思春期のくすぐったさと戦争の悲惨さが合わさった異色の作品
原作とうまく折り合った作品ではないか
元々は原作が好きだったからこのアニメを見た。実写化はもちろん、アニメ化となるとあまり諸手をあげて歓声を上げるわけにはいかないくらい懐疑的だったため、だめだったらすぐ見るのをやめようとまで思っていた。数々裏切られた実写化やアニメ化のせいでそういう警戒心が備わっていたけれど、この作品に関しては余計な心配だったみたいだ。
あの作品は高橋しんの柔らかく優しげなタッチの絵と裏腹に、ちせの体から突き出た金属質が冷え冷えと鋭く、どれほどの力がでるのか恐ろしくなるくらいのパワーを感じた。おどおどとして弱きなちせの表情があるから余計、その無機質な冷酷性を感じとることができた。自分の気持ちと関係なく自ら武器として成長を止められないちせのジレンマ、なのに武器として人々を助けたいと思う気持ちが切なく、ただの女子高校生が背負ったものとしては重すぎる展開になっていた。
絵ではそういったちせの表情、ちせに惹かれながらもシュウジの自分の気持ちをどこに持って言ったらいいのかわからない気持ちが的確に描かれており、セリフがなくともその目の伏せ方や頬の赤らめ方でわかったのだけど、アニメだとそういうわけにもいかない。また昨今のあまりにもアニメアニメした声優が採用されると私の頭の中のちせとシュウジのイメージも壊されてしまうので、見るのをためらっていたという訳である。しかしながらあのアニメはそれなりに言いたいことはありながらも原作に忠実に描かれており、オープニングの歌やエンディングの歌さえシュウジとちせの二人の恋のイメージにぴったりだった。そこはとても評価したいところでもある。
アニメで見てよかったと思えるところ
原作でもいきなりの札幌空襲の場面などは迫力がある。その他にも様々な爆撃シーンや戦闘シーンがあり、どれもリアルに厳しく描かれているが、アニメとなるとやはり直接視覚に作用する分その迫力は再確認することができた。マンガだとコマにあまり情報として絵が書き込まれすぎると読みにくくなり、どのような体勢になっているのか、どういう風に動いたのかとわかりづらいこともある。そういう部分がアニメになっているとこうなっていたのかと分かるのでうれしかった(待ち合わせの場所に急ぐちせを自衛隊が止めようとしたときちせが見せた姿とか)。
また武器として成長していくちせの途方もない力を実感できたのは、やはりアニメの力だと思う。空に飛び立つ瞬間の力強さとか(あの飛び立つ時の衝撃は小さなちせからは想像もできない重量感があって、リアルだと思う。)飛び回る速さとか(個人的には映画でもアニメでも余計な音を足されるのは好きではないが、このちせが飛んでいるときの音はなぜか好きだったりした)は、アニメで見ることができてよかったと思う。それらの中で一番迫力あったのはやはり「ちせの火」だろうか。街ひとつを跡形もなく消し去ってしまうちせの力は、マンガで読んで想像していたもの以上だった。あの非情で圧倒的な力は「ちせの火」を見ることで、その途方もない力を実感することができた。
あとはアケミが死ぬところもアニメではつらかった。マンガでもあの場面は痛々しかったけれど、やはりアニメになった分アケミのしゃべり方も死期が迫ってきていることを感じさせられたし、シュウジの男らしさもよく感じられた。ただあの場面はリアル過ぎて、アケミの死に方がかわいそう過ぎて、若干トラウマレベルでさえあると思う。
あとは声優が皆うまくはまっていたところも大きい。シュウジもアケミもアツシもぴったりだった。特に想像どおりだったのはアケミとテツだ。アケミのシュウジへの気持ちを隠すような乱暴な物言いは絶対あの少しハスキーなあの声だったし、テツの冷静な判断ができる兵隊としての度量の大きさに比べてアンバランスな優しげな心など、あの声がなければ表現できなかっただろうと思う。
強いて言えばちせがすこしアニメ声すぎる場面があるところが少し気に入らない。ただああすることで機械のときの冷酷なちせの声との違いを大きく出したかったのかもしれないとも思う。
アニメになってもうひとつだと思えたところ
アニメ化となると避けて通れないのが、絵柄の過剰なデフォルメとそれに対応した過剰なアニメ声とセリフ回しだと思う。多少は致し方ないかとは思うけれど、時折正視できないレベルのものがあった。例えばちせのことをかわいいとシュウジが思った瞬間、ちせの周りにキラキラした星が飛ぶところや、ちせのしゃべり方のかわいらしさを出そうとした過剰な演出。恥ずかしがるちせの態度のいかにもアニメチックなデフォルメ。アニメである以上そういうところはしょうがないのだけど、端々に見える「やりすぎ感」が時々画面から目をそらさせた。
高橋しんの絵は全体的にほんわかして可愛らしく、好みな絵である。マンガの中でももちろんギャグもあるし、若干デフォルメされたような絵も少なくない。けれどそれとアニメの中のそれとは違っている。こちらはあくまで原作ありきで見ているので、アニメで余計なことをされるのはあまり好きではない。それは実写化の映画にも同じことが言える。
またちせから生まれてくる兵器の書き込まれ具合はアニメではあまり再現されていない。どのように動いたかとかはよくわかるけれど、マンガでの兵器の書き込まれ具合はアニメではそれほど重要視されていないのか、ちせの羽でさえ簡略化されているように感じて、そこは残念だったと思ったところだ。
原作のほうがよかった設定と場面
いくつか気になった場面はある。シュウジとちせが港の見える場所に駆け落ちしたとき、ちせが働いていたラーメン屋でちせの意識が切れたとき、シュウジのハミングが脳裏に浮かぶ。個人的にはあの歌がちゃんとした歌(ハミングだけど)として歌われるのがどうなのかなと思った。そこにはそれぞれ読み手のイメージがあるし、そこに既存のものをはめ込んで欲しくなかった気がしたからだ。例えば「TO-Y」のアニメでは藤井冬威の歌う歌は実際には歌われない。歌っている映像はあるのだけど、既存のメロディはそこには流れない。それがこちらのイメージを損なわないので、とても記憶に残っている。そのようにシュウジのあのハミングもとても大事な場面なので、もうちょっと大切に表現して欲しかったところだ。とはいえあの歌はアニメの中で要所要所歌われていたものだから、これはちょっと難しいことかもしれない。
もうひとつラストのちせが人間すべてを消し去っていき最後シュウジだけが残る場面。あの殺戮のところもちせが苦しんでいる描写はいらないように思えたし、すべてが終わった後のシュウジの絶望感はマンガの表現力のほうが上だったと思う。
死を望むちせを生かした時のシュウジの絶望感もマンガのほうが上に感じたので、そういうところは原作の力のほうがやはり大きいのだろう。
いささか軽すぎたとも思えるラスト
アニメのラストは原作に比べいささか軽めというか、いわば万人向けのような仕上がりになっている。それは不特定多数に発信するには原作のラストは刺激が強いからかもしれない。シュウジとちせが抱きあうあの場面は性的なものだけれども、機械のような無機質だったちせがどんどん人間に戻ってくる大事な場面でただの性的なものではない。あそこは原作と変えて欲しくなかったラストでもあった。
また前述したようにシュウジの絶望感の表現力の甘さとか相まって、それまでのストーリーに比べて比較的軽く収めすぎではないかという印象を受けた。
しかしそういうものも含めて、このアニメはなぜか急に見たくなる中毒性を持っている。そういうアニメは私にとっては珍しくないが、そのリストの中ではこれがもっとも新しい。逆に言うとこの作品以降中毒性を持つアニメに出会っていない。このまま終わるのは残念なので、これからももっと見たことのない作品に挑戦してこのリストを増やしていきたいと思う。
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