こんな結末なんぞ俺は認めない!たとえ、それがイデの力によろうともな!「伝説巨神イデオン」
悲劇のファーストコンタクト
まさに、悲劇のファーストコンタクトであった・・・。 1980年にサンライズ(当時「日本サンライズ」)がリリースしたロボット戦闘物アニメ「伝説巨神イデオン」は、地球人と異星人との悲劇のファーストコンタクトからその行く末までを描いた作品だった。この物語の中核となる二つの星の種族の出会いは有益なものとはならず、不本意でありながら相手の命を奪う形で始まり、どんどんあまりにも多くの人の命を奪う戦いへと膨れていく。
「伝説巨神イデオン」はそんな悲劇のファーストコンタクト物であるのはそうなんだけれども、おいらが今ここで言う悲劇のファーストコンタクトとは、おいらとこの作品との出会いの事なんです。・・・私事で恐縮なんですが、もしよかったら、おいらのこれから書く事に付き合ってやってくれると嬉しいです。
実はおいらが放送当時にリアルにこの作品を観たのは、第二話からなのです。そして観れたのもその一話限り。と言うのも、たまたま会社の出張で地方から東京へ二泊で出かけていた先でこの作品を偶然観たからなのです。もとよりアニメが好き、中でもロボット物やSF物が好きだったおいらにはとんでもなく印象的な作品だったのです。「なんだ!何なんだこのアニメは!?!」「このアニメ観たい!観たいぞ~~!」。しっかりとこのアニメがおいらのスカスカの脳ミソにインプリンティングされてしまったのです。
でも、おいらの住んでいた所は地方で、この作品は放送していない。今でこそ円盤やネット配信やオンデマンド配信なんてものが有るが、当時はそんな物はおろかVHSやβのテープさえリリースされていない。いやまてよ、ビデオデッキさえそれほど普及してなかった頃じゃなかったかな? え?VHSやβって何かって?ごめんなさい、知らない方はご自分で調べてみてくださいね・・・。すまん。
うう~~ん、観たい!見れない!観たい!観れない!泣くぞ!!。モンモン、もんもん、悶々とする日々。・・・まさに、「伝説巨神イデオン」との出会いは悲劇のファーストコンタクトだったのであります。
そして決意した!本編が見れないならせめて、と僅かばかりのお小遣いを握りしめて本屋へ飛び込み、手に取った月刊アニメ雑誌「OUT」!(あ~ら、懐かしいじゃありませんか!)
で、買ってしまった後でフッと迷う。本作観れないのに中途半端に写真や説明記事やストーリーを齧り見してもいいんか?いいんかい?! ・・・いいんです!。結局、それ以降しばらく「OUT」を定期購読することになったおいらがそこにいましたよ。うん
誰がそんな時間に起きるんだよっ?!
このアニメは封切り放送では夕方に放送されたんだと思う。確かおいらの出張先の東京で、寮の食堂で夕ご飯をぱく付きながら見た記憶がある。夕方のゴールデンタイムの放送だったのかな?
そんなおいらがこの作品を初めて通して観たのはそれから数年先で、おいらの住んでいた東北地方でもついに放送されたのである。やったね! ・・・ところがです!ところが放送時間がとんでもなかったのです!何と朝の4時45分頃!その名目もズバリ「はやおき子供アニメ劇場」。早いよ!はやおき過ぎるだろうよ!その放送局の新番組アニメだって言うのにそういう扱いですよ! ・・・「ふっ、これが地方と言うものか」
「この放送局は、朝の弱い俺を殺す気か・・・?」と思いつつ、それでもしっかりと目覚まし時計かけて起きて観ましたとも。うん。観た後でまた寝ましたとも。うん。それにしても朝の4時40分に木造の家で目覚まし鳴らされた我が家族はさぞかしはた迷惑だったに違いない。
え?ガンダムの方が先だった?
ところで、おいらはこの作品の放送って、例のガ○ダムよりもずっと先だった様に思っていた。ところがある日ネットで見たページで、ガン○ムが先でイデオンが後だと書かれているのを見て、「あれ、そうだっけ?」となった。ん?そうだっけ?よくよく考えてみると確かにそうだ。
なぜ自分がそんな錯覚をしていたのか?その答えは単においらがおバカだからだ。うん。・・・いやいや、まてまて。他に何かあるんじゃないか?と考えてみた。
「機動戦士ガンダム」が封切り放送されたのは 1979年。この作品は当時本当にいろいろと画期的な作品だった。その中で、おいらが一番画期的だと思ったのは、それまでのロボット物が一話完結だったのに対してこの「機動戦士ガンダム」と言う作品は連続ドラマ形式であった事。そして次に、敵ロボットが、同じロボットが何話も続けて出てくる事。そしてメカや制服・パイロットのスーツのデザインが近未来的且つ洗練されていること。それでいて私服は現代的で今の時代との違和感の無い事。そして敵対しているのが同じ人間同士である事、などなど。そのデザインは今でも古さをあまり感じさせない気がする。
さて、それに対してイデオンの方はどうなんだろうと考えてみる。おいらがこの作品のデザインを見た時に感じたのは「なんか変チョコリンなデザインだな」という感じだった。特にバッフ・クラン側である。地球(私たちの)とは何の関連も無い異星人だからと言う事もあるのだろうけれど、その差異を強調しすぎているデザインだと思える。バッフ・クランのメカもそう。変なグニャグニャしたデザインだと思う。地球人側も少なからずそんな要素の入ったデザイン多いと思うし。
でもそのデザイン、逆に言えば見慣れたお馴染みのデザインなのでは?そう、古典SF小説の表紙や挿絵、更には古いSF映画などで見て来たビジュアル。そして「ファーストコンタクト物」と言うのは古典SFの王道なのでは?
そんなイメージから、おいらの脳ミソの中で、イデオン=古典SF=古い=イデオンの方が先に放送された。と言う図式が出来上がってしまってたんじゃなかろうか?と思えるのです。
あ、けっしてイデオンを悪く言っているつもりじゃないんですよ(汗)。イデオンは古典、いや歴代SFの中に有っても屈指の名SF作品だとおいらは思っています。
みなさんはどうですか?
順番どうやって決めたの?
先にか書かせて頂いたとおり、おいらが初めて見たのは第二話からなのでストーリーなどはまったく分からず、何が何だかさっぱり分からなかったのだが、印象的だったのが地球人側の登場人物がそれぞれ我がままだった事。協調性まるで無し。コスモは生意気で横柄だし。敵のバッフ・クランの方がよっぽど人として出来ている様にさえ感じましたよ。まあ、そんな彼らが変わって行くところがこの作品の一番魅力的なところとも思えますが。初めはともかく違和感感じまくりでした。
そんなこの作品を見て行って、やっと少し馴染んで来た頃、一人、また一人と主要なキャラ達の中から犠牲が出ていくんですよね。第七話でカララのお付きのマヤヤが本来優しい少女であるバンダ・ロッタの銃弾に倒れた時には悲しかったですよ。第二十五話ではコスモが恋心を抱いた少女キッチ・キッチンが銃弾に倒れます。青の濃淡だけの色使いで、彼女は生い茂る草の中に半分うずもれて横たわり、ロングアングルの後に全身、そして綺麗な顔立ちの彼女の、しかし命を失った顔のアップ。バックに流れる「コスモスに君と」。アニメの中で星の数ほど有ると言っていい人の死のシーンで、これほど悲くて綺麗なのはそう多くは無いのではないでしょうか?
思わずキッチンの話に字数がいってしまいましたが、その後もどんどんキャラ達がお星さまになっていっちゃますよね。演出上の事ではあるのでしょうが、とある本では、これは制作側の事情からだと書かれていたりします。それは、あまりにも登場人物がいので、登場人物を減らしていって声優さんのギャラを削減するため、だとか・・・。ありやまっ、本当かいな?
だったらおいらは思うのです。いやいや、マヤヤもっと生かして欲しかったし、キッチンもっと出ていて欲しかったし、リンより姉の方殺して欲しかったし!他に殺しても良い奴いっぱい居ただろうが!・・・いやいや、半分冗談ですよ?でも、キャラの死ぬ順番って結構適当に決められたりしてるんじゃないでしょうか?どの作品にも限らず?
母親には「さよなら」は言えたのかな?
ところで、コスモはキッチンに出会ってそれほど間も無く恋心を抱いているけど。ふと、コスモはキッチンに誰か別の人の面影を見ているのじゃないかなと思った。で、登場キャラを見てみると、だいぶ違いはするのだけど、第十四話に出てきたカミューラ・ランバンじゃないかな?と思えた。コスモはカミューラに死に別れた母親の面影を見ていた。もしかしたらキッチンにも母親の面影を見ていたんじゃなかろうかと、勝手に思ったりする。
キッチンもカミューラもカールの程度は違うけど、フワモコな髪をしている。もしかしたらコスモの母親もフワモコ?いやいや、コスモ自身が一番フワモコじゃん!そして、この作品の登場人物のフワモコ率、結構高いよね?
あなたの中でイデは発現しましたか?
玩具やアイテムの売れ行きが思わしくない事と、視聴率の低迷と言う事で(そりゃ、お話がどんどん陰惨になってくんだもん、視聴率も落ちるよね)、ラスト四話を残して打ち切りになった本作品。おいらは四話分切り捨てられた事を知らずにテレビ版の最終回を観たので、「この話、この回で纏まるのか?」と思いつつ見ていて、ラストシーンの半端な終りかた&無茶苦茶な締めくくりかたにボー然となりました。何とも消化不良な後味の悪い終わり方です。宇宙を飛んでいくルウとメシアの姿も、その後から無数に飛んでいく光の意味もその時のおいらには理解でしませんでした。いえ、納得したくなかったのかもしれません。もうトラウマ物です。
またまた余談ですが、事実、このラストはおいらにちょっとした後遺症を残してくれましたよ。おいらはアニメやドラマなどを見ていて、演出で視野の端に赤い色が被さるビジュアルを見ると、生理的に嫌な気分になってしまうのです。もともと赤い色と言うのは人間の情緒を不安定にする効果があるわけですから、当然なのかもしれませんが、それにしても何とも嫌なもんだなと思うのです。そしてイデオンのラストのシーンに思い当たるのです。
イデオンのラストシーン、ドバがソロシップの追跡命令を出した直後に画面が逆光の演出になり、つづいて正気を失ったシェリルが絶望的な台詞を口走ります。この時シェリルの顔を含め、画面の右上に赤い色が被さりますよね。もともとシェリル女史が苦手だったおいら・・・。ええ、もう原因はこれですよ!
これはもう、悪しき形でのイデの発現ですよ!うん。この作品を観たあなたには、そんなイデの発現はありませんでしたか?あなたのそれが良き形のイデの発現なら嬉しいのですが。うん。
そして、打ち切られた四話は劇場版と言う形で我々の前に現れます。そのラストもおいらには未だに納得の行かないものです。・・・いつか納得のできる日が来るのかどうか、人生を、コスモ達の様に最後の最後まで足掻いてみないことには分かりません。
とは言え、この物語の顛末をしっかりと見る事が出来たことは幸せだったと思います。
駄文にこれ以上皆様を付き合わせると、カーシャに「お星さまになっちゃえー!」と言われそうなので、内容の無い文章ですみませんでしたが、そろそろ終にすることにします。
最後にもう一言。カーシャと言えば、カーシャは軍人じゃないのに、ベス達と同じ軍服を着ていますよね。それってカーシャが小さい頃に親と離ればなれになって、軍で引き取られて育ったからだそうで。でも、何で軍人に志願しなかったんだろう?カーシャの性格だと志願しそうなのにね。それとも、束縛されるのが嫌な性格だから入らなかったのかな?・・・もしかしたら、軍に入ってしまったら、幼馴染のコスモと一緒に居る時間が無くなってしまうから、とかだったら可愛いね。実質、歳の近い子達の中でカーシャとそれなりに付き合ってくれる相手ってコスモくらいだったのかも?
おいらにとってこの作品は忘れられない作品です。ずっとずっと何時までも心の中に持って行く作品です。そう、因果地平の果てまで。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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