狂人になりきれない男の物語 - くっすん大黒の感想

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くっすん大黒

4.504.50
文章力
5.00
ストーリー
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キャラクター
4.00
設定
5.00
演出
5.00
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狂人になりきれない男の物語

4.54.5
文章力
5.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

世の傍流から見る景色

この小説はある種の人間にシンパシーを感じさせるものです。まず冒頭からして突然始まる酒が飲みたいという独白。冒頭から酒が飲みたい主人公と言うとハードボイルドものや悲壮な物語を想像するかもしれませんが、全く違います。書き出しはこうです。

「もう三日も飲んでいないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。」

何だかこう「酒のみてーなーどうにか何かなんねえかなー」という市井の感情にまみれた描写と言えます。いわば人生という鼻水をずびびっとティッシュに出してゴミ箱に投げ入れようとするもことごとく外し便所に行く途中にまとめて入れなおすような主人公なのです。いや、もしかしたら寝転がったままティッシュの投擲角度について延々と考え込むかもしれません。そんな僕たち私たちを投影したような作品こそ『くっすん大黒』なのです。

主人公やその友人、そして登場する人々はどれも滑稽でだらだらしています。誰も何も真剣に考えていないように見えるかもしれません。ただそれは常識、正道、当たり前、の視点から見た場合であり、当人の視点に立てば必ずしもふざけているわけでは無いのです。題名にもある部屋の隅に倒れている大黒様の象を捨てに街をうろうろする様は決してふざけた心境ではできません。ただふざけていればニヤニヤ笑いながら酒を飲んでいれば良いのであり、そこに本作の魂は存在しないでしょう。真剣に大黒様問題を解決するために主人公は一生懸命に取り組んでいるのです。自分だけの問題、というテーマは読者である私達にとって他人事ではありません。

行き着くとこまで行っても生きられる

昔は美男だった主人公は働くのが嫌になり毎日遊んで暮らしたいなと思い酒びたりの生活を始めました。それから酒を飲み続け膨れ上がった顔になり妻が出て行ったのですが、状況だけ見れば深刻です。ところが本人はあっけらかんとしていて仕事を辞めるときも「思い立ったが吉日ってんで」という調子で辞めちゃいます。

常識的な視点から見るとまあ「仕事を辞めるとは何事か」「妻もいるだろう」「これからの生活はどうすんだ」といった攻撃的な文句が思い浮かびますが、主人公の立つ世界にこうした言葉は存在しません。そうした言葉を発する視点とは決定的にズレがあり、その溝を埋めることはできないのです。世間とのズレはやがてお金の問題となって現実的に降りかかってきます。そこで頼りになるのが同じような境遇にある友人です。古着屋の仕事をもってきてくれました。

ですが世間から乖離した世界での仕事というのはやはり世間とはかけ離れた仕事となっています。「おばはん」の経営する古着屋では大阪のおばはんの肥大した無意識の前にぼこぼこにされてしまうのです。具体的に言うと友人が犯され家から逃げる事態となります。金に困り無理矢理仕方なくやった仕事も失敗してしまいました。

そして行き着く先はアート作家のインタビューです。高い評価を受けている上田という芸術家のインタビューをして欲しいと依頼されるのですが、聞こえてくるのは酷評ばかり。「はったりだけ」「宣伝は上手かった」「あんなのわかんない」というのが世間の評価なのでした。それに憤慨する依頼者は最終的に発狂してしまいます。

では最終的に主人公はどれだけの額の金を手にしたかというとインタビュワーの前金5万円と、発狂の口止めを求めた芸術家から「残りのバイト料」として友人が請求した8万円の合計13万円となります。結果だけを見たら意外に多かったりするのが不思議かもしれません。

おばはんの古着屋から芸術家のインタビュワーという行き着くとこまで行った主人公は結果的に金を手にしました。世間から離れたところというのは世間から離れているだけで、それ以上の意味はありません。どれだけ狂った世界に居ようが人は生きます。

理性の有無がこちらとあちらを分ける

主人公は狂人ではなく狂人を観察する立場にいます。決して狂人の仲間入りはしません。そのむこうとこちらを分ける要素は理性の有無です。観察し状況をまともかどうか判断し、狂っているかどうかを見分けられるのは理性によってしか成すことはできません。ですがその理性は世界と乖離させてしまう要素でもあります。

作品に登場する狂人側の世界というのは、実はとても充実したものとなっています。主人公のように緩やかな絶望に身を任す状況ではありませんし、ストレスを感じることもありません。古着屋のおばはんは勤務中に夕食の買出しに行ったり自分用の古着を店の奥で物色していたりと自由に行動しています。またインタビューの依頼者は芸術家に心から心酔しきっていて、その芸術家について述べるときは幸せそのものの様子です。対して主人公はそれが狂っているかどうかが分かってしまいます。世間とズレてはいますが理性という皮にぶらさがっているため、境界に立つことしかできません。

自分だけの問題に悩み、かつ理性があるため狂い切れない主人公が見た世界こそがこの作品と言えます。それは私達の根底に流れる問題でもあるでしょう。正論に違和感を持ちつつ狂った人物にはなりきれない、そのような不幸をどう解決すれば良いのかは分かりません。

物語のラストには唐突に「豆屋になりたい」と叫んでいます。これはもしかしたら自分も狂人の仲間入りをしたいということなのかもしれません。確かに「豆屋」という何が何だか分からない存在に本当になれれば充実した幸福を得られるでしょう。ですがそれはポーズのはずです。決して豆屋という存在に心酔することはできません。

小説で表現されたパンク

著者の町田康はかつてパンクバンド「INU」のボーカルとして活動していました。パンクの潮流の1つにヘドロのような存在である自分たちが破滅する様を世間に見せ付けて爆笑するといったものがあり、INUもその1つと言えるかもしれません。町田康は『くっすん大黒』でそうしたパンク精神を発揮したと考えられます。狂いきれず狂った振りをしてへらへら笑うというスタイルがこの作品の通奏低音となっているのです。

私達が『くっすん大黒』を読むときに気だるく滑稽な、それでいて時折感じる真剣な印象はこうしたパンク精神から来るのかもしれません。本作は単なる砕けた表現の小説ではなく、パンクという音楽を文章家した狂人との境界線上の物語なのです。

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