喪失を抱えてなお生きろと声が聞こえた。お前にも聞こえたはずだ。それが人に与えられた呪いだ。
シン・クァーナン・プラエセス
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新海誠監督により制作された、「星を追う子ども」は2011年5月7日に公開された劇場アニメーション作品である。 キャッチフレーズは「それは、さよならを言うための旅。」であり、主人公の少女アスナは、父親の形見である鉱石ラジオから聞こえた唄をきっかけに、異世界から来たという不思議な少年シュンに出会う。しかし、アスナの前から突然シュンは姿を消してしまい、アスナはシュンとの再会を強く望むようになる。シュンにそっくりな少年シンが現れたことにより事態は急変し、アスナは亡き妻との再会を切望する教師モリサキとともに、シュンを探すため異世界への旅に出る。 ジュブナイル・アニメーションとして制作された本作品は、美しいデジタルアニメーションや音楽で展開されており、十代の少女たちの切ない青春と、喪失と愛情の交錯する冒険譚を描いている。2011年には、日本のアニメーションとして唯一アジア太平洋スクリーンアワードにノミネートされている。
宮崎アニメっぽさすごく丁寧な作画をされているのが印象的です。アニメーションのクオリティーに驚かされました。「星を追う子ども」制作を指揮した監督は、宮崎アニメの存在をとても意識されたようで、その要素を所々に強く感じます。画風の違いはあるものの、スタジオジブリで制作されたアニメ作品と言われても、納得してしまうものがあります。まず、宮崎アニメテイストを強く感じられたのは、アニメ本編における時代・場所の背景です。時代背景としては、現代社会なのではなく、微妙に昔の時代で描かれています。「星を追う子ども」主人公である渡瀬 明日菜(わたせ あすな)の持つラジオの存在は、それを表す象徴といえます。さらに、明日菜の自宅における家電も現代モデルのものではなく、50年ほど前の時代の家電が描かれています。そして、場所背景においても、都心部ではなく田舎町を背景に描かれており、「となりのトトロ」を彷彿とさせるものが...この感想を読む
アニメ史上最低の駄作センセーショナルな見出しですが私は本気でそう考えています。新海誠作品自体がそれほどまでのテーマ性や作家性を有しているとは思いませんが、この『星を追う子ども』は本当にひどいです。どこかで見たことのあるようなスタートに、どこかで見たことある作画、どこかで見たことあるキャラクターどれもこれもつぎはぎしたせいで新海誠が何をしたいのか、どこへむかっていきたいのか完全に不明になってしまっています。基本的にこれを読んでいる人は『星を追う子ども』を見てきた人だと思うのですが、本当にわからなかったと思います。正直この作品のみの単体として扱うには、今これを書いている私にもよくわかっていないです。しかし、基本的に新海誠作品は一通り見てからだと何をしたかったのかが理解できますので、その観点を用いながら論じ、どういう作品なのか解説していきたいと思います。と同時に、少なからず他の作品のネタも入...この感想を読む
シン・クァーナン・プラエセス
死者との遭遇を目指しアガルタの生死の門を目指した森崎は最愛の妻リサと再会を果たすもリサの復活を遂げることはできなかった。泣きじゃくる森崎にシンがかけたこの言葉が「星を追う子ども」という作品のメッセージを体現しているように思えた。その後、ヒロインであるアスナが「でもそれは祝福でもあるんだと思う」という言葉によって何かが報われた感覚を覚える。この言葉は3.11に対する新海監督の想いなのかもしれない。