想像力を膨らませて - 虫眼とアニ眼の感想

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虫眼とアニ眼

5.005.00
文章力
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想像力を膨らませて

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目次

「虫眼とアニ眼」と自分と

この本を読んでいる時間は、あっという間だった。しかし、のめり込んで読んで、あっという間だったわけではない。文にも内容にも、自分でもよく分からないが「手応え」のようなものがあったのだ。「手応え」という表現が、はたして私の感じたことをしっかり表しているようにも思えないが、しいていうなら「手応え」でいいだろう。何を触っているのかは分からないのだが、確かに、何かに触りながら読んでいった。本を読む時は、だいたい学んだことみたいなものがはっきりしているのだが、この本は違う。「学んだ」なんて言葉は、口が裂けても使えない。ゆったりと、誰かの話を聞いているようだった。内容は、スッとは入ってこなかった。しかし、聞き流したらいけないような、そんな感じだった。強制感なんてものは、もちろんない。それなのに、耳を傾けてきちんと聞きたかったのだ。違う、その時間は耳を澄ませていたかったのだ。

想像力を膨らませて

この本には、「共感」という言葉は似合わない。感想を述べることも、「よかった」くらいしか言いたくない。いろいろな所から、理由を持ってこなくてもいいと思うからだ。理由は後付け感をものすごく感じるのだ。ジャッジするみたいなのも嫌だ。ジャッジ目線もいらないのだ。だから、この本を読んで想いを馳せることをしようと思う。自分の内側にも、外側にも。

旅をしたい、、でも、あれ??

「旅をしたい」と思うことがある。それは、ふと「誰も私のことを知らない場所へ、遠くへ行きたい」と学校や、仕事の合間に思うようなことの延長だった。しかし、どこに行っても根本的なことは変わらないと思う。旅先にも、私が旅人だから気づかないだけで、その土地にはその土地の人間関係があると考えると、「あれっ?」と何か違和感を感じるのだ。私の求めていることはなんなんだろう。また、旅には、自然を求めていた。しかし、旅先の自然は何か違和感がある。もっと模倣された感じ、だけど、人間が踏み込んでいない未知の場所でもない。人間と自然との共存してる場所に行きたいのだ。人間が支配してるのがあからさまなところは、嫌だ。ほとんど、そういうところばかりだけど。「手入れ」という言葉はすごくお気に入りになった。

感性ってなんだろう??

「感性」ってなんだか曖昧だ。初めて「感性」という言葉を聞いたのは、美術館に行った時。「なんだか映画みたい」と言ったら「感性が豊かだねー」と褒められた記憶がある。それからというもの、「私は感性が豊かなのだ」と学校の友達と比べて特権意識にかられていた。しかし、「感性」というのは、「比べる余地がないのではないのか?」「比べていいものなのか?」そんなことを考えるようになった。「感性を磨く」なんて言うけれど、感性、感性、と口に出すほど、私は嫌な気持ちがする。「本当は自分だってよくわからないけれど、あなたとは違うのよ」、みたいな感じ。私の経験から、そう思うだけだから、ただの偏見だろう(笑)。「自分で自分の感性は、、」と語ることはでない。自分が誰かのことを「ああ、この人の感性はすごいな」と思うことは、いい。しかし、やはり、「自分の感性は、、」と語り出すのは、違和感を感じる。

言葉から想起されるもの

「見えない時代を生き抜く」の「なぜ人気があるのか」の一文。「その芸や術を、言葉にして説明されなければ、気が収まらないというのは、典型的な現代病、脳化という病気である。」。ここで学校の教科について思い浮かんだ。「学校の勉強なんてなんの役にも立たない」そう感じることは、小さい時は多々あった。宿題やら、テストやら強制感しか感じなかった。それで、私は、特に数学が嫌だった。学校の教科は、強制的なイメージがついてしまったのだ。しかし、数学を題材にした物語の本を読んだ時に気づいた。数学って嫌なもんじゃないって。学校の教科として、まとめてあるために「数学」という言葉から想起されることが、ネガティブであることに気づいだ。教科でまとめてあるが、本当は、まとめなくていいんだと知った。誰かが、分けてまとめて名前をつけただけだと知った。

慣れるとどうなる?

「『もののけ姫』の向こうに見えるもの」の、「トトロの映画を一回見ただけだったら、ドングリでも拾いに行きたくなるけど、ずっと見続けたらドングリ拾いに行かないですよ。なんで、そこがわからないんだろうと思うんだけど。いっそビデオの箱に書きたいですね、「見るのは年に一回にしてください」って(笑)」という文章。「何回も何回も観れば、自分の中に入っていてくれるかな」と思い込んでいた。しかし、それでは、気づかない。同じ本を何度も読んだりすることがあるのだが、それでは、ただただ慣れているだけの可能性がある。もし、何度も読み返す時は、毎回、初めて読むように読みたい。せっかく、感じたことが慣れていくうちに消えてしまうなんて悲しい。きっと慣れるということは自分があまり変化していないことなのかもしれない。だって、作品は変わらない。変わるのは、私である。音楽を聴くことも同じようなことである。1年前によく聴いていた音楽、今聴くと、その頃の雰囲気みたいなものを感じることができる。しかし1年間聞き続けた音楽はどうだろう、1年前の雰囲気を感じることはできない。消費するように音楽を聴くことはしたくない。大切に聴きたいのだ。

忌避物質

「『もののけ姫』の向こうに見えるもの」の「案外気がつかないけれど、満員電車が匂うでしょう。」要するに、そばに寄るなという忌避物質というんですけど、それを確かに出している」という一文。これ、私、ものすごく出てるなと思う。(笑)学校などで必ず出てる(笑)。これって、なんなんだろう?しばらく、忌避物質について考える日々になりそうだ(笑)。

懐かしさ

私も、自分の考えていることが人から聞いたことか、自分が考えたことか分からなくなる。本なんかだと、いろんなことが混ざってしまって、どの本のことだか分からない。内容はなんとなく分かっているけれど、見つけたい一文がどの本の一文かが分からない。「懐かしさ」も、生きてるうちに自分が昔体験したことでなくても懐かしく感じることがあるんだ。それは、びっくりだな。私が一番懐かしさを感じるのは「季節の変わり目」である。温度感の変化、日が長くなったり、短くなること、体全体で懐かしさを感じる。夏の終わりから秋への変化、秋から冬への変化、日が短くなるほど、切なさも生まれてくる。「懐かしさ」も「切なさ」も、理由ははっきりできないが確かに気持ちがそこに存在している時、場所。まだまだ、生きていく中で、「私、このことに懐かしさを感じるんだ」「私、今、切なくなるの?」という場面に出会うんだろうな。まだ出会ったことのない感情にも出会いたい。言葉にも出会いたい。

最後に、

かなり自由に想いを馳せた。しかし、自分の外側に想いを馳せることは難しかった。私の中の「こども」は私が子供だった時から、存在していたのかな?。無邪気な瞳で、学校までの通学路を見ていたのかな?。そうでもない気がする。毎日、宿題をきちんとして、先生に褒められることに一生懸命だった。笑っちゃうよね(笑)。時が経った今こそ、「こども」でいられる自信がある。一周回って「こども」みたいな感じだけど(笑)。今もこれからも、メイちゃんのような瞳でみていたい。

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