わしは死にたかね。死にたかねから、人を殺したのす。 - 壬生義士伝の感想

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壬生義士伝

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わしは死にたかね。死にたかねから、人を殺したのす。

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目次

人の器を大小で評するならば、奴は小人じゃよ。

この小説は江戸時代の盛岡藩出身の下級武士

「吉村貫一郎(よしむらかんいちろう)」という

浅田次郎が創作した登場人物を、歴史上実在した人物達と共に小説に登場させ

「封建社会で生きるということ」「貧しさとは」

「家長として働くということ」「子々孫々に血が受け継がれていくこと」について、

悲しくも最後に報われた想いの残る、浅田次郎の爽やかな文体で書かれた小説です。

盛岡藩にて、藩学校の先生だった貫一郎は、

幼い子供と病気がちな妻と共に貧しいながらに幸せに暮らしていましたが、

雪国の盛岡藩は決して財政の潤った藩ではなく、毎年のように不作が続き、

下級武士の一人に過ぎない貫一郎の俸禄ですらなかなか支払われず、

家族が食べていけない有様でした。

貫一郎の幼馴染の武士、大野次郎右衛門(おおのじろううえもん)は

倹約の概念や支出を抑えるすべなどを見込まれて出世したほどに

盛岡藩は財政難に陥っていました。

このままでは今年の冬を家族で生き残っていけない・・・

そう感じた貫一郎が脱藩し、新撰組に入隊していくくだりとなります。

新撰組は、命を的にして京都の治安を守る

云わば「京都を守ることを任された会津藩のお抱え私設警察」でした。

当然ですが危険と隣りあわせです。討ち入りもパトロールも命懸け。

そんな新撰組で働くということは、

「高給をもらえるようになったから、食って遊んで使おう」

「明日は死んでいるかもしれないから、今日楽しまなくてどうする」

の風潮が強い職場で働くということでした。

だから、そもそも貫一郎の働く理由やスタンスは

「家族を食わせたい。故郷では食わせられないから」

「お前達のように<明日死ぬかもしれない>の<かもしれない>など絶対に嫌だ。

どんなことをしてでも家族で生き延びる」です。

ずいぶんと周囲の隊士との温度差、場違い感と違和感があったことでしょう。

私達の目線からすると、全くの支障ない動機なのですが。

(もし貫一郎が現代に生きていたなら

冬は農業出来ないから秋の収穫が終わると同時に期間工として働く・・・

そんな農家のお父さん達のように柔軟に生きれたはずですよね)

もとは男らしく精悍で、すっきりとした好男子なはずなのに

南部訛りの入った垢抜けない喋り方は、江戸や京都の人々からすると聞きなれず、

クスっと笑ってしまう話し方だったでしょう。

そして「もう少し見てくれに構えばいいのに」と思わせる、着たきりスズメの風貌、

服が破けだしたら自身で繕い、質素な生活をする貫一郎は

要するに全体的に野暮ったい印象でした。

このシチュエーションでは自身の名誉を踏みつけられたと感じお金を受け取ったりしないよね、

と私達(武士でもない一般庶民)でも感じるような場面でも、

「(汚れた金でも)お金は、お金だから」と拾って、

他の隊士の分まで拾って自分のものにしてしまう貫一郎。

あっけにとられる隊士の描写が面白いです。

そして勿論、倹約して貯めたお金を後日家族へ送金します。

酒もやらず、花街でハメをはずして散在したりもしない。

そもそも、花街に行くくらいなら道場の掃除でもしておくから

そのお金をくれと言い出しそうな人です。

だから「守銭奴」「出稼ぎ浪人」と若い隊士にまで小馬鹿にされていました。

しかしそのちっぽけな器は、あまりに硬く、あまりに確かであった。

あれはあまりに硬く美しい器の持ち主じゃった。

そもそも小説内には出てこない記述ですが

実は薬売りの家に生まれて、自身も兄のように薬屋になろうとしたがうまくいかず、

商家に奉公した先では可愛い女中と将来を交わそうとする仲になってしまい、

「結婚したい。でも丁稚だから食わせられない。兄ちゃん俺どうしよう」

「お前バカか別れて帰って来い」で帰ってきたというエピソードがあるらしい

新撰組副局長の土方歳三(ひじかたとしぞう)

局長の近藤勇(こんどういさみ)も、

一番隊隊長の沖田総司(おきたそうし)も、多くの隊士が

・「武士への強い憧れ」を持つ「武士ではない人達」

・「剣を少し齧ったくらいの実力の人間」も含んでいた。

・田舎から出てきて身入りの良い仕事を探していた

そんな人間ばかりでした。

おそらくは各々に、土方歳三のようなエピソードがあったことでしょう。

色々な出身と立場、目的の人間が集まった新撰組は

「大勢を1つにまとめていくには厳粛な規律が必要である」と考え

組内での粛清も厳しすぎるほど厳しかったのです。

武士らしくないふるまいをした、これもまた処罰の理由になったりしました。

だからこそでしょうか?

「土方も近藤も、切腹に強い憧れでもあったのでは?」と邪推したくなるほどに

一に切腹、二に切腹、三四がなくて、

五に討ち入り(の前衛役を懲罰としてやらせる・・・ほぼ死亡)

池田屋のような奇襲作戦による死者数よりも、

規律違反による切腹の人数のほうが多かったという説があるくらいです。

そのような日常のなかでも、マジメに規律を守り職務を果たし、

土方に可愛がられ始める貫一郎。

文武両道、特に武芸は剣豪と呼ばれた沖田すら一目おく実力の持ち主。

その実直かつ素朴で優しい、飾らない人柄のため

小馬鹿にされながらも、隊士によっては親しまれもしていました。

新撰組のご近所さんだった商家のうら若い可愛い娘から慕われ、婿にと望まれたときにも、

妻子のために断る貫一郎。

「めんこいこけしゃん」と思わず口ずさんでしまうほど、

愛らしく病気がちな奥さん、しずとは、子供の頃からの知り合いでした。

名前も知っている。境遇も少しわかる。でも、幼馴染と呼ぶには心の距離感が少し遠い。

当時の男女の間柄を踏まえても、少し控えめな男女同士の2人は

往来で、町で、互いの笑顔や姿を見かけるたびに

短く他愛のない会話をする度に、心にふんわりとした色がつく、そんな間柄。

そんな2人が結ばれ、子供が生まれたのですから、

貫一郎のふるさととは、家族そのものでした。

この時代の男性は、特に武士は、妾を持つことも多く

近藤勇もまた故郷に妻子がいるものの、妾を持っていたうちの1人でした。

ですが糟糠の妻と、妻との間に出来た3人の子のためにのみ自身は存在しているのだ、

そう思っている貫一郎だから、

「それをマメさと(無理矢理に)解釈するのなら、両手に花を上手に楽しもうとするマメさ」

のない貫一郎の誠実さがよく現れています。

お前たぢこそが、わしの主君じゃ、お前たぢに死ねと言われれば、

父は喜んで命ば捨つることができたゆえ。

貫一郎の長男、嘉一郎(かいちろう)は

父が脱藩し新撰組に入隊しているということは、生きていく生活範囲の全ての人に知られていて、

父の罪を一身に背負う形で成長していきました。

子である嘉一郎に何の罪があるのかと言いたくなります。

自分は年齢こそ若いが、家族の中で男子としては一番年長だ。

だから父不在である以上は、自分が(お金以外で)母を兄弟を守る。

だが父は脱藩武士。後ろ指を差されながら、脱藩した父からの仕送りで今日も食べていく。

階級社会の屈折した状況の中で、それでもまっすぐに育ち、

父が切腹に使用しなかった名刀とは知らず、父の形見とばかり背に吊るし、馬を駆り、

新しい甲冑に身を包み戦場で散っていった嘉一郎。

貫一郎の切腹のシーンは回想を多く長く含むためか、

私はどちらかというと切腹の最後の情景描写のシーン

「襖に部屋中に血が飛び散っていて、切れない刀で無理矢理に切腹した

苦しんでもがいたあとが凄惨に残る」この描写以外では凄惨さを感じません。

生きていたかった。家族に会いたかった。生きて帰りたかった。

死んでたまるかと思っていた。でも死に場所を幼馴染が与えてくれた。

最後の最後に、せめて武士として死のう。

そんな諦念からくる、なぜかどこかしらホッとしている感を

貫一郎の切腹からは感じられるのです。生きていたかったはずなのに。

それはこの小説自体が、

「貫一郎が切腹を命じられ、今までのことを取り留めなく思い出し回想する・・・」

「貫一郎の周囲にいた人達から観た、貫一郎という存在」

これらを交互に絡め表現する、そんな書き方をされているからでしょうか。

ですが、嘉一郎の死んでいくシーンは胸を打ちます。

たった10代の半ばで、遠く北海道で散っていった嘉一郎。

「父の送った汚れた金で食べ、生きながらえたこの体、やっと役に立つ日が来ました」

と出陣する姿は、ずっと死に場所を求めながら成長していったのだろうとしか思えません。

「生きていたい、出来れば切腹などしたくない、明日には家族の元に帰るんだ。」

そう思っていた貫一郎。

「死ぬために今日まで生きてきた、もう十分だ、明日といわず今日死のう」

そして散っていった嘉一郎。

嘉一郎は戦場で自身が死ぬことによって

父の不名誉をすすごうと思ったのでしょう。最も尊敬し愛す父のために。

そうすれば新しい時代の武家社会の解体された中、少なくとも年の離れた弟は、

自分と違い「不忠者の息子よ」と後ろ指を刺されずにすむからです。

妹は、他家に嫁げば苗字も変わり、その家の人間になれるからです。

武士の子として生まれ、武士として死ぬ。そうすれば、母も、妹も、弟も救われる。

父は、現実的な方向で、家族を養い続け死んだ。自身は、精神的な方向で、家族を救い死のう。

父が死んだ以上は、自身もまた死ぬことによって、

初めて武士の誉れとたたえられ、残された家族は「生きていける」・・・そう感じていたのでしょう。

だからこそ嘉一郎の、颯爽とした若武者姿に関する描写は

何度読み返しても、涙があふれる場面です。

新撰組隊士、斉藤一(さいとうはじめ)の吉村貫一郎評

「人の器を大小で評するならば、奴(吉村貫一郎)は小人じゃよ。

侍の中では最もちっぽけな、それこそ足軽雑兵の権化のごとき小人じゃ。

しかしそのちっぽけな器は、あまりに硬く、あまりに確かであった。

おのれの分というものを徹頭徹尾わきまえた、あれはあまりに硬く美しい器の持ち主じゃった。」

そしてどうにも胸をいっぱいにさせる、作中で吉村貫一郎が語った言葉。

「わしは死にたかね。死にたかねから、人を殺したのす。」

「わしらを賊と決めたすべての方々に物申す。

勤皇も佐幕も、士道も忠君も、そんたなつまらぬことはどうでもよい。」

「石をば割って咲かんとする花を、なにゆえ仇となさるるのか。

北風に向かって咲かんとする花を、なにゆえ不実と申さるるのか。」

「それともおのれらは、貧と賤とを悪と呼ばわるか。

富と貴とを、善なりと唱えなさるのか。」

「ならばわしは、矜り高き貧と賤とのために戦い申す。断じて、一歩も退き申さぬ。」

最後にもう一度、あまりにも切ない貫一郎の言葉。

「わしは死にたかね。死にたかねから、人を殺したのす。」

お前たぢこそが、わしの主君じゃ、お前たぢに死ねと言われれば、

父は喜んで命ば捨つることができたゆえ。」

一人の男、いえ漢が家族を食べさせようとして働き、死んでいく

なぜそんなことで死ななくてはならないの?と、理不尽さにただ涙を流すしかない

でも最後の最後で何かが救われる、遺伝子の継承。

そんな小説です。

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