『文豪ナビ 三島由紀夫』「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。」について
世界はどうやったら変貌するのか
三島由紀夫の『金閣寺』は、実際に起きた事件を元にして書かれています。
1950年(昭和25年)7月2日未明に起きた「金閣寺放火事件」です。
しかし、小説『金閣寺』は、全くの別物、完全に創作です。設定を借りただけと言ってもいいでしょう。
吃音の青年僧は「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。」と自問自答を繰り返して「金閣を焼かねばならぬ」と結論づけ実行します。
いつの世の中も若者は無謀です。その無謀さを「美しい」ととらえるのは、若者の特権なのでしょう。
子供の頃に読まされたのは、太宰治
三島作品を読んだのは、中年になってからでした。
学生時代に読まされたのは、太宰治です。
『走れメロス』などは、文部省(当時)推薦のアニメまで作られています。
どう読んでも、メロスは自分に酔っている偽善者でしょう。子供でも、それくらいのことは分かります。
当時、あの作品の何が良いのかさっぱりわかりませんでした。そして、数十年経た今でもさっぱりわからない。
「極悪な王の心を、ちっぽけな善行で変貌させることができるわけがない。王の悪政を止めるのは、何事かの行為しかないのでは」と感じた少年時代の自分の方が現実的でした。
また、太宰治の『人間失格』を読んだときには、情けなくなりました。何故こんな惨めな小説を読んだのだろうと後悔したのです。しかし読んだことを元には戻せない。「お前だけ勝手に人間失格しとけ」と毒を吐きながらも、しばらくの間、鬱状態でした。
結構なおっさんになった今でも、10代の頃受けたショックはないけれども、それでも何が良いのかよくわかりません。
太宰治ばかり評価して、子供に読ませるので現実世界の醜さが、そしてその醜さから立ち昇る、かぐわしいまでの美しさが見えなくなるではと思うのです。
三島由紀夫と太宰治は近親憎悪の関係
三島由紀夫の文豪ナビを読んだのに、長々と太宰治の批判をしてしまいました。
そのことで、この2人は同じ種類の作家なのだと気づきます。
腹を切るまでは、常識人だった三島。
常に非常識で、心中自殺を遂げるまで非常識だった太宰治。
全く違うタイプのようで、実は一卵性双生児のようです。
三島由紀夫が太宰治に出会った時、「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」と言い放ったと三島本人が書いていました。
それに対して太宰治は「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と顔をそむけて、「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と独り言を言っていたとか。
太宰の言うとおりです。完全な近親憎悪だったのです。
花村萬月とブルワーカーの暴力
三島由紀夫が、ボディビルに励み肉体を鍛えていた事は有名です。
作家の花村萬月が『今日、三島が死んだ』との題名の一文を載せています。彼が三島の作品に出会った頃「当時盛んだったブルワーカーなる運動器具を押し引きして大胸筋を膨らませている同年代の少年たちを意味もなく軽蔑し」ていたらしいのです。
ブルワーカーとは、棒状の筋肉強化器具の一種で、アメリカ製のものでした。棒の中心には強力なバネが入っており、両端を押すことで筋肉を鍛えることができました。
アメリカ製にしては、しっかりと製造されていたので、丈夫な器具であったと記憶しています。
何故、ブルワーカーのことをこんなに書くのか。
ブルワーカーで生身の人間を殴打している様子を見たからです。仲間同士の喧嘩でした。
20代の頃、半ヤクザな連中と仕事をすることがありました。
その連中を嫌悪していたのですが、彼らの容赦ない暴力には常識を越えた魅力もありました。
ブルワーカーで何の手加減もなく殴り続ける様子に、呆然としながらも陶酔感を感じたのです。
非常識で、チンピラのような輩の仕業なのだけれど、ためらいが微塵も感じられない。その暴力に、常識では嫌悪を感じながら、本能の琴線に触れるように心惹かれたのです。
若い頃、三島を読まなくてよかったのだ
暴力そして破壊という名の行為。それは炎で焼き尽くすことも同じです。
容赦ない暴力に感じた感触は、『金閣寺』の中で「金閣を焼かねばならぬ」と青年僧が思い込んだ想念と同じものなのです。
三島由紀夫を読むにはある意味、覚悟が必要なのです。あまりに生と死をはっきりと描き過ぎることが三島作品の恐ろしさなのでしょう。
子供には特に注意が必要です。善も悪も一生懸命な子供は、ある意味動物と同じです。そんな時期に、暴力の美しさと、それを実行することの甘美さを教えることは要注意なのです。
思い込みの強い人間は、実行こそが正義である、と偏りがちです。こんな人は、下手をすると、テロリストになるか犯罪者になるかもしれません。過去の歴史上にも、現在にも数多くの「世界を変貌させ」たい人達がいます。認識ではなく行為こそが大切であると思い込んで。
若い頃に、三島由紀夫を読まなくてよかったのだと、しみじみと感じます。そして三島作品の恐ろしいまでの美を感じられる喜びも、今でこそ味わえるのだと。
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