の毒舌や皮肉は、絵本でもほんの少し、その片鱗を見せているのだ。

毒舌・痛快ヨーコさん

おじいさんとおばあさんのほのぼのとした絵本を描いてほしい、と依頼をしに来た若い編集者に、「もうすぐ死ぬ人間がほのぼのしてると思う?」と言い放つ佐野洋子。確かに、そうかもしれない。80歳も過ぎたお年寄りなんて、彼女の言うように孤独でひがみっぽくて、ぐちっぽいのが普通なのかもしれない。でも、それを、いくら若輩であろうが仕事を持ってきた人間に言い放ってしまえるのが彼女のすごいところだ。例えいまいち気の乗らない仕事であっても、もう少しオブラートに包んだ言い方をするのが世間一般で言う大人ではないだろうか。だが、特に昨今の政治家の婉曲な言い回し、はっきりしない態度に少々嫌気がさしているときは、この人の歯に絹きせぬ物言いはとにかく愉快痛快に感じられる。

河合隼雄との対談で、男の人が自分が言うことに対して引く、と言う佐野洋子に対し、彼は「それは佐野さんが本当のことを言うから。世の中本当のことばかりだと生きていけません。」と諭すように答える。佐野は自らが過去におかした失敗を思い出し恥じるが、それでも、人の急所をズバッとつき、相手を引かせるのに快感を覚えるから、やめれないと言う。それでこそ、佐野洋子である。

佐野洋子が支持される理由

佐野洋子はこのエッセイの中で、「私は自分に甘く他人には厳しいと子供の頃から言われた、早く言うと、人の悪口を好んで言うのである」と書いている。その言動を耐えがたく感じ、離れていった人も確かにいたのだろうが、それ以上に彼女を慕い、その不在を嘆く人は多かったようだ。彼女がこの世を去ってから、生前の佐野洋子と交流があり、彼女を知る人たちの協力を得て「佐野洋子 あっちのヨーコ こっちの洋子」という本が出版されたことからもそれがわかる。

私自身、なぜ彼女にこれほど惹かれるのかと考えると、言いたいことを恐れずズバズバ言うその豪放さやユーモアももちろんだが、「佐野洋子は自分の味方である」と思わせてくれる、というのもある気がする。

例えば、「たかがゴミ袋」というタイトルのエッセイの中で、彼女は「母ちゃん働かせてない男だって、病気の時位は何の心配もさせずに、ゆっくり休ませてあげなさい」と書いている。自身は働きながら子どもを育て、大変なことも多くあっただろうに、「専業主婦は楽でいい」ということは言わない。佐野洋子は、とても平等なのだ。小さい頃から家のことを手伝い、家事を丁寧にすることの大変さを知っている彼女だから、専業主婦=働かず家にいれてラク、という方式にはならないのかもしれない。実際、特に小さい子どもがいると、主婦は病気でも休むことができない。私自身、風邪をひいてフラフラになりながら子どものゴハンを作ったことがあるが、もしダンナが「後はオレがやるから、寝てていいよ」と言ったとしても、子どものお風呂は、明日の朝ゴハンは、と色々心配になり、実際にゆっくり休むなんてことはできなかっただろう。でも、佐野洋子はいろんなことをわかった上で、世の専業主婦をなめてる男どもをもバサッとぶった切ってくれる。それがとても頼もしく、彼女を慕わずにはいられないのだ。

私たちは佐野洋子を忘れない

このエッセイは、彼女が覚えていない、いろんなきれっぱしを本にしたものだ。彼女は自分が描いた絵本の原画さえも、描いてしまえば見たくもなくなり、いろんな人にあげたり、売ったりしてしまったという。

けれど、佐野洋子自身が覚えていなくても、世間は、私たちは、佐野洋子という強烈な存在を忘れないだろう。後世に渡り読み継がれ、語り継がれていくものを残しながら、何事にも執着せず、自らの心の赴くままに生きた彼女は、恐れられつつも人を惹きつける稀有な存在であった。その不在が非常に心もとなく、せつなく感じられる。

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