この漫画からは音はでないので注意
JAZZマンガというジャンル
本作「BLUE GIANT」は数ある音楽マンガの中に於いて、他を圧倒する作品ではないかと思う。それは何故かを考察したい。
まず、本作は音楽をテーマにしたマンガであるが、それ自体が珍しいものではない事を改めて確認しておきたい。例えば「ピアノの森」や「BECK」、「のだめカンタービレ」はマンガ・アニメ・ドラマなどで知っている人も多いのではないだろうか。自身のマンガ読歴でも、ざっくり数えた所、音楽マンガを20作以上は読んでいた。では、その数ある音楽マンガと比較してこの作品がどう違うのだろうか。
一番最初に目についたのはJAZZという音楽のジャンルである。実は数ある音楽マンガでもJAZZに特化したマンガは非常に少なく、ネットで調べてみても1988年の「BLOW UP!」、2007年の「坂道のアポロン」くらいしか見当たらなかった。前者は約30年も前の作品であり、後者は少女漫画の学園モノのようである。ちなみにアポロンはアニメ化もされているようだが、やはり大多数の作品がが「バンド物」で、とりわけ「ロック」が多く、JAZZを扱った作品は少ない。
本作はJAZZという珍しい題材を扱ったマンガなのか?と問われれば疑問が残る。例えばマイナー楽器と言える音楽マンガであれば、箏曲を題材とした「この音とまれ!」や、津軽三味線を題材とした「ましろのおと」のほうが、楽器としての知名度はより低いだろう。若い世代であれば、音を聞いたことがないというどころか、その楽器やジャンルすら知らないという者もいそうだ。そうなると、JAZZがメジャーかマイナーかを問うのは本作の特徴にはなりえない。音楽に詳しくない人でも、「POPs」「ロック」「クラシック」……と続けると、そこに「ブルース」や「R&B」そして「JAZZ」の名前も出てくるだろう。ここに「箏曲」を入れてくる人はまずいないだろう事からも、JAZZはみなが知っているジャンルといえるのではないだろうか。
すると、本作のJAZZの立ち位置が見えてきた。例えば大ヒットマンガ(アニメ)「弱虫ペダル」や、大ヒット映画「シャルウィーダンス」と同じベクトルなのではないだろうか?と思うのである。つまり皆、「ロードレース」や「社交ダンス」など名前は知っているが、よくわからない類のジャンルなのだ。しかし確実に熱烈なファンは存在し、ファンたちは皆、「こんなに素晴らしいものがあるのに分かってもらえない。もったいない」という気持ちを持っているのである。
これはすなわち「マイノリティーへの理解」を求めるものなのだろう。
本作の中にも、「JAZZは大人の音楽だろ?」「JAZZは難しいよ」「JAZZはよくわからない」というセリフが多数出ており、なかなか理解してもらえないというシーンが多く出るのも頷ける。このもどかしさは、正にそれではないかと感じるのだ。
主人公はJAZZってる!
本作の主人公はどちらかと言うと体育会系で、「やれば出来る!」と自信に言い聞かせて事をなすような青年である。物語は中学から高校と6年間所属したバスケ部の引退時期からスタートする。最後の試合でもさしたる結果も出せず、仲間たちは自身のバスケ人生を「何のためにバスケをやっていんだろうな」と振り返る。ここで主人公もまた一つの喪失を感じていた。同学年の仲間達はいよいよ進路を考え、次の目標に向かっており、友人に「お前はどうするのか?」と問われるが、主人公にはもう1つ夢中になっているものがあった。それがサックスである。今自分を夢中にさせているのはこのサックスだけで、これを続けたいと漠然と考えていたのだ。
主人公には具体的な目標があるわでけでもないのに、雨の日も雪の日も、サックスを……JAZZを練習し続ける純粋さがある。ためらいなくチャンスに踏み込める度胸もある。失敗めげず、折れず、立ち上がり、ただ一心に前を向いて突き進む姿は人として尊敬し、応援したくなるような存在だ。
主人公は高校卒業と同時に、ろくな貯蓄もなく上京。本作の最終話では、言葉も通じぬドイツへと旅立つ事となる。他作品と大きく違うのはやはりこの主人公で、知識なし、お金なし、ではあるが、若さと愚直なまでの「絶対」を持っている。様々な人と出会い、様々な手助けを受けるが、これは主人公の演奏だけが起こした奇跡ではなく、主人公そのものの魅力が、周りを動かしてしまうのであろうと思う。彼の生き様は正に「ジャズってる!」といえるのではないだろうか。
舞台の背景
主人公は仙台の生まれで、時間軸的には東日本大震災から2~3年経った頃のようである。仙台にはJAZZの祭典があることは知っていたが、改めて調べた所1991年からずっと続いており、仙台の文化として定着しつつあるようだ。更に確認すると、今ではJAZZだけではなく、音楽全般のフェスとなっているため、ロックから一人の弾き語りまで、様々なジャンルと人々が参加しているのだという。
ジャズフェスと言うくらいだから、仙台の人は他の地域の人よりJAZZに触れているんじゃないの?という漠然とした認識があり、主人公の同級生どころか周りの人達がまるでJAZZを知らない事に対して若干の疑問を持っていたがこれで納得である。
主人公を語る脇役
主人公の母は他界しているが、父と兄と妹という家族がいる。気の合う同級生がいる、親友がいる、音楽の先生がいて、バイト先の所長がいて、楽器店の店長がいいて、サックスを無償で教えてくれた師匠がいて……、と、とにかく数え切れないほど多くの人々と出会っている。この周りの人々には目立ったドラマがない。受験に落ちたり、引っ越したり、卒業して別れたり、会社が倒産したり、主人公をデビューさせたり……と、それくらいのドラマしか無い。だが、胸を締め付け、目頭を熱くさせるようなエピソードも多く、JAZZという生き方をする主人公に触れた人々の感動を見ることが出来る。
また本作の特徴としては、単行本の巻末にあるオマケページがある。
ここには各巻で出会った人々が登場するのだが、その演出が面白い。形式としては脇役のキャラクターがインタビューを受けているというもので、インタビュアーの姿は一切出ない。脇役たちは皆一様に年齢を重ねた姿で登場し、主人公との思い出を語るという形式を取っている。この巻末のおまけで、どうやら主人公は成功し、世界的なJAZZプレイヤーになったようだ。という究極のネタバレが行われたのだが、まるで実在の人物の伝記を見ているようで嫌な気持ちには一切ならなかった。
作者もJAZZってる!
最後に作者とこの作品の有り様について考察したい。本記事のタイトルに「この漫画からは音はでないので注意」と書いたが、これは単行本のおまけページの引用である。ここまで好き勝手に感想と考察を述べてきたが、主人公は「JAZZがこういうものだ!」というのを言葉では伝えられず、実際に演奏をして伝えている。と、同時に作者はJAZZを聞いたことのない人に、マンガという手法で「JAZZってすげーんだよ!」伝えようとしているように思う。主人公と作者はこの点で同じベクトルを有しており、それ故に「伝えたい気持ち」がその作中にもあらわれているのではないかと思うのだ。
また、作者自身についても少し調べてみたのだがおもったより情報は少なかった。他の作品には「岳 みんなの山」があり、この作品についても語りたい部分はあるが、今回は割愛させていただく。ちなみにウィキによると作者はアメリカの大学で気象の勉強をして、帰国後に就職。その会社が約一年で倒産してしまうというエピソードが記載されていた。さらにマンガを書き始めたのはなんと28歳と言うから驚きである。しかしどうだろうか、日本に生まれ、日本で育ち、日本の大学を出たという人からこの作品が生まれるだろうか?大学以前のプロフィールが無いとはいえ、作者自身もそうとうアグレッシブでなければこの肩書にはなるまい。なんとなくマンガを書きたいと思って、340円のマンガ入門書を手にし、今やプロのマンガ家である。これには「BLUE GIANT」の主人公を彷彿とさせるものがある。
ここで本作の第1ページ目のセリフを読み返してもらいたい。「俺は絶対、世界一のジャズプレイヤーになる」と主人公がつぶやくシーンからスタートしているが、作者も「俺は絶対にマンガ家になる」と言いながら、見事に実行したのではないかと思うのである。
本作は「仙台編」「東京編」の10巻完結となっているが、現在『BLUE GIANT SUPREME』として「ドイツ編」がスタートしている。今後も目を離せないマンガである。
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