歴史に残る雑な作画、それでもキャラ人気は高く玩具も好調。その勝因をさぐる!
あの雑な作画でもキャラ人気は高く玩具も売れた。それはなぜか?
本作品は1981年放送、「機動戦士ガンダム」放送終了からから1年余り、時代は第2次アニメブームを迎えていた。その流れの中にあったのでこの程度の作画でも見てもらえた、というのもあっただろう。
同年に「六神合体ゴッドマーズ」「うる星やつら」「戦国魔人ゴーショーグン」などが放送開始しており、キャラ特化の番組が増えていることが伺える。
時代背景として、日本は世界最大の貿易黒字国になり、まさにイケイケの時代だった。70年代にあった、苦労、根性、努力を背景に、勝利や成功を目指す、という種類の番組は減り、成功は当然、その中でどのように面白くするか、がニーズになっていた。
その背景を踏まえつつ、キャラ、メカに焦点を当てて本作を再考してみよう。
絵が汚くても人気は出る
本作はロボットアニメの形態を成してはいるが、基本的にはキャラアニメであり、メインキャラ4人はルパン三世を意識しているという話はあまりにも有名だ。
特にお町はルックスもほぼ峰不二子だが、制作会社も放送局も違うのにここまで似せていいのだろうか?これもイケイケ時代ならではの、著作権などに緩いほほえましい話である。
確かに4人のメインキャラは今見ても魅力的だ。
本作の命ともいえる「軽妙な会話」、これは言うは易いがやるのは結構難しい。空々しくなるケースも多いし、繰り返しすぎれば陳腐にもなる。
しかし本作は最後までそのノリを貫いて、伝説の作品になった。シリーズ化すらされるほどの人気作になったのだ。あのレベルの絵でシリーズ化されるなんて誰が考えただろう?
本作を語るときに「ノリの軽さ」「会話の軽妙さ」が必ず魅力にあげられるが、もう一つ語らなければならないことがある。これは最後の章で結論として語ろう。
あの作画で玩具が結構売れたという驚き
なんとタカトクトイスから発売された玩具が結構売れたらしい。あの作画で?! と驚いてしまうが、これは本当の話だ。
それほどに作画はひどかった。何と言っても記憶に残っているのは敵メカの襲来で民間人が逃げるシーンで同じ人が列をなして走っている、という絵が一度ならずあったことか。
今回の再見に当たって、そもそもブライガーってどんなデザインだっけ、と考えたが顔以外思い出せない。その理由は再見した今なら説明できる。メカの作画が混乱を極めており、スタッフがなるべくロボットは上半身で済まそうとしていたのだろう。
この当時はロボットアニメのメインスポンサーは玩具メーカーという鉄の掟があった。ロボットのかっこいい戦闘シーンは玩具のPRのため必須、という位置づけだったと思うのだが、本作は第一話の時点から殆どやる気が見えなかった。
それでも結果的には売れているのだから文句を言う人もなかったのだろう。
80年代初頭という大らかな時代もあったのだろうか。玩具が売れたのはブライガーの作画陣の頑張りではなく時代背景による幸運、と私は分析する。
83年の「聖戦士ダンバイン」は玩具の売り上げが悪く、メインスポンサーが倒産した、という話があまりにも有名だが、いくらダンバインが売れなかったとしてもその一点で株式会社が潰れるはずもなく、それ以外の原因が山積していた、と考えるのが妥当だろう。
四辻たかお監督はそもそもロボットアニメをやるつもりはなかったらしく、ロック音楽が流れ続けるようなアニメ、という企画で進めていたらしい。木戸丈太郎がダブルネックのギターを持っているシーンがたまにあるのはその名残なのだろうが、結果的にはアイキャッチでピックを飛ばす絵は話と全くマッチしていないように思うのは私だけではあるまい。
本作のメカについてはいろいろツッコミどころがある。「機動戦士ガンダム」が1979年に放送されて以来、トレンドがリアルロボットへ移行しつつあったこの時期、「ロボットの巨大化」「絶対不可能なゲッターロボ的変形」が許されるギリギリのタイミングだったことを割り引いても、とにかく雑なのだ。初期設定からツッコミどころだらけと言っても過言ではない。
車が宇宙船になる、という設定がまずどう考えても子供だましのオドロキアイデアだ。車が飛行機になる、はアリだろう。だが宇宙船(しかも大気圏離脱および再突入可能)に変形する車は古今東西本作のみではないかと思う。
そもそも車である意味がどこにあるのだろうか。飛べるんだから、どこでも飛んでいけばいいじゃないか、というツッコミはあの軽いキャラたちですらしない、タブー事項であろう。
1974年から79年に掛けてのスーパーカーブームを意識したのだろうか。
第一話でアイザックがブライサンダー状態を「スーパーカー」と呼んでいるあたりにそれが伺える。なんたって飛べるんだからこれ以上の「スーパー」っぷりはあるまい。
宇宙船形態ブライスターに変形した時点でサイズが6倍に膨張し、重量は200倍になる。「シンクロン原理を応用した物質増大プラズマシステムによる」らしい…
ではシンクロン原理が何かと言うと、「質量やエネルギーを他の宇宙空間と融通しあうことによって(中略)物体の拡大・縮小を自由にする」「多次元宇宙論に質量保存の法則を適用したもの」などの説明がある。
質量保存と言うのなら、ブライスターが巨大化している時にはどっかの別次元宇宙で質量を奪われて小さくなっている物体がある、という事である。
全く意味不明なので、これは「それ以上聞くな」という意味だと思われる。
しかし冷静に考えれば「多次元宇宙」で「質量のやり取りが可能」なのであれば、この技術そのものが最強の兵器ではないだろうか。
カーメン・カーメンがどれほど凄い策を練ろうとも、彼の居場所に巨大質量をぶち込んでしまえば一巻の終わりである。
後半の大アトゥーム計画にしてもわざわざ木星を破壊しなくても、この理論でどっかの宇宙から資材(質量)を持ってくれば、あんな無用な戦いをする必要はなかったと言える。
ロボットにこだわらない、という番組の趣旨を考えれば、このシンクロン技術を応用した戦い方もあったのではないだろうか、と今更に思う。
かなり余談だが、アイザックはブライサンダーはブライシンクロンアルファで「10倍に拡大する」と説明しているが、実際にはブライスター、ブライガーどちらの形態でも6倍程度にしかなっていない。
まあこれも細かいことは気にするな、本作はキャラアニメなのだ、という事にしておこう。
木星爆破に対する疑問
中盤からカーメン・カーメンが登場し、1話完結の話から連続性を持つ話にシフトする。
木星を爆破してその資材で地球型惑星を複数作るという大アトゥーム計画なるものが打ち出されるが、この時14話「木星ベムの襲来!」を思い出した人は多かったのではないかと思うのだが、意外と語られない。
J9のメンバーも死力を尽くすがカーメンの計画を阻止できず、結果的に木星は破壊されてしまう。
この時木星ベムはどうなったのだろう?
私は絶体絶命のピンチ、J9危うし!という状況でポヨンの導きで木星ベムが現れてカーメンの計画を阻止する、という展開を期待したのだが、それは私だけだったのだろうか。
本作の人気の理由、それは「仲良し感覚」にあった!
「ルパン三世」はヒロイン峰不二子が常に信用ならないキャラだし、初期作品ではルパンと五右衛門のかなり本気の対決もしばしば書かれていたので、キャラ同士に緊張感があった。
本作はSF版必殺仕事人と銘打たれてもいたが、本来の仕事人たちも時にはいがみ合い、あるいは出し抜こうとしたり個人の利益のみを追求したりもする。
しかし、J9メンバーにはそのような個人の利益を求めるという要素は少ない。第一話のJ9結成時から「イエーイ」と言う掛け声のもとに協力し合っている。いわゆる「仲良し感覚」だ。
これを批判しようとは思わない。むしろ、これが本作の味になった、と私は思う。
無論、時には多少の食い違いはある。しかし基本的には仲間という安心感がありながら、しかし「死ぬときは一緒だ」と言ったサイボーグ009的重さもない。今見るとこれが実に心地よい。
前述したように80年代の幕開けとともに日本は豊かになっている。他人を出し抜いてまで儲けようというたくましさはパンチョ・ポンチョのような年長者世代のみが持つ感覚なのだ。
若者は「食うに困る」という意識は無いので、ギターやレースに興じながらも、いかにかっこよく戦うかを追及する。これがこの世代のスタイルなのだ。
90年代になるとバブル崩壊などで世の中に暗さが満ちてくるし、生まれた時から豊かだった若者は金、物質、成功を求める傾向は薄く、自分って何? といった内向きの疑問を呈し始める。
まさにこの時代特有の軽さが功を奏し、ブライガーは作画の低さにも関わらず受け入れられた。測らずしもたまたま提案した要素が時代のニーズに完全にマッチしたのだ。
そしてJ9はシリーズ化され、その後の数百年にわたって活躍し続けたのだ。
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