思い出しても思い出さなくてもきっと好き
生きながらにして強制生まれ変わり
高校生の詩織は、バイク事故に巻き込まれて記憶喪失になった。目覚めたらもう記憶は飛んでいて、家族のことも、彼氏のことも、何も思い出せない。そんな詩織のストーリーは、よくある記憶喪失の物語なんかじゃない。詩織であることを取り戻しつつ、自分自身のことを見つめ直していく道のりは、険しすぎて遭難しそうになるくらい、たくさんのものを壊すことになった。
記憶を失う前の詩織は、かわいいだけの、性格最悪のギャル。夜には遊び歩き、家に寄り付かない不良だった。そのうえ妹には暴言を浴びせて八つ当たり…ところが、記憶を失った詩織はとても正直で、家族想いで、ストレートに言葉で表現できる女の子だった。変化に戸惑う周囲の人たち。そして、徐々に気づいていく。詩織は詩織であるということに。記憶がなかろうが、思考パターンは絶対に染みついていて、変わるわけじゃない。余計な記憶がない分、正直に自分を表現できるようになった詩織がいて、本心のままに行動できるようになる。そういう表現がうまいんだよね。記憶がないことに思い悩むことはもちろんだけれど、失ったからこそ客観的に自分と周りを観察して判断できるようになっていく。詩織はとても魅力的だった。
事故に遭ったことが幸運なことだったというのは安易だけれど、それがなかったら詩織は他の誰とも素で接することはできなかったかもしれない。辛くて何かに八つ当たりしていた自分よりも、自分で自分を好きだと言えるようになるなんて、最高すぎる。それくらいの勢いで、自分をぶっ壊しても立ち上がることができたなら、どんな人間も最強になれる気がする。
不安定な家族が浮き彫りになっていく怖さ
大学生のあーちゃん、妹のまーちゃん、そして詩織。母親は男をつくって出ていった。父親は癌で死んじゃった。家族を支えるのはあーちゃん。苦労していても、家族としてがんばっていた。だけど、みんながみんな、我慢ばっかりしていたんだね。あーちゃんだって、まーちゃんだって、そして記憶を失くす前の詩織だって、悩んで苦しんで、吐き出せないものがあったから、とてもいびつだった。
そこで勇気を振り絞って、自分なりに答えを見つけようとがんばる詩織がとてもカッコいい。どうせ嫌われているなら、向き合ってがんばろう。何もないなら作ればいい。そう思うことができる時点で、やはり詩織はいい子で勇ましい人なんだと思う。
何も思い出せないけれど、あーちゃんにはどんどん恋していって、まーちゃんのことも理解していく詩織。あーちゃんは、好きな女の子と付き合うことよりも家族を幸せにすることをずっと考えてきて、それ以外を望まないことが裏切った母親に対しての復讐でもあった。まーちゃんは、大切な父親を殺した病気に勝つために、医者になると心に決めて、がり勉しまくっている。友達がいないわけじゃないけれど、見た目と性格がブラックで、派手で母親みたいな詩織を深く嫌悪し、自分をいじめる彼女が死ねばいいとすら思っていた。
この3人はみんないい人なのに、確執があって分かり合えないのがすごくもどかしい。今なら分かり合えると思うのに、まーちゃんの心にある深い傷は、そんな簡単に癒すことを許したくないのだ。許してしまったら、今までの自分をなかったことにするかもしれない。恨んでいたからこそ、原動力となって勉強していた自分がいるから…まーちゃんのせつない涙が苦しすぎて、もやもやイライラしっぱなしだ。あーちゃんをマーキングし続けたミズキも恐怖だけど、やっぱり3人がしがみついている執着を解き放てないことのほうが、ずっと苦しいことだった。
前みたいに戻ることがいいことじゃない
色々な人が記憶を失う前の詩織のことを教えてくれた。それぞれの立場で感じた「詩織」という人物。ひどい人間だと言う人もいれば、いい子だったという人もいた。どちらを信じたらいいのか、というより、これは紛れもない事実で、どちらも本当の詩織なのだろう。そりゃー万人から好かれる人間なんてこの世にいないのだから、どんな意見も恙なく受け入れていく必要があり、譲れない部分は反論できるようにならなくては強くはなれない。
記憶を取り戻したからといって、まだ戻っていなかったときの記憶が代わりに失われるわけじゃない。全部が詩織の記憶なのであり、すべてが事実だ。開にとってもあーちゃんにとっても、どちらの詩織も魅力的だと感じていたし、愛すべき存在だったことは間違いない。それこそ開なんて、詩織の彼氏というポジションをゲットして間もなくだったため、どうしても詩織に自分を向いてほしくて…苦しくて、たまらなかったね。兄を好きでも、実はもっと露骨な感情表現ができることも、新しく知っていくことすべてを包んで好きでいてくれる。開は本当にいい奴だった。
詩織は本当に悩みに悩んで、あーちゃんを捨てて家族を守ろうと決める。でもあーちゃんが酔っ払ってキスしやがって、決意が吹っ飛んで、せっかく作ったものがまた壊れていく…。どこまで苦しんだらいいの?ミズキがまた私の家族の場所を奪っていく。また、まーちゃんをいじめたくなる…ここで同じ行動をとらない詩織は本当に大成長したね。
最悪だと思っていてもさらに上がある
あーちゃん、詩織、まーちゃんの母親。っていうか、母ですらない…?誰とも血のつながりがなくて、詩織は憎い母親と同じ遺伝子で…って考えたら、また家族が壊れるわ。そりゃーまーちゃんと顔の種類が違くて当たり前だ!男がいたらいいのか?家族のことはいいのか?新しく宿る命はどうでもいいのか…?好き放題に生きて、いきなり戻ってきやがった母親。この人は家族からも見捨てられるのだろうと思っていた。
だけど、ここですごい大人な対応をするのがまーちゃん。突き放していじめぬくことではなく、理解しなくても支えになってやろうと決めるまーちゃんがいた。あーちゃんと詩織が教えてくれたこと。血が繋がってなくたって家族になれる。もう母親は絶対まーちゃんに頭が上がらないのだ。ウソ泣きだろうがなんでもすればいい。そうやって生きていけばいい。いま3人はとても幸せだから。それでもう復讐は終わりなんだね…いい子過ぎる。誰か一人を血祭りにあげることよりも、幸せであるようにと願い、行動できるようになっていくみんながかっこよすぎて、心がぎゅーっとしめつけられる感じがしてくる。
家族から恋人になって家族になる
結局血のつながりがないことがわかり、そのことで逆に詩織はどうしたらいいのかと悩んできた。だって、好きの気持ちが恋なのか、家族愛なのか、どっちが正しいのかってずっと苦しんできたんだもの。あーちゃんも詩織もお互いの気持ちを確かめ合って、めでたく結ばれることになった。最終巻にくるまでいろいろなことがありすぎて、やっとか!と思ったけれど、嬉しかったね。開とうまくいくことも、また嬉しいと思えただろうけど、あーちゃんがずっと苦しんできたことを考えたら、一番に、願った通りに幸せになってほしいと思っていたよ。恋人になって、それがまた家族になる。それでいいじゃんって開き直ることもできた。
問題はまーちゃんの気持ちだったのだが…そこもまた、まーちゃんがオトナで。「どうせうちは元々複雑なんだから」と言ってくれたことに、感動の雨嵐が吹き荒れた。家族をぶっ壊しまくって、そこからつくりあげられた確かな関係性は美しいものだった。
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