スターウォーズがどうしたって?。日本人なら「ヤマト」でしょ。
画期的だった非ロボットSFアニメ
当時はSFアニメと言えば永井豪の巨大ロボット物(人が乗って操縦するので、アトムにあったようなアジモフのロボット三原則などはガン無視)が大手を振っていた時代でした。いやまぁ、好きだったけどね(笑)。面白かったけどね(^^ゞ。
しかし、そういう時に、ロボットでなく宇宙戦艦というのはなかなか斬新では有りました。まぁ、そう言った「高度な」設定が災いしたのか、当初一年続く予定だったのが、半年で打ち切りになってしまうのですけれども。
高度なSF設定というと、少しあとに出てきた「ガンダム」も評価が高いのですけれども、個人的には「あぁ、またロボットなのかよ」と言う感じで、リアルタイムでは興ざめしてしまったものでした。たとえ「モビルスーツ」などと言い換えてみても、所詮、人間が乗り込んで操縦する、という点では、永井ロボットと大差がないわけです。いやもちろん、後年改めて見直したら、その高度なストーリー設定に舌を巻きましたけどね。
とは言え、そういった高度なストーリー設定もヤマトと言う洗礼があったればこそ。そのヤマトの魅力について、すこし掘り下げてみましょう。
切迫感のある宇宙西遊記
イスカンダルまで放射能除去装置を取りに行って帰ってくる、と言う設定が、西遊記に似ていると言うのは当時から言われていたことでした。僕も小学校の友達とそういうネタを交わしていたものです。しかし、西遊記と違っていたのは、「期限が一年」という圧倒的な切迫感でした。当初は一年放送を続ける予定だったわけですから、地球滅亡までのカウントダウンを、視聴者とリアルに共有していたわけです。その緊張感とともに毎回放送終わりに字幕ととも一緒にアナウンスされる「地球滅亡まであとxxx日」と言う声に妙にワクワクさせられたものでした。
スターウォーズとの比較
ヤマトのTV放送が終わってから数年後に、海外で映画スターウォーズが大ブームになり、エンターテイメントの世界に一気に宇宙時代が押し寄せてきます。
劇場版のヤマトの公開もその馬尻に乗ったものと誤解されたりもしましたが、もちろんヤマトのほうが先。スターウォーズが、アジモフの「ファウンデーション」もの(当時は銀河帝国興亡期と呼ばれていました)の映画化を目指したものの、結果的にSF設定は骨抜きになり、単なる冒険ものSF風味付き、になり下がってしまったのに対し、我らがヤマトはどこまでもSF設定を守っており、ワクワクさせられたものです。
例えば、スターウォーズがフォースがどうのこうのと言ったトンデモ超能力をウリにしているのに対し、ヤマトでは、しっかりテクノロジーの説明がなされており(波動エンジンはタキオン粒子により駆動されている云々…)、設定のリアルさが違うと言えましょう。また、波動砲などで、「使い方を誤るととんでもないことになる諸刃の剣」的な設定を盛り込んでいるのも、単純な科学礼賛に駄していない、硬質な部分と言え、スターウォーズのフォースが人間の努力は美しいんだけど結局は才能の問題だよね、的な、要するにご都合主義的な面が強いのとは一線を画しています。あくまで科学理論的に(架空のものではありますが)組み上げられた設定なのです。
活きる人間ドラマ
ヤマトの魅力には、そう言った科学設定の緻密さの中において繰り広げられる人間ドラマの魅力も有りました。人間ドラマと言っておいてこの例を挙げるのはどうかとも思うのですが、ビーメラ星のエピソードでのアナライザーの心理描写の深さは、「人間とロボットの決定的な違いとは何なのか」と考えさせるものでした。
近年になって修理保証を終え朽ちていく愛玩ロボット犬とその「飼い主」の悲哀が話題になったりもしましたが、こじつけて言えばそういった事象を先取りしていたと言えなくもありません。これからはロボットが身近になってくる事を思えば、ヤマトの先見性は再評価されてしかるべきでしょう。
このような「緻密で綿密な科学考証のもとにアナザーワールドで繰り広げられる人間ドラマ」は、単なる感情的な人間ドラマとは違い、理性的で、より一層心に深い情感を与えるものだと筆者は思っています。
汲めども尽きぬ魅力
まだまだ列挙したい魅力はありますが、半年で打ちきられたがゆえに凝縮されたかのようなエピソードの数々は、まだまだ我々を魅了し続けることでしょう。
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