遅めにタイムカードを押す意味が分からない県庁さん - 県庁の星の感想

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県庁の星

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遅めにタイムカードを押す意味が分からない県庁さん

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目次

二十四時間分の給与を請求する役人の性質

震災が起きたとき、役所の職員は不眠不休で働いていたという。それ自体は立派だと思うものの、復興も一段落ついて、そのときの給与を請求した際、ほぼ二十四時間勤労したとの報告がされたらしい。要は、仕事が終わってから、役所に泊まっていった、その時間も加算したのだ。この話を聞いたときは、目が点になったものだが、また、これとは対照的な話を思いだした。母がパートをしてたときのこと。仕事の下準備のため、早めに出勤してくれと、雇い主に頼まれ、でも、タイムカードはもともとの出勤時間で押してくれと言われた。理不尽な話とはいえ、母は、だったら早めにタイムカードを押させてくれと訴えることなく、言われたとおりにしていたし、似たような話を耳にすることがあるから、自分ら庶民にすれば、べつに珍しくもない事例なのだろう。こういう感覚を持っている自分らにしたら、そりゃあ、寝泊りした時間分も、給料が発生するとは思わない。請求するのは気が引けるし、大体、混乱時にどれだけ働いたかなんて、正確に把握できないのだから、勤務時間を自己申請するのも、え?いいの?と思ってしまう。対して、平然と、かさ増しして請求できる職員は、別にせこいとか、がめついとがではないと思う。おそらく、彼らには、早く来てもタイムカードを遅めに押す、タイムカードを押してから残業するなんて、信じられないのだろう。もちろん、いけないことだが、良し悪しで片づけられない、事情というものがある。それが、彼らには分からない。働いた分お金をもらう、という決めごとは絶対で、異例はないと思っているのだ。


なにが正解か不正解か答のない社会

決められたことをやっていればよく、外れたことをしなければ、責められない。そんな世界で役所の人は生きているようだった。決められたことでも、時と場合によっては、その通りにできないことがあるし、外れたことをやっていなくても、責任を問われる場合があるということを、分かっていないらしい。そんな感覚のずれを、この小説の登場人物、隠れボス的なスーパーのパートの泰子は的確に指摘している。クレジットカードが使えないことを、そのまま客に言ってしまい、怒られてしまった県庁さんこと、野村に、客に恥をかかせるようなことをするなと説教をする。そして「習ってなかったもので」と言い訳したのに、私も習ったことがない、皆も習ったことがない、商売は習うものでなく、客がどう思うか察するものだと。クレジットカードが使えないと、言うこと自体、ありのままの事実を伝えているだけで、悪いことをしているわけではない。それでも客は怒るし、気分を害する。とくに客商売は、売り手に悪気がなくても、客への対応としては不正解になる、理不尽さがある。たとえ、こう言えば正解、こういう態度をとったら不正解という、模範解答を作ったとして、人によって状況によって、通じなくなる。はじめから答えなどないのだ。自分で考えて、これが答えっぽいかな?というものを導きだす。かといって、望むような結果がもたらされない場合だってある。商売に限らず、現実や人生は不確かなもので、ああでもないこうでもないと、思い悩みながら、どこに行きつくか分からない道を歩いていくようなものだ。それが当たり前のように思うが、役所などで働く人種は、違うらしかった。

賭けるこそ不安で苦しくも楽しい

例えるなら、前者はアドリブで、後者は台本どおりに、生きているといえる。台本に書かれた指示どおりにふるまい、台詞どおりに話せば、これまたシナリオどおりにハッピーエンドになると、疑わない。逆に言うと、台本を失ったら、とたんに、途方に暮れる。不確かで不安定な現実とやっと向きあうことになるわけで、そもそも台本がないのが当たり前なのだが、それでも、台本がないと生きていけないとばかり、恐怖を覚えるようだった。県庁さんの同期で、同じく民間の企業に研修しにいった人がいる。研修に嫌気がさして、早々出もどってきたものの、閑職に追いやられてしまう。そこで、彼はもともとあったコネを使いに使って、なんとか復帰を果たすのだが、県庁さんには、人が変わったように思えたらしかった。というのも、研修に行くまえには、コネを使わずにのしあがってやるとの、情熱と気概を持っている、尊敬できる人だったからだ。そこまで人をなりふりかまわせず、元の台本のある世界にしがみつかせるほど、アドリブで生きていくのは不安だし辛いのだろう。
言うなれば、いつも賭けをしているようなものだ。些細なことから大事まで、人はあらゆる選択を死ぬまでしつづけるが、必ず結果がいいものとなると、確信をもてることは、ほとんどなく、大体は、どう転ぶか分からない状況を、指をくわえて見守ることしかできない。はじめから、正しいとされる選択はなく、人は理想の結果を求めて、ある選択をする賭けにでる。だから、重要なのは、その人が理想を持っているかどうかだろう。先のクレジットカードの件の場合、事実を伝えるのは間違っていないし、禁止されているわけでもないから、そうしたと理屈は通る。ただ、県庁さんの意思はない。こういう店員でありたいとか、客に気持ちよく買い物してもらいたいとか、また来たいと思わせる接客をしたいとか。決められた手順を踏みさえすれば、後から責められることはない、との役所意識が抜けていないせいだ。言いかえると、賭けをしなければ、負けることもない。賭けにでたくなる理想を持つのは、危険というわけで、でも、勝つ喜びも味わえないということになる。
そんな県庁さんなので、はじめ、惣菜に賞味期限ぎれの食材を使っていたり、売れ残りのコロッケを揚げなおして、値段を下げずに翌日売るという、不正行為を、役所に見過したとか、加担したとか思われたくないから、やめてほしいと言っている。対して泰子は言う。お客さんのために、言っているのではないかと。肝心なところが抜けているような県庁さんだが、そのうち、自分の惣菜チームの弁当を、客が手にとって、籠にいれるのを見て、喜びを覚えるようになる。こんな弁当を作れば売れる、なんて答えのない問題にぶち当たって、悩み迷いながら、少しずつ賭けにでるようになったわけだ。もう一つのチームに勝ちたいと思って。とはいえ、チームの勝負同様、賭けにも負けつづけて、そんな中でも、少数ながら客が弁当を買ってくれる、ささやかな勝ちを噛みしめて、リスクを負ってでも勝ちを得る喜びを知った。もっと喜びを味わいたくて、客の求めるものを提供したいとの、理想を持つようになり、最終的には保身のためでなく、お客さんに安心し喜んで買ってもらえるように、そのために不正行為をしたくないと思えるように、なったのだと思う。
賭けといえば、鮮魚担当の高橋はいつもイヤホンで競馬の実況を聞いている。賭け好きのせいか、賞味期限切れの食材を惣菜に回すという店の暗黙のルールに逆らって、新鮮な魚にわざわざ期限切れのシールを貼って、渡していた。正しい行為とはいえ、店側としては嫌がるところで、ばれたらやばいことをしている点で、これも一種の賭けだ。新鮮な魚を食べてもらいたいとの理想がそうさせた。そんな理想は、赤字つづきの店では、現実を見ろと一笑にふすされるところだろう。たしかに、現実は厳しい。かといって、理想を捨てたら、元も子もなくて、そこにすこしでも近づくために、頭をひねったり試行錯誤したりすることこそ、大事であり、楽しいのではないかと思うのだった。

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