ホラーとラブストーリーをあわせ持つ物語 - リーシーの物語の感想

理解が深まる小説レビューサイト

小説レビュー数 3,368件

リーシーの物語

3.503.50
文章力
3.50
ストーリー
3.00
キャラクター
3.00
設定
3.50
演出
3.00
感想数
1
読んだ人
1

ホラーとラブストーリーをあわせ持つ物語

3.53.5
文章力
3.5
ストーリー
3.0
キャラクター
3.0
設定
3.5
演出
3.0

目次

日本語では少し頭に入りにくい文体

そもそもこの本は他のスティーブンキングの作品よりも若干読みにくいところがある。キング特有の文章と修飾の長さが、その意味を頭にしみこませるのに少し時間がかかるからだ。この傾向は「ザ・スタンド」や「ダークタワー」にも見られる気がする。もちろん原文で読めたらそのような不具合は感じないのだろうと思うけれど、日本語に訳するとどうしてもそうなってしまうのかもしれない。その上、過去の出来事と現在の出来事が入れ替わりながら同時進行のように書かれるため、どうしても意味がつながらなくて読み返してしまうところも少なくなかった。それでもこの作品には不思議なしっとりとした魅力が感じられる。
またキング作品が数々の地名や店名がリンクしているように、この作品も色々な部分がリンクしている。「キャッスルロック」は有名だし「メロウタイガー」も登場する。そういうのを記録してマップのようにするのも楽しいかもしれないと思わせる、キングならではの心憎さだと思う。

独特の世界の始まりを思わせる冒頭

2年前に最愛の夫スコットを亡くし、それでもなんとか回復してきたところに数々の招かれざる客のために静かに暮らすことができなくなってきている。夫は有名な作家で謎の死を遂げていた。その死因は最後のほうまでわからない。一度講演の最中に精神異常の暴漢に襲われるが、その怪我からは無事回復している。スティーブンキングの小説らしく、その精神異常の暴漢はとてもその異常さがうまく描写されている。暴漢の頭の中でなっているらしい「きんこん、かんこん」という音、それがひらがなで書かれているのも翻訳者の技だろう、その気持ち悪さがおかげでよく際立っていると思う。
夫の死からは立ち直りかけている反面、ルーシーの実姉アマンダの精神が壊れていく。もともと自傷行為や精神剥離といった症状が出ていたところ、特にそれが顕著になってきていたところに、スコットの魂というか残された意識のようなものが入り込んで、数々の二人だけに通じるキーワードを言うところは、アメリカンホラーというよりはジャパニーズホラーのような気味悪さがあった。あまりにアメリカンホラーだとそれほど恐怖は感じないけど、時々このようなぞっとする描写をするのがキングらしいところだと思う。

特徴的な言葉遊びとその意味

この作品には数々の言葉が登場する。それ自身読んでも意味はわからないけど、言う本人にはきちんとした意味と由来があるものである。ここで特によくでてくるのは「ブール」と「ブーヤブーン」。どちらも本来の意味はたいした事がないのだけど、前者は良くできた冗談のような意味合いで使われており、後者は子供がうまく発音できなかった何かがそれ自体に意味を持つようになり、かわいらしいからそのまま名づけられたようなものだった。この二つは物語でかなりの重要度を持つ。このような独特の言葉を作り意味をもたせた話では、「なにもかもが究極的」という短編が思い浮かべられる。ここの彼はその特殊な言葉と記号を組み合わせて人を死に導くことのできる特殊能力の持ち主だったけど、スコットもそれに近い。想像の産物だと思っていた「ブーヤブーン」は実際には存在し、何度もスコットはそこにテレポート(というと何か安いオカルトのような感じがするけど、それ以外に言葉が思い浮かばないのであえてそう言う)して、自らの傷を癒している。そこには傷を癒す池のようなものがあり、様々な傷を負った人たちがそこを訪れる。時には死人さえもそこを安らぎの場所としているようにうかがえる。実際どうしてスコットがそのような場所を見つけたのかはわからないけど、それはその場所は常に安らぎを与える場所であり、また死を与える場所でもあるのではないか。「もののけ姫」のシシ神の住む池のような、そのような場所ではないかと想像した。
昔、ある心理学者が、人は夢という無意識世界ではつながっているという仮説を書いたものを読んだことがある。彼(あるいは彼女)が言うには、蓮の花は池の上で各々咲くけれど、地下では根がつながっているように人もつながっていて、情報の交換もしているということらしい。その時はただ興味深く読んだだけだけれども、「ブーヤブーン」に様々な人が訪れていることを思うと、それはそういうことなのかもしれないと思った。

スコットの生い立ち

物語の初めはスコットは暴力的な父親にひどい虐待を受けて育ち、仲の良かった兄は父の手によって殺されたというイメージであえて描かれていた。しかし読み進めていくうちに、他愛もない意味あいと思っていた「悪のぬるぬる」というものが実際存在し、それに飲み込まれてしまった兄はすでに人間の形さえ留めていなかったことから、呪われた血筋であることがわかる。彼が頑なに子供を作らないとリーシーに伝えたところはそういう意味だろう(その時の印象的な文章で、「そのことで君に部屋の反対側から罵声を浴びたくないんだ」というところがある。「部屋の反対側」というところで大きな言い合いと相手からできるだけ離れようとしている様全てが表現されていて、その言葉選びの豊かさが(これは翻訳者の技でもあると思うけど)本を読む醍醐味だと感じた)。それを精一杯リーシーに伝えようとしているその誠実さと愛がここでも感じられた。
ただただ虐待を繰り返すだけのようだった父親もできるだけの力をつかって息子を守ろうとしていたところは、大どんでん返しとは言いすぎかもしれないがいい裏切りだった。傷つけていたことは間違いないのだけど、呪われた血筋に裏打ちされた選択のしようのないことだったと思えば、かなり辛いものがあるけれど。

敵ジム・ドゥーリーの存在理由の弱さ

残酷極まりない彼だけども(缶オープナーのくだりは、それをあまりうまく想像できなかったおかげで逆に助かったと思う。あまりに痛い表現は好みではない)、結局何が目的だったのか、ただただリーシーをいたぶるだけとは思えず、ちょっと意味がわからかった。ただそれだけが目的なら教授が何を言おうと動揺はしないはずだし、金目的ではないなら他になにも思い浮かべられなかった。精神科に通院していた記録があることから、頭の中で鳴っている「きんこん・かんこん」という音を止めるだけに犯行に及んだのか、ちょっとその裏打ちが弱い気もする。

「ローズマダー」との共通点

もともとはスコットに連れてこられたリーシーだけど、ジム・ドゥーリーに襲われてその逃げ場をここに選ぶ。ここにはシシ神ならぬロングボーイがいるからだ。この設定を読んで真っ先に思いだしたのは、「ローズマダー」のローズだった。彼女も暴力を振るう恐ろしい夫を絵の中という架空と思われそうな現実の世界に誘い出し、「決して見てはならないもの」に殺害させることに成功する。そこでも触れるだけで精神が蝕まれる黒い水が登場するが、それは用量を間違えなければ記憶を上手に消すこともできる妙薬にもなる。このあたりは、「ブーヤブーン」の池に癒しの力があることとよく似ている。また「リーシーの物語」では、スコットを暗殺しようとした精神異常者を殴りつけることのできた「銀のシャベル」が力を与えてくれるアイテムであって(この設定はあまり長くは続かなかったけど)、「ローズマダー」では絵の女性から手に入れた腕輪だった。この二つにはそのようないくつかの共通点があった。

スコットのリーシーに対する限りない愛情

生きている間はもちろん、死んでからも(死ぬとわかってからも)様々なヒントを残し彼女を正しい場所に導こうとする彼の態度は切ない。死んでからも意識のないアマンダを使いメッセージを伝えようとするところは陳腐かもしれないが、スコットにしてみればこうするしかなかったのだろう(そこでリーシーには恐怖を感じてほしくなかったけれど)。
死んでからのことを美しく書きすぎるのはあまり好きではない。でもこの物語はその限りない愛情がどろどろとした恐ろしさと同列に書かれることによってその美しさが研ぎ澄まされるように感じる。
このように私も愛情を表したいと、本を読んだ後に思った。

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

関連するタグ

リーシーの物語を読んだ人はこんな小説も読んでいます

リーシーの物語が好きな人におすすめの小説

ページの先頭へ