宗教ですら欲望であるかもしれない
日本でずっと語り継がれる尊き人
最澄と空海は確かに日本にいて、仏教を広めてくれた人である。それが日本人の心に多大な影響を及ぼして、間違いなくマインドになっている。この2人がどのようにして祖となり、語り継がれることとなったのか。そこにファンタジーの要素も加えてよりおもしろく、より情熱的に描いているのがこの「阿吽」であろう。
まずタイトルが好きだ。阿吽は物事の始まりと終わりを示すものでもあり、言葉をなしに分かち合うことも意味する。人が生まれて死ぬことを考えさせ、仏教の始まりと終わりに思いを馳せる。…深すぎる。最澄と空海が、何もなかったところから新たな考え方を生み出したこと、そしてお互いが高めあう存在であったことをよく表現していると思う。
人がいるところに欲望はなくならない。嫌でもそう気づかされていく最澄と空海。人々の汚いところはいつの時代もあるんだなーと思うと、切ない。でも、最澄と空海という天才が出会い、何を考え、どう行動したのかを見ていると、欲望は捨て去るものではなくて向き合うものだなー…なんて考えてしまう。家柄も、学んでいたことも、何もかも違う2人が感じた人への疑い。その深さと正直さ、生々しさに目をつぶりそうになりつつも、目を離してはいけないような気がしてくる。こんな人、今いるのかな?って思うよ。時代をつくり、文化をつくる人間。今で言うと、ビルゲイツとかスティーブジョブズみたいな人たちを指すのかもしれない。人の進む道が決められてしまうような大きな動き。なんか自分の悩みなんてゴミカスかなと思えてくるよ。彼らのような人を見ているとね。
激しいまでの心の表現
とにかくドキドキする。心が揺れるってこういうことだろう。作者であるおかもとさんの特徴は、濃すぎる線と抜群のインパクトを持つ色づかい。白と黒しかないのに、すげー刺さる。人として善いとか悪いとか、どうやって決められるんだろうって思うし、どんなに博識ある人でも見つけられないものがあって、見つけたときはまさに幸運としか言いようのない瞬間であることが多い。もはや何かに導かれているとしか言えないなーって思うのはきっと当たっているんじゃないかな。それをキャッチできるか、引き寄せられるかの違いが、人として高尚であるとか、卓越した何かが見えている人であるとか、そういう違いを生むのかもしれない。
苦しみ、悩みから解放されることがない人間。というか、それがなかったら人は変化する宇ことはなかったんじゃないだろうか。最澄も空海も、悩んで苦しんで、口渇のような苦しみに悩まされて、日本を飛び出した。刺さるわー人って変わりたいくせに動けないじゃない。飛び出せる人間ってカッコいい。すげー沁みる。
読み進めていくと、醜さを表すものも、綺麗さを表すものも、違いがそんなにないと気づいてくる。怖いけど、手にしてみたいという気にもなるし、恐れおののくというか。スケールがでかい。最澄の水浴びは絶対見るべきだよね。あれ、神様だわ。
阿吽ってずっしり考えさせる漫画だから、読破すると頭が痛いよ。この感じ、井上雄彦さんの作品に近いね。「バガボンド」「リアル」あたり。締め付けられるよね。そしてウズウズしてくる。なんかやらなきゃって思える。
信念が欲しいんだ
何かが足りない。わからない。どうして答えがない?頭がいいからこその悩み。最澄と空海はその点でまったく一緒だった。最澄は人の言葉には裏があることを知り、そして死を前にして無力であると知り、自分が僧侶であることの意味に絶望していた。空海は今自分がやっていること・大学がどうだ、出世がどうだ、なぜそれを人が求めるのかも、求められるのかもわからないで、その当時の日本の世に絶望していた。そこから日本を飛び出して、唐に行き、出会ったことのない文化と思考に出会い、潤され、生きることと死ぬことへの意識が変わっていく。もうね…美しいとしか言いようがない。カッコいい。わからないことへのあくなき探求。それこそが最澄と空海の欲望であり、信念であると言える。
答えがないんだよ、最澄さん、空海さん。現代では、これだけいろいろなことがわかったのに、人はいつまで経っても境地には至れずにいる。いつも、答えを探しているよ。井の中の蛙になるなという教えだけは、何よりも浸透したと思う。それも、きっと空海さんと最澄さんがいたからできた流れなんじゃないかな。先人たちに感謝したい気持ちになってくる漫画だよ。いつの時代も、腐ってる部分に一生懸命目を向けて、どうにかしなくちゃって苦しんでる。それが人間でいいんだと思うわ。
人と出会い、知り合い、思考に出会うことの価値ってすごいものがある。だからお金を取る人がいるんだろうなーってよくわかるよ。人との出会いはものすごい価値を持っていることだね。
自分と他人の醜さと向き合え
人間嫌いになりそうになるのよ。この平安時代でも、帝は腐ってて、貴族も腐ってて、平民は貧乏で、全部が汚く見えてくる。でもさ、それが原動力なんだよね。どうにかしたい、こうしたい、って思う気持ちが時代をつくるんだと思うし、みんながみんなその発端になれる存在ではなくて、その発端と言うべき存在と、それに付随して行動を始めることのできる存在、そして行動を受けて変わっていく存在が問題の解決につながっていく。汚くて醜い気持ちこそ、変化するための起爆剤になっているんだ。
悪いところばかりじゃなく、いいところに目を向けなさいと教えるのが常々。それって、ちょっと洗脳なんじゃないかな。どうにかしたいなら、自分の悪いところ・欠点から目を背けたら絶対無理なんだ。それに全国民が気づいたら、すげーことになる。がんばろうって思えるよ。何か苦しいことが合ったら、仏教に戻ってくると心が落ち着くよね。ついでに空海と最澄のことも思い出して、自分を奮い立たせるべきだ。そうすれば、きっと大丈夫な気がする。
認めちゃいけないのは、やっぱり人を殺すことなんじゃないかな。人の可能性を消すことが、何にもかえがたい悪だと思う。それだけは、きっと許しちゃいけない気がするよ。気づかせないようにしている、汚いやつがいるよね。同じところにみんなをとどめてそのレベルで生きていかせることで自分を際立たせようとする連中が。もっと命に感謝して、脈々と受け継がれるものに感謝して、これからを生きていこうとする人間になりたい。深いわー「阿吽」すげーわー。背筋がピンとするよ。
最澄と空海が目指したもの
漫画の中で、どんなふうに2人の気持ちが化学反応を起こしてくれるのか、というのがポイント。身分が違っていても、直面する欲望に違いはほとんどないはず。それをどのようにぶっ壊して、日本に革新を起こしてくれたのか。多少歴史もからめてくるんだろうし、どう仕上げるのかが気になりすぎる。
6巻では、唐にやってきた空海がすげーカッコいいの。
ここではもう我慢しなくていいんだ
今まで使う言葉も行動も、何もかも制限されてきた彼が、まったく知らぬ土地で思う存分生きたいように生き、得たいものを得ていくのだろう。ワクワクするね。歴史ものだがフィクションの部分があるから、これからどうなるのかが全然分からない。1巻ごとの重みがかなりあるので、ゆっくり読んでいかないと、脳疲労するね。それもまた楽しみつつ、打ち切りにならないことを願っている。
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